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玉音放送の謎          驚きももの木20世紀 H11.09.24

当時、この時でも大多数の国民が神国日本が負けるはずがないと信じていた。
なぜ明らかな負けいくさに幕を引けなかったのか。真の対立は国内にあった。

S20. 4. 7 天皇の信任により鈴木貫太郎に首相就任の大命降下
          鈴木貫太郎(千葉県出身の人)内閣成立
          鈴木は日本のバドリオ(イタリア敗戦時の首相)になる決意
     6. 8 閣議は戦争継続、本土決戦の声強し
     7.26 連合国側、ボツダム宣言
          末文には「右以外ノ日本國ノ選擇ハ迅速且完全ナル壞滅アル
          ノミトス」とある
          日本政府はこれを黙殺
     8. 6 10日後に新型爆弾投下さる(広島原爆)
     8. 9 ソ連参戦(130万の軍が南下)、長崎原爆
          阿南陸軍大臣 対 鈴木首相・東郷外務大臣・米内海軍大臣
          本土決戦後終戦     無条件降伏
     8.14 御前会議で天皇のボツダム宣言受諾の御聖断
          「自分が国民に呼びかける必要があればいつでもマイクの前
          に立つ」の言葉。終戦の詔書の起草開始。深夜に録音。
     8.15 正午に玉音放送(漢語調の聞き取りにくい録音)
          朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ
          現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ
          以テ時局ヲ収拾セムト欲シ
          茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
              …
          爾臣民ノ衷情モ朕善之ヲ知ル
          然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所
          堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ
          以テ萬世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

証書は四十数箇所も手直しを重ねた。「義命ノ存スル所」→「時運ノ趨ク所」など
義命ノ存スル所  → 道理や条理に沿って
時運ノ趨ク所   → 字面のとおりだが、悪く言えば、なりゆきまかせ
           何も手立てがないから(戦争を)やめるんだと言う

国民は、悲しみ、怒り、空しさ、悔しさ、あるいは、喜び、で聞く。
阿南は玉音の日に反乱兵士の責任をとって自決、鈴木はS23.4.7死亡、米内
もS23.4.20死亡、東郷はS25.7.23獄死。
この国を終戦に導いた男達の望みどおりの日本になったのかどうか。
ゲストが言ってたけど、義命でなくで時運の如く、数々の小さい誤りの積み重ねが、
何か拝金主義の金まみれの現代を生んでいるのじゃなかろうか、と。

平成11年9月25日                      中村三郎