鉄棒・ナイフ てつぼう・ないふ
とじる

 私が5年生、6年生の時(とき)の担任(たんにん)は高城先生(たかぎせんせい)でした。 教科書(きょうかしょ)にかいてあることだけでなく、たのしい歌(うた)や工作(こうさく)や鉄棒運動(てつぼううんどう)をおしえていただきました。

 小学校の授業(じゅぎょう)ではやらない鉄棒(てつぼう)のけあがりをおしえてもらいました。  そして、かなりの数(かず)の男の子ができるようになりました。私は運動(うんどう)が苦手(にがて)でしたが、先生のおかげでさかあがりまではでき、また高いとびばこもとべるようになりました。  在校中(ざいこうちゅう)は、ついにけあがりはできませんでした。  しかし中学生(ちゅうがくせい)になってから、そのころは出入り自由(じゆう)だった百合小の鉄棒をかりて1人でけあがりの練習(れんしゅう)をくりかえし、たくさんのまめをつぶしながらもついにできるようになりました。

 「まめ」とはてつぼうをたくさんするとてのひらにできる、あのまめです。 おかげで、中学校では思ったよりも高鉄棒(こうてつぼう)の運動(うんどう)がうまくできました。 高城先生のご指導(しどう)のおかげです。  先生が卒業(そつぎょう)アルバムに、クラスのみんなにむけて書(か)いてくれたことばがあります。それは『マメをむけ タコをつくれ』でした。

 鉄棒と言えば、正門を入った右側(みぎがわ)にあった高鉄棒(こうてつぼう)は、5, 6年生の時には特(とく)にクラスの男子がよく使っていました。ところが、ある時1人のクラスメートがこの鉄棒から落(お)ちて腕(うで)をおってしまいました。  どうやら着地(ちゃくち)するところの砂場(すなば)がかたくなっていたからのようでした。 その後(ご)、クラスのみんなでこの砂場の砂を「たがやして」やわらかくたもつようにし、二度(にど)と鉄棒でケガをするひとがないようにと努(つと)めました。

 高城先生は、ちょっとあぶないけどこどものためになるということで鉄棒をおしえてくれたのだとおもいます。  先生はナイフのつかい方もおしえてくれました。  工作用(こうさくよう)の肥後守(ひごのかみ)ナイフを使(つか)って竹とんぼを作ることをおしえてくれました。  刃(は)が長(なが)く出ている肥後守ナイフはあぶないところもありますが、正しくつかえばおもしろいおもちゃや便利(べんり)な道具(どうぐ)を作ることができます。  私は先生に「あぶないからやらない、あぶないからつかわない、じゃだめだよ」と、教(おし)えてもらったのだとおもいます。

【肥後守ナイフ】
[ひごのかみないふ]
日本で作られた折(お)りたたみ式(しき)のナイフで、工作(こうさく)に使(つか)われました。

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