header
header


かつてはこの地域からもこどもたちが百合小に通っていた塔之越(とうのこし)  その一番高いところに、たぶん100年を優(ゆう) に超える間生きていた巨大な楠(くすのき) が3本並んでいました。 あたりまえのようにそこにあった大木ですが、2020年7月に切りたおされてしまいました。 その存在を記憶(きおく) し、ここに記録しておきたいと思います。

塔之越はかつての生田村(いくたむら) の字(あざ=村の中のより小さな地域) の名前で、2020年現在の麻生区東百合丘・高石、多摩区南生田のそれぞれ一部にあたります。塔之越の名称は現在でも町会の名前などに使われています。

❖「塔之越」は「塔ノ越」「塔の越」とも記します。

#塔之越 楠 伐採 #東百合丘 楠 伐採 #原店前 楠 伐採 #馬の背 楠 #東百合丘 大楠 #原店前 大楠 #東百合丘の楠 #原店前の楠

THE STORY:   Three huge camphor trees stood at the peak of Tohnokoshi, where three ridges meet, were cut down on July 18, 2020. They were probably much more than 100 years old.
The place is among the highest in the area, and the trees worked as a landmark.

This page is to commemorate the trees.

✚The place is in the northwest part of Kawasaki city, Japan.

 ❖大楠があった場所 / Location where the trees were
 ➜地形/Geography❖❖  ✔地図を元の位置へ/Map original pos

✚ この大楠切り倒しについてどなたか気に留めていないかとウェブを検索したところこんな記事がありました。 切株の一部を入手することができたということです。良い思い出になるでしょう。

➤「東百合ヶ丘のクスノキ伐採」
  by Kanocobeer powered by 'note'


ランドマーク   the Landmark

2020年7月16日頃から3日ほどかけて「塔之越の大楠」(とうのこしのおおぐす) 3本が伐倒(ばっとう;切りたおすこと) されました。

3つの尾根が交わる塔之越最高地点で長い年月に渡って立っていた3本の大楠です。 うち2本は川崎市の「まちの樹50選」(まちのきごじゅっせん ) にも選ばれていました。しかし、それらもあっけなく切り倒されてしまいました。

後者2本はそれぞれ、高さが15mほどもあり、遠くからは3本がまとまって1本の巨木に見えました。

❢「まちの樹50選」指定は 2020年3月に解除されています。

私は1963年2月にこの地に引っ越してきてその年の4月に西生田小学校に入学しました。 一年ほどで西生田小分校として始まった百合丘小学校に移り、その後も同じ地元で暮らしてきました。 この大楠はその間長年に渡ってそこに存在していました。 樹齢(じゅれい=木の年れい) は知りません。 ただ、毎日あたりまえにそこにあるものとして特に気に留めていませんでした。

しかし、近年、近くにあるすごく目立つ樹木として、また遠くからも見えるランドマークとして認識(にんしき=そういうものとしてわかる) していたものです。



✚ランドマーク

その土地の目印となるような大きなもの;建物・塔や、大きくて目立つ樹木・岩・山のような自然のものなど


晴天の霹靂   a Bolt from the blue

私が小学生のころ、3本の大楠がある高台の土地にお屋敷(やしき=おおきな家) が建ちました。 家を建てる時に、元からあった楠はそのまま保存されたものと思います。 楠の周りには何本かの大きな桜の木もあり、春にはきれいな花を咲かせていました。

そのお屋敷が売りに出されたようで、今年(2020年)の春に新しい宅地造成の告知板が出されていました。 その告知板を見た時から「あのランドマークはどうなるのだろうか」と気がかりでした。 そして、残念ながらあまり月日が過ぎることもなく「心配通り」に切り倒されてしまいました。

もともとがお屋敷があったのは広い土地でしたが、地ならしして7戸の家を新築するそうです。 当然、大木は邪魔(じゃま) ですし、残したらだれかが管理しなければなりません。とてもたいへんなことになります。

また、高台の大木なので、これまで一度もなかったのが不思議なくらいなのですが、落雷の危険すらあります。 取り除くのはきわめて合理的(ごうりてき=もっともな理由がある) な選択です。

でも、「とおりすがりの地元民」としては残念なことでした。 そう思う人は他にもいっぱいいたと思います。

「残してくれるかな」という期待も持ちつつ成り行きを見守っていたところ、本物の雷は落ちませんでしたが、青天の霹靂に近いできごとでした。

❖青天の霹靂(せいてんのへきれき) =青空で天気が良いのに急にかみなりが鳴りだすように、突然びっくりすることがおこること。「霹靂」はかみなりの音やきらめく光

✚落雷しても、はっきりとした痕跡(こんせき=あと) がのこらないことがあるかもしれません。

伐倒にいたる経緯(けいい=ものごとが変わって行くようす) は全く知りませんでした。 「保存運動」があったのかどうかもわかりません。 楠の近くはときどき通っていたのですが、「切らないで!」などの看板とか垂れ幕なりも見ることはありませんでした。

後になって切り倒しを心配している地元住民もいたらしいという話は聞きましたが、ウワサ程度です。

可能ならばあの一画だけ市で買い取って「塔之越くすのき公園」にしてもらったらよかったな、などと思うのです。

楠のある部分はナナメで家の敷地にしにくそうです。 大木を片付けたり跡をたいらにしたりするのには相当のお金がかかるはずです。 宅地開発会社としても、買い取ってもらえるならそれが良いという選択があったかもしれません。

とはいえ、現実にはあの高台の土地はかなりのお値段でしょうし、これから先の維持管理(いじかんり=手入れをして良いぐあいにたもつこと) も考えると簡単にはできないことはわかりますけれど…


あっという間に   So quickly

7月16日に近くを通ると、3本の楠の枝払いが行われていました。 東側の1本については幹だけ残して枝は切り落とされてしまっています。 西側の2本「まちの樹50選」の楠も、一部枝が切られていました。 「結局、全部切り倒されてしまうのね」と現実を見てしまいました。

7月17日夕刻に通りかかると、3本の楠は全て枝が払われて丸坊主になっていました。 仕事が速すぎる。 なぜか「まちの樹50選」No.41 のてっぺんに緑の葉をつけた枝が1本だけ残っていました。 大木を切る時のなにかの作法(さほう=やりかた、しきたり) でしょうか?

梅雨のさなかの雨の日の夕刻。 しばらくその場にいると、近くを通る人たちがひとしきり裸にされた大木に目を向けていました。

7月18日の夕刻、3つの巨大な切り株が残る現場を通ると、一帯に強いフィトンチッドの香りが漂っていました。 青森ひばにも似た良い香りでした。 プチ森林浴(しんりんよく)

7月19日、長い梅雨(つゆ) の中で久しぶりに陽がさした時に残された大楠の切株を見学に行くと、何人もの人たちが足を止めて大楠の跡をながめているのが見られました。

立ち話をしてみると、「悲しい」「おどろいた」「切らずにおけなかったのか」などの声が聞かれました。 立ち止まった人たちはたぶん近所の住人。 短い間に大楠がなくなってしまったのでびっくりしている様子でした。

この日も切り株のまわりには、強いフィトンチッドの香りがただよっていました。

✿ フィトンチッド

❖ 樹木が自らに有害な微生物(びせいぶつ=カビ、細菌など) を殺菌するために放出している化学物質でいくつもの成分からなる。 人間には良い作用があるといわれ、「森林浴」ではフィトンチッドの香りをかぐことも目的としている。

✚ 楠は、医薬品や虫除けとして使われる樟脳(しょうのう) の原料となるくらいなので、放出する化学物質の量も多いのかもしれない。

✚ 英語では phytoncide:「ファイトンサイド」と聞こえます。

➤ 発音


御神木?   the Divine trees?


楠の切り倒し前、6月には3本の幹にはしめ縄(なわ) が飾(かざ) ってありました。 それ以前にはなかったものです。 切り倒しに先立って、何らかの「儀式」(ぎしき) でも行われていたのか? 例えば神主に祝詞(のりと=神にいのることば) をあげてもらったとか。

知る限り楠の周辺には神社らしきものはなく、3本の楠は「御神木」(ごしんぼく) の扱いではなかったと思いますが。

初めてしめ縄に気づいた時は、「日本人の心情としてはしめ縄付きでは切りにくいのでは? 切られないで済むかも」と感じました。 でも、今思うと逆にしめ縄は「伐倒のための段取り」だったのかもしれません。 ❖段取り(だんどり) =ものごとを行う手順

❖ 2021年になって、ここから遠くない他の宅地造成現場で、切り倒した巨木2本の切り株の上に紙パックやカップの酒が並んでいるのを見ました。

✚ 造成中ですから「建前」(たてまえ) の祝いの残りではありません。 どうも大木に供えた「お神酒」(おみき) のように見えます。 やはり、大木を切り倒す時には「神事」あるいはそのようなことが行われるようです。

✚ 2本の大木の根元付近の太さは1mほどに見えます。 切られる前は見上げる高さでした。(杉かな?)

