長いこと日記を書いてる中で「これ良いから保存しなよ〜」と言われたものを載せてみました。
何百と書いた日記があるのにたったこれだけ、、どういうこと〜!?



                        保存日記

サリーとの出会い            2002年12月27日


  こう見えてOLをしていたアタシは、遊ぶ金と服欲しさに退社後ゴルフ練習場でもバイトをしていた。なぜにゴルフ練習場かと言えば、受付でニコっとしていりゃいいだけでかなりの高給だったからである。

たしか12月頃だったかと思う。それはそれはものすご〜く寒い夜であった。今夜は雪だなっと思ってたように記憶している。一緒にバイトをしていた会社の先輩が(ワタシが引きヅリ込んだ)打席の灰皿を片付けにいった。片付け終わったようだな、、と思うと手に赤ちゃんネコを持って戻ってきた。まさに手の平サイズのコネコである。
先輩は「これ〜!!」と喜んでいた。アタシは「なによ?どうしたの?」と聞いた。打席にポツンとこの子がいて「ネコちゃん!」と声をかけて手を差し伸べたところ、コネコの方から「にゃぁ」と鳴いて乗ってきたそうだ。

子猫は赤い首輪をしているものの、その姿は見るからに迷い猫であった。首輪の皮部分はボロボロに剥げ落ち、痩せており、少し臭かった。おそらく生ゴミでも漁って生活してたのだろう。(ネコはもともと匂わないのでおしぼりで拭いたらすぐ臭いは取れました)そしてフラフラして体力もなさそうだった。これは誰か飼ってあげないとね?と先輩と相談したが先輩の家では飼ったネコが死んでしまって以来何がなんでも飼わないという。そんな殺生な!じゃ、あなた飼いなさいよ!と言われたが、あたしは大の猫嫌いであった為、あっさり拒絶した。だがこの赤ちゃん猫はそれなりに可愛いなぁとも思っていた。

 先輩は早番であったのであっさりとネコとワタシを残して帰ってしまった。
ネコの処分に困ったがあまりにも寒い夜であったので受付カウンターの下にあるカード入れにこっそりネコちゃんを入れておいた。「鳴いちゃダメだよ、鳴いたら追い出されちゃうからