ちかくの遊園地 ちかくのゆうえんち
とじる
2017-07-17: 内容をよりくわしくしました。

 百合小に通うこどもたちにとっては、近いところに「よみうりランド」と「向ヶ丘遊園」(むこうがおかゆうえん)の2つの遊園地がありました。  私も百合小にいたころには、両方(りょうほう)の遊園地(ゆうえんち)に家族(かぞく)やともだちとあそびにいっています。  百合小では、遠足(えんそく)で向ヶ丘遊園にいったこともあります。

 そのころの向ヶ丘遊園はもちろんお金を払(はら)って入るところでした。  広い遊園地の北側(きたがわ)にある正門(せいもん)の切符売り場(きっぷうりば)で切符を買(か)うようになっていました。

 いっぽう、正門から見ていちばん奥、南側(みなみがわ)の五所塚(ごしょづか)のあたりにも出入り口がありました。  なぜか、そこには門も切符売り場もなく、普通(ふつう)の町中(まちなか)の公園(こうえん)のように出入りが自由(じゆう)でした。  近所(きんじょ)の人が犬の散歩(さんぽ)に園内(えんない)に入ってきているのをみたこともあります。  今でも私にとっては「向ヶ丘遊園の七不思議」(ななふしぎ)の1つです。  あとの6つは知らないけど…

 よみうりランドにも向ヶ丘遊園にも、夏は流(なが)れるプール、冬はアイススケート場(じょう)があり、よくあそびに行っていました。  百合小5年か6年の時には、担任(たんにん)の高城先生(たかぎせんせい)に読売ランドのアイススケート場につれていってもらいました。  私はそのときに先生にすべりかたをおしえてもらって、アイススケートができるようになりました。

 すこしはなれた横浜(よこはま)には「横浜ドリームランド」という遊園地がありました。  テレビでよくコマーシャルをやっていたので知っていましたが、行ったことはありませんでした。  横浜ドリームランドは2002年の2月に閉園してしまいました。向ヶ丘遊園閉園の2002年3月のちょっと前になります。

 よみうりランドにも向ヶ丘遊園にも横浜ドリームランドにもモノレールがありました。  当時(とうじ)は未来(みらい)ののりものというイメージで、のるときはわくわくしたものです。  今も遊園地の営業(えいぎょう)をしているよみうりランドのものも含めて、モノレールは全てなくなっています。(2017年現在)

 もうひとつ、鶴川(つるかわ)駅からバスで行く「こどもの国」もありました。ここにも何回(なんかい)かいったことがあります。  多摩(たま)センターに「サンリオピューロランド」がありますが、こちらは他の遊園地よりずっとあとの1990年に開園(かいえん)しました。

 向ヶ丘遊園と横浜ドリームランドはもうなくなってしまいました。やはり、こどもが少なくなったからでしょうか。  今たくさんの人があつまる東京ディズニーランドやディズニーシーでは、こどもよりもおとなのお客(きゃく)さんが多(おお)いそうです。  いまでは遊園地はおとなのあそび場所(ばしょ)になったのでしょうか。

かつて、こどもたちがあそびにいった向ヶ丘遊園(むこうがおかゆうえん)の思い出(おもいで)を綴(つづ)ったホームページがあります。とても詳(くわ)しく紹介(しょうかい)されています。

➜ 向ヶ丘遊園メモリアル

ここからは、向ヶ丘遊園とそのまわりについて少し書いてみようと思います。

向ヶ丘遊園入口(むこうがおかゆうえんいりぐち)の大階段(だいかいだん)の横(よこ)にあったロープウェイ。 ここを登(のぼ)る乗り物(のりもの)は、スキー場(じょう)などにあるのと同(おな)じリフトだったことや、エスカレータだったこともあります。

 後方(こうほう)(とお)くを見ると、まだこのあたりにも田畑(たはた)が残(のこ)っていたことがわかります。  川崎(かわさき)の多摩川沿岸(たまがわえんがん)は、もとは米がたくさんとれる地域で、多(おお)くのたんぼがありました。 

 また、梨(なし)や,ぶどう、桃(もも)の果樹園(かじゅえん=くだものばたけ)も多く、有名でした。  現在でも「多摩川梨」(たまがわなし)はよく知られていると思います。  かんがい(川などから水をひいてたんぼやはたけをうるおすこと)のためのニヶ領用水(にかりょうようすい)も、 向ヶ丘遊園のすぐ前を横切(よこぎ)っています。(このぶぶんのニヶ領用水は二ヶ領本川(にかりょうほんせん)、あるいは新川(しんかわ)ともよびます

 これは 1963年の写真なので、二ヶ領用水の向こう側には用水と並んで来園者(らいえんしゃ)を運ぶ「豆電車」(まめでんしゃ)が走っていたはずです。  残念ながら、この写真からはその線路は確認(かくにん)できません。

さつえい:1963年4月21日(S.38)

向ヶ丘遊園閉園後(むこうがおかゆうえん へいえんご)、バラ苑(えん)への遊歩道(ゆうほどう)に残(のこ)るモノレール橋脚(きょうきゃく)のモニュメントです。  ほんもののモノレールの橋脚よりかなり小さく作られていています。  また、ほんものは上の方がモニュメントのように急には細くはなっていません。

「橋脚」はコンクリートの桁(けた=電車がその上を走る橋のような部分)を支えているはしらのことです。

 私が小学生の頃(ころ)に、向ヶ丘遊園駅と向ヶ丘遊園正門の間をむすぶ未来的(みらいてき)な形のモノレール線が開通(かいつう)したのです。

 モノレールができる前、私が小学校低学年(ていがくねん)のころは、バッテリーで動く豆電車(まめでんしゃ)がここをはしっていました。  その後、まわりの道路の改良工事(かいりょうこうじ)にあわせてモノレールが作られ、1966年4月(S.41) に運転を始めました。 

さつえい:2009年2月21日(H.21)

 モノレールには向ヶ丘遊園駅(むこうがおかゆうえんえき)と向ヶ丘遊園正門駅(むこうがおかゆうえんせいもんえき)の2駅(えき)だけがあり、 全線(ぜんせん)が1.1km のながさしかありませんでした。  それでも乗車賃(じょうしゃちん)が安かったこともあり、バスのかわりに地元の人たちにも使われていました。
モノレールの路線(ろせん)については下にあるコラムをごらんください。

 モノレールは 2000年2月(H.12) に故障(こしょう)のためおやすみになり、そのまま廃止(はいし)されました。  向ヶ丘遊園モノレール線は、コンクリートの桁(けた)の上に1本の鋼鉄(こうてつ)のレールがあり、 その上を小さな鋼鉄の車輪(しゃりん)で走る「ロッキード式」というとても珍(めずら)しい方式(ほうしき)でした。 モノレール故障の時には作っていた会社もなくなっていて、修理にはとてもお金がかかり、 また向ヶ丘遊園に来るお客さんもへっていたので仕方なく廃止になったということです。

 向ヶ丘遊園モノレール線の名残(なごり)

上は1975年の航空写真に重ねたモノレール線の路線です。

左は同じ航空写真でモノレール線の周りのより広い範囲について場所の名称などを入れたものです。

いずれもクリックして大きな画像をご覧ください。

小田急線向ヶ丘遊園駅前から続く旧モノレール線のルートには、向ヶ丘遊園内にあって現在は川崎市が管理するばら苑と、 旧モノレール向ヶ丘遊園正門駅付近に作られた藤子・F・不二雄ミュージアムへ繋がる遊歩道と公園(五ヶ村掘緑地 (ごかそんぼりりょくち))が整備されています。

遊歩道脇には、上に示したモニュメントの他にもう2つの橋脚の縮小モニュメントが建てられています。  モニュメントに絡むようように植えられたつるバラ(?)の葉がモニュメントを覆っている時には気づかないかもしれません。

さらに、この遊歩道を歩いてゆくと、あちこちにモノレール線橋脚の番号プレートを見ることができます。  橋脚を撤去した跡に、1つ1つプレートが設置された様です。

番号プレートのあるものは花壇の中、あるものは道路の真ん中にあり、また川べりのフェンスの下で土を被っているものもあります。  中には雑草や砂利に埋もれているものもあります。 プレートは金属製で、土やアスファルト、コンクリートの中にはめ込まれていますが、 外れてなくなっているものもいくつかありました。

2016年現在、モノレールが運行を終了してから16年も経過しています。 向ヶ丘遊園そのものも2002年に閉園してしまいました。  しかし、3箇所のモノレール橋脚のモニュメントとこれらの橋脚番号プレートが、かつての「新時代の乗り物モノレール」の存在の記録を留めています。

なお、このプレートの存在はこちらの記事を見て知ることができました。感謝。 (外部リンク)
» 向ヶ丘遊園モノレール(はしらのはなし)

下の写真は現在も保存されている向ヶ丘遊園モノレールの桁(けた)の一部です。  小田急線の向ヶ丘遊園駅から新宿方向に4つ先の喜多見(きたみ)駅近くにある小田急電鉄喜多見電車基地内にあります。  広く公開してくれれば良いのですが、現状では門の外からのぞいて遠方に確認することしかできません。 残念。