前に書いたように、楠の切り株の前では多くの人たちが目を向けたり立ち止まったりしていました。 また、枝を払う作業をしていた時も、立ち止まって作業員に事情を聞いているような通行人もいました。

3本の楠は思ったよりも多くの人たちが気に留めていて、突然なくなるのが納得が行かないという人が多かったのではないかと感じました。 やはり、何十年にも渡ってそこに楠を見ていた人たちにとっては、「どこにでもある木」とは違っていたのだと思います。

それこそ古くからここに住みついて農業をしていた人たちにとっては、当然そこにあるべき楠であったはずです。

1960年台初頭に百合丘の街ができ、前後して塔之越周辺に作られた住宅地に住み始めた人たちにとっても、長年に渡ってあって当たり前のものだったと思います。 もっとも、この周辺に住宅地ができたということは、そのときに何百本もの古い樹木が倒されてしまったわけですが…

私は「後から来た組」ですが、里山を拓(ひら) いて作った住宅地に住みつつ、やはり大楠の消失は残念だと思う勝手な人です。


✚大楠の大きさ

西側の2本の楠は、2003年4月1日に川崎市の「まちの樹50選」に指定されました。寄り添って並ぶ北側が No.41、南側が No.40 です。 公表されている楠の大きさは表のようになっています。指定後17年が過ぎていますので、もっと大きくなっていたかと思います。(2020年3月に指定解除)

No.40 高さ:
目どおり:

No.41 高さ:
目どおり:
約 15m
約 3.0m

約 15m
約 3.2m

「目どおり」は目の高さの幹の周囲長です。目の高さは地域により基準が異なり地面から1.5mとも1.8mとも言います。さらには、不動産の世界では1.2mだそうです。  充分育った大木ではどの高さでもほぼ同じでしょう。

周囲長3mでまん丸であると仮定すると幹の直径は約95cmとなります。

なお、楠の根元の標高は国土地理院の地図によると約116mです。 楠のあった小山の最も高いところでは、121mほどありました。(今回の造成前)

切株の写真からその幹の大きさを計算してみました。

この後の「大楠 ✜ その後」の記事の中で、3本目の楠の切株の寸法も測っています。


ウェブアルバム   Web Album

このページで紹介している写真も含む/includes pics in this page


大楠の丘の地形   Natural features of the place

先頭/TOP


住宅地開発より10年以上前の、里山と田畑が広がる1947年の大楠周辺の航空写真です。

青、赤、黄の大きな点の並びで示す尾根道が大楠のあたりで交わっています。 尾根道は3本あると考えています。  尾根道の幅の両側は斜面になっている畑や林です。 また、大楠付近を起点として下り坂になっています。 大楠のすぐ北側が最も高く、標高は120m余りあります。

1970年頃にここから真西に320mほどのところに建設される百合ヶ丘配水塔のある丘の上(現在の標高123m)に並んで、 周辺では最も高い位置にあります。

航空写真は米軍の撮影です。 けっこう綺麗(きれい) に写っているものです。  眼下に拡がるのは、"Occupied Japan" (連合国占領下(せんりょうか)の日本) ということになります。
(占領の期間 1945.9〜1952.4)

ちなみに、大楠から北東に数百メートルの塔之越の田んぼに、1945年4月に米軍の爆撃機(ばくげきき) B-29が1機墜落したという記録があります。 (当時の日本軍の高射砲(こうしゃほう) による撃墜(げきつい) ;住民に死傷者なし) 大楠が見てきた歴史の1つです。(参考資料:地元情報誌「くらしの窓」2010年4月11日)

geography

大楠 ✜ その後   Since then

切り倒された日/Cut down on:2020-07-18(Sat) yyyy-mm-dd

2020-07-23(木)  残る巨大な切株

7月23日夕刻、再び大楠の跡に行って見ました。 かなり薄くなっていましたが、まだ フィトンチッド✜ の香りが感じられます。

大きな切り株の横に置かれていた何メートルかの長さに切断された幹は、片付けられていました。 次は切り株を掘り返すことになるのでしょう。 でも、根は太く、そうとう広範囲(こうはんい) に深く張っているよう見えます。 楠の周りのブロック積みの側壁(そくへき=土手のかべ) は、たぶん、作られた時には十分に幹との間に距離があったのでしょうが、今は根に押し出されて変形しています。

巨木を支えていた根は、横を通る舗装道路(ほそうどうろ) の下まで入り込んでいるのでしょう。 どの範囲まで取り除くのかわかりませんが、切株の除去はかなり大変なしごとに見えました。

2020-07-24(金)  3本目の楠と桜の木

もう一度、3本目の大楠を見てみます。 川崎市の「まちの樹50選」には入っていませんでしたが、「保存樹木」扱いです。 他の2本よりやや細めですがそれでも十分に大きく、幹に手を回して届くようなものではありませんでした。(実際に手でかかえようとしたわけではありませんが)

切株になってしまった根元の断面(だんめん) の写真から寸法を計算してみました。 直径約1mでした。

この太さだと、目の高さでは幹のまわりの長さは3m近くでしょうか。 手が届くわけがありません。
➔寸法についてはこの下の写真もご覧ください。

3本目の大楠の隣にあった、これも「保存樹木」の大きな桜の木の切株に、大穴が空いているのに気づきました。 樹木の虚(うろ) です。 虚は樹皮(じゅひ=木のそとがわの皮) が傷ついた部分から細菌が侵入して内部を腐(くさ) らせるためにできるそうです。

この桜はかなりの老木で、春には花をつけていたと思いますが、枝のあちこちが痛んでいました。 何本かの大きな枝は剪定(せんてい=切ってととのえる) してあり、金属板のようなもので切断跡がふさがれていました。 外部の痛みだけではなく、幹の内部、それも根元近く、もこのように痛んでいるとは知りませんでした。

3本の大楠の切株にはこのような虚は見られず、きっちり詰まっていて健康な色に見えます。 まだまだ元気な盛り。 切らなければあと何百年も成長し続けたのでしょう。

楠の樹齢(じゅれい) は2,000年に達することもあるそうです。

2020-07-25(土) 残る切株の香り

7月23日から26日の日曜日までは4連休。 工事現場もお休みのようです。 大きな切株の前では、風向きのせいかはっきりしたフィトンチッドの香りが感じられました。

3本の楠はまだ生きているのでしょう。 このまま待っていれば、ひこばえ(=切株から生えてくる新芽)が出てくるのでしょうけれど、その前に掘り返されてしまいそうです。



2020-07-30(木) 切株はまだそこに

7月30日午後、梅雨空(つゆぞら) の下(もと) 雲がやや薄くなった時に大楠の跡を通ると3つの切株はまだそこにありました。 となりのお屋敷があった敷地(しきち) には重機(じゅうき=ショベルカーなどの建築用の大きな機械) が入って土を削っていました。 しかし、切株は手つかずです。

ちょうど、通りがかりのおじさんが道の反対側から切株跡の方向にスマホのレンズを向けていました。 切株からのフィトンチッドの香りは、ずいぶんと弱くなってきています。

2020-08-03(月) 進む整地作業

整地作業(せいちさぎょう) が楠の切株に迫ってきました。楠に並んでいた桜の老木の切株はすでに取り除かれたようです。

東側、桜の隣にあった楠の巨木の切株のところには土がこんもりと盛られてありました。 もう抜き取った後なのでしょうか。 あるいは埋められてしまったのか。

西側の大楠2本の切株はまだそのままですが、2本の木の間にあった階段は取り壊されていました。

一時は弱まっていたフィトンチッドの香りが、また強くなっていました。 東側の楠の切株にはやはりノコギリの刃が入っていたのでしょうか。

2020-08-05(水) 蘖 — ひこばえ

最も太い楠、川崎市の「まちの樹50選」のNo.40 に指定されていた大木の切株をあらためて見ていたら蘖(ひこばえ) らしき若芽がありました。

葉の生え方や形が楠っぽいのでそうかなと思います。 しかし、木の周辺にはすぐ近くに他の木もはえていたし、この楠以外の芽かもしれません。 素人には判別(はんべつ) は難しい。 でも、切株から直接出ているようなのでひこばえとしましょう。 その大きさから伐倒前から伸びていたものと思われますが、上部の幹が失われた後も楠が生き続けていることがわかります。

整地作業は日に日に残された切株に近づいてきています。 切株は引き抜かれてしまうのでしょうか。 それともそのまま地中に埋(う) められてしまうのでしょうか。

2020-08-14(金) 工事はお休み・ひこばえ

夏休みの時期(じき) 、今日も工事もお休みのようで大楠の切株のまわりにまだショベルカーは入っていません。

川崎市の「まちの樹50選」No.41 の切株を良く見たら、こちらにも蘖(ひこばえ) が出ていました。  葉っぱは一部に虫食いがあり、若芽全体の色も少しくすんだ感じで元気がなさそう。

切株のまわりには工事現場を囲む「オレンジネット」が張ってありました。 ネットをおさえる板を止めるくぎは、No.40とNo.41の切株に直接打ち込んでありました。

切株のまわりには、わずかですが森の香りが残っています。



2020-08-17(月) 工事再開;切株除去開始

夏休みが終わり、大楠の切株の撤去工事(てっきょこうじ) が始まってしまいました。  この日、朝8時頃には、これまでに回りを掘ってあったNo.41の切株の下をさらに掘り進んでいました。  足を止めて作業員に様子を聞いている通行人もいました。

切株は、その周りのコンクリートブロックの壁の下に複雑に根を伸ばしているようで、ショベルカーでの作業もかなり手こずっている模様。

その日の夕刻、もう一度大楠跡に行くと、除去が終わっているはずと思っていた切株はまだそこにあります。  四方八方に伸びた太い根をチェーンソーでカットしながら、切株が徐々に土の中から出てきていますが、まだ除去できずにいました。

切株に刃物が入ったためでしょうか、一時はごく薄くなっていたフィトンチッドの香りが、またはっきりと周辺に拡がっていました。

隣接の道路の下も含め、まわりに伸びている根はそのままにして、切株周辺のみを除去しようとしているようです。  それでも、これだけのサイズの切株なので、重機を使っても仕事はかなりたいへんなようです。

2日後、19日の夕刻にもこのNo.41 そして南隣の一番大きい No.40 の切株はそこにありました。  少しづつ、切株の下を掘り進んでいますが、なかなかどいてくれません。



2020-08-19(水) 踏みとどまる切株たち

この日の夕刻には、No.40, 41 の2本の大楠の切株は、その下部がかなり掘りこまれていました。 

切株とそこから伸びる太い根(ほとんど幹のよう) にチェーンソーで切り込みを入れながら、少しずつパワーショベルで剥(は) ぎ落とし、さらに地面下を掘りすすめるというような作業をしていました。  作業中は、遠方までチェーンソーの音が響(ひび) いていました。

朝8時から夕方5時まで作業をして、やっと切株の何分の1かが除去される進み具合です。 切株強い❢

2020-08-20(木) 惨劇

夕刻、ショベルカーのアームの先にアイスピックの親玉のような器具をつけて、一番大きい楠No.40の切株を突っついていました。  チェーンソー+ショベルカーでは取り切れずに、ついに切株をバラバラにする作戦に出たようです。 

この方法が大きな切株除去の標準手順なのか、工事を受けた会社が慣(な) れていないのかは知りませんが、かなり乱暴(らんぼう) なやり方。  歯科医院で、抜けにくい親知らずを器具で割って抜かれている感じ。 痛そう。

このような方法でも生木(なまき) の切株を壊(こわ) すのは難しいようで、同日の作業終了後も2つの切株はかなりの部分が残ったままです。

8月20日で、切株を掘りはじめてまる4日経ちました。  3本の大楠はたったの3日で切り倒されてしまいましたが、切株の除去は、想像したより大工事です。  東側の3本目の大楠の切株はすでに見えなくなっていますが、除去されてしまったのか埋(う) められてしまったのかよくわかりません。

No.40の一番大きい楠の切株は「アイスピック」で散々痛めつけられていました。  この日は「惨劇」(さんげき=むごたらしいできごと) の現場から数百メートルの風下でも、かすかに フィトンチッド✜ の香りが感じられました。



2020-08-22(土) 切株消滅

昨日 21日の夕方5時過ぎに大楠跡の前を通ると、なんと切株がなくなっていました。 

前日まで、大きな切株の除去にはかなり手を焼いていたので、「これは来週までかかるかな」などと思っていました。  でも、追い込みが速かった。 2つの巨大な切株は完全に消滅(しょうめつ) していたのです。

地中奥深くや、隣の舗装道路の下にまで入り込んでいる根はそのままなのでしょう。  でも、地上に顔を出していた2つの切株のカタマリはきれいさっぱりとなくなっていました。

大木の根が侵食(しんしょく) していた回りのブロックの側壁(そくへき) も壊されて片付けられています。  お屋敷があった高台も、その高さが数メートル低くなるほどに大幅に削られています。  何ヶ月かあとには、ここに何があったかの痕跡(こんせき=あとかた) も残さずに綺麗(きれい) に整地されているのでしょう。

造成中の切り崩された丘の上のほうには、取り除かれた切株のとおもわれるものが積み上げられていました。

除去跡を見ると、東側の3本目の大楠の切株も、同様に除去されてしまったようです。



2020-08-31(月) コンクリートでガチガチ

大楠を除去した跡は、壁を作って土を盛り全体を平らにするのかと思っていました。  しかし、先週末にのぞいてみると土を掘ってコンクリートを打っていました。

今日の朝、現場を通りかかると、駐車場や駐輪場、あるいはごみ集積所(しゅうせきじょ) でも作るのではないかという感じになっていました。

もう、3本の楠は跡形(あとかた) もありませんが、跡地(あとち) ではいまだに弱いフィトンチッドの香りがします。  よく見ると、角にあったNo.40 の楠の切られた根が土の中からたくさん出ており、ここから匂(にお) いが出ているようです。



2020-09-03(木) コンクリート壁工事

工事現場がどうなっているのかと見にゆくと、切株跡にコンクリートを打ったまわりに大きな鉄筋(てっきん) のカゴの壁ができていました。

コンクリート壁を作って切株跡の穴を囲んで土を盛り、土地全体の高さを平らにするのでしょうか。  北側の高かった部分はすでに削る工事が進んでいて、121mの標高が数メートルは低くなっています。

あたらしい住宅地ができたら、ここに楠と桜がそびえる丘があったこともわからなくなりそうです。

最南端の角にあったNo.40のいちばん大きな楠のあとにはまだたくさんの根が残っていました。  多くの根がからまって道路の下まで続いているので取りきれなかったのでしょうか。  根のかたまりからは、いまだにかすかな森の香りが発散しています。

敷地をひとまわりしてみたら、除去された切株がまとめて積まれていました。  人間が自然を改造するパワーを見た❢  積まれた切株の周りでもあの香りがわずかに感じられます。

切株を薄く輪切りにして、あたらしい住宅地の門標(もんぴょう) にしてほしい。



2020-09-07(月) 台風と大楠

2020年9月6日(日)、夜から翌早朝にかけて、巨大でとても強い台風10号が九州を縦断(じゅうだん) しました。  これに伴って、看板(かんばん) が飛ぶ、コンクリート電柱が折れる、家屋が倒壊(とうかい) するなど大きな被害がでました。

この時に、福岡県糸島市の神社の御神木が根こそぎ倒壊して本殿を破壊するという事故が起きていました。  死傷者はありませんでした。 倒れたのは雉琴神社(きじことじんじゃ) の樹齢(じゅれい) 200年のケヤキの大木です。

ふと思ったのですが、これが塔之越の大楠だったらどうなっていたのか?  もし、脇の道路に倒れてそこに車などの通行があれば大事故です。 向かいの住宅がある側に倒れれば、これもたいへんなことになります。

2018年には、台風のために風に煽(あお) られたタンカーが関西空港連絡橋に激突(げきとつ) して、しばらく通行止めになるという大きな事故がありました。(9月4日 台風21号)  2019年には千葉県で、ゴルフ練習場の防護(ぼうご) ネットの鉄骨の支柱が台風の風で倒れて近隣の住宅を破壊しました。(9月9日 台風15号)

天気予報や行政の会見では、専門家が「これまでに経験したことのない」という形容詞をつけることが多くなりました。

こんな「フツーじゃない台風」が毎年やってくるようでは、冷静に考えれば「大楠を切り倒したのは正解」ということなのかもしれません。

しかし… 地球を温めてでっかい台風がやってくるようになったとすれば、地球を温めたのは誰?という疑問にぶち当たらざるをえません。  自然のなりゆきなのか、人の力によるものなのか。

かつて台風で倒れた大木に驚いて写真に残していました。 2011年9月の台風15号で倒れた宇奈根の大合歓(うなねのおおねむ:川崎市高津区久地の多摩川河川敷)です。 台風15号の風は、その時点では記録的な強さだったそうです。 各地で樹木の枝が折れたり、木が倒れたりしていました。

長年そこにあって風雨に耐えてきた古木も、幹の中が傷んでいるわけではないのに強風で倒れることがあるのです。 2011年から時が過ぎましたが、今はさらに風の強い台風が襲来(しゅうらい) する様になりました。

こう書いていて、また思い出しました。 2018年には淡路島(あわじしま) で巨大な風力発電風車が倒れたり(8月24日 台風20号)、2019年には千葉県で送電鉄塔が倒れたり(9月9日 台風15号)していたのです。

高台に突出してある塔之越の大楠は、年々激(はげ) しくなる台風に耐えることができたのでしょうか。



2020-09-09(水) 塔之越の長城構築中

大楠跡を見ると工事が進み、かなり丈夫な高い壁を作っていることがわかりました。  どうやら楠のあった角に船のへさきのような壁を作って、土地のかさ上げをしているように見えます。  とがった角だからすぐ上に家は建ちそうもありません。

楠の面影(おもかげ) も何も残らないフツーの住宅地に変貌中(へんぼうちゅう) です。

でも、それは過去を知っている人のはなし。  ここはまわりで一番高い「展望台」です。  東京中心部のビル群や、横浜の港の周辺、富士山、武甲山、筑波山、そして、房総半島まで見渡せる「眺望絶佳」(ちょうぼうぜっか=けしきがとても良い) なお家が建つでしょう。

2020-09-22(火) 塔之越の長城延長

コンクリート壁が次々と出来上がっています。  もとからあったコンクリートブロック積みの擁壁(ようへき) をこわして、新しい高い壁に置き換えています。

2本の楠があった南端のカドの鋭角(えいかく=とがった) の三角形の中がどうなるのか気になります。  ごみ集積所になるのか、何もない斜面になるのか。

カドをのぞきこむと、まだ No.40の楠の地中にあった根が残っていました。  でも、森林の香りは感じられませんでした。

時の経過とともに、だんだんと楠の痕跡が失われてゆきますが、決してゼロにはならない・・・ と思っています。



2020-09-28(月) 楠のあった尾根の風景 その1

西側から見た大楠があった尾根の風景を、大楠を切りたおした後のものと比べて見ました。

大楠があった区画全体に豊富にあった樹々(きぎ) も切り倒され、さらに南どなりの区画でも宅地造成(たくちぞうせい) が始まっていたため、一帯の緑が全部なくなってしまいました。  なにか、味気(あじけ) ない風景になってしまったように見えます。

かつてここにあったお店「原店」(はらみせ) の店名は、原っぱの中にポツンとあったことに由来(ゆらい) すると言います。  2020年の今、周囲は住宅街が広がる真っ最中です。

2020-09-30(水) 楠のあった尾根の風景 その2

大楠の南側、長沢中学校の東にある尾根からの風景です。  私は、ここから見える3本の大楠の形がいちばん美しかったとおもいます。

尾根道が集まる最も高いところに突出(とっしゅつ=とびだす) している楠はとても目立つ存在でした。
これこそまさにランドマーク。

ランドマークたる大楠がなくなって、そこにあるのは特徴(とくちょう) のないありふれた風景。  何か物足りません。



2020-10-05(月) 楠のあった尾根の風景 その3

南西側から「馬の背尾根道」の向こうに見えた大楠です。

50年ほど前、この尾根道は現在の半分以下の幅しかない砂利道でした。 リヤカーを引く耕運機(こううんき) がのんびりと走っていたこともありました。  木製電柱を満載(まんさい) した大型トラックが、けっこうな傾斜のある脇(わき) の畑に転落する事故もありました。  その頃から、すでに楠は十分な高さでその場所に存在していたと思います。  道路は歩道付きの舗装道路(ほそうどうろ) になり、楠もついこの前までその高さを増していました。

かつて、遠い国から来た旅人は塔之越の大楠を目印に生田村と柿生村の間の「馬の背尾根道」にたどりつくことができました。  大楠が切り倒された今、いったいどうすれば良いのでしょう。

GPS必携(ひっけい=かならずもちあるく) かな?



2020-10-12(月) 南側に新しい壁を築造中

大楠跡の工事は進み、3本の楠の場所の南側に新しいコンクリート壁の築造(ちくぞう) が始まりました。

No.40の最も大きかった楠のあった角にはまだ取りきれなかった根っこが残っているのが見られます。  1週間ほど前に通った時には、一瞬ですが根っこのところでかすかな森の香りを感じましたが、今回は感じられませんでした。

大楠の痕跡(こんせき) の消去が日々進んでゆきます。

残った根っこの一部もコンクリートの下にうもれそうです。



2020-10-18(土) 楠のあった尾根の風景 その4

住宅街をつらぬく尾根道からまっすぐ向こうに見えた大楠。

以前は1本の大きい楠かと思っていました。 この方向からだとちょうど1本の大木のように見えます。 

大楠があったところには空と雲。 「いつもの」がないと物足りない感じ。  いっぽう、大楠跡ではコンクリート壁工事が着々と進行中です。

手前には楠が切られる前に建てられた新しい家も見えます。 丘の上に残された土地の宅地化が進行中です。  この道の両側もかつては斜面(しゃめん) に広がる畑と林でした。



2020-10-27(火) 角の新しい工事

川崎市指定の「まちの樹50選」のNo.40とNo.41があったとんがった角の土地のまわりで工事の動きがありました。

角の南東側に新しいコンクリート壁が完成し、斜面部分の土を削っています。  角の頂点部分、もっとも大きな楠No.40があったところを平らにしています。

この角の横を通る道路上、角の近くに地域のごみ集積所(しゅうせきじょ) が2つあります。  この風格ある大楠のあった場所を、どうやら新しい住宅地のごみ集積所にするプランのようにみえます。

10月26日には、角を平らにする工事をしていましたが、27日には平らにした場所に早くもブロック塀を作っていました。  工事が進むにつれて、すご〜くごみ集積所っぽくなってきました。

26日にはまだNo.40の楠の根っこの名残(なごり) が見えましたが、ついにフタをされてしまいました。 

すでに「森の香り」も消滅しています。 微か(かすか) に残っていた自然が人工物に置き換わってしまいました。



2020-10-31(土) 楠のあった尾根の風景 その5

長沢浄水場の西側高台から見えた大楠。

天気が良い時は富士山や丹沢の山々を背景に高台に目立つ楠が見えました。 

大楠がなくなった今、残された目印は百合ヶ丘配水塔です。

2020-11-01(日) 角の工事が進行中

大楠の名残はもはやありません。  大楠があった角の土地の工事が進み、形が見えてきました。

見た所、角の部分には新しい宅地の排水(はいすい) や廃棄物(はいきぶつ) に関する設備がまとまるようです。 



2020-11-04(水) 楠のあった尾根の風景 その6

南生田の尾根から谷に降りる長い階段から眺(なが) めた大楠のあった尾根の風景です。

かつては畑と里山だった斜面に、今はたくさんの家が貼り付いているのが見えます。

最も高いところに大楠3本がまとまって見えました。 そのすぐ北側(写真で右側) に大きなお屋敷がありました。  このお屋敷のおかげで、尾根の最高部分には多くの樹木が見られましたが、楠とともにすべて切り倒されています。

見慣れた風景だったせいか、尾根の頂上に緑色のアクセントがないとずいぶんと味気ない景色に見えるものです。

鉄筋コンクリートの立派なお屋敷も楠に先立って解体撤去されています。  想像するに2階の窓からは、すべての方向の見晴らしが良かったものと思います。

もっとも、建物の南側の楠をはじめとして、東京都心方面以外はいろいろな木がじゃまだったかも知れません。  でも、きっと、新しく建つ住宅からは良く見えるでしょう。

樹木の陰になっていない方向では、お屋敷の2階から次のようなものが見えていたと思います。

✜ 方向と距離も表記
✜「✔」は近隣(きんりん) の道路から視認(しにん) 確認、他は推定。
✜ 新築高層ビルに隠れるなどで見えなくなっている場合があります。

地図で見る➜ LandmarksMap

❖1 スカイタワー西東京
 東京都西東京市にある電波塔 高さ195m 通称:田無(たなし)タワー

❖2 筑波山(つくばさん)
 茨城県つくば市にある山で男体山と女体山の2つの峰が並ぶ 標高877m

❖3 房総半島(ぼうそうはんとう)
 東京湾越しに見える房総半島の山影と、沿岸の発電所の集合煙突など

❖4 横浜ランドマークタワー
 神奈川県横浜市にある超高層ビル 高さ 296m, 70階

❖5 高尾山(たかおさん)
 東京都八王子市にある山 近年多くの内外の観光客を集める 標高599m

❖6 武甲山(ぶこうさん)
 石灰岩の採掘で有名な埼玉県秩父(ちちぶ) 市・横瀬町(よこぜまち) の山
 標高1,304m

この場所からの都心方面の眺め➜
➤撮影時カメラ位置

❢ 2015年1月に敷地東側道路から撮影:周辺の新しい建物や都心方面の高層ビルの建築、建造物の解体などにより、2020年現在は同じようには見えません。

❢ 発電所の「東京電力」は、2015年4月の組織替えにより 「JERA」(ジェラ) になっています。

❢ 大きな画像なので読み込みに時間がかかることがあります。(15MBytes)



2021-06-27(日) 新しいお家

3本の大楠が切り倒されてもうすぐ1年。 大楠跡には新しいきれいな家が出来上がっています。  夕刻、家の中には電灯がともっていました。 新しい生活が始まったみたいです。

そういえば、今年 2021年は百合丘の町が誕生して60年。  還暦です。 百合丘誕生のずっと前からあった大楠はなくなりましたが、これが時の流れです。

 

宅地開発に伴い、大楠のあった地面は少し低くなってしまいましたが、まだ標高 120m近くあります。  東側の東京都心方面の景色だけではなく、西側の丹沢などの山々も見晴らすことができます。 すごく贅沢(ぜいたく)な眺めのお家です。

富士山と神奈川県最高峰の蛭ヶ岳がほぼ重なって見えます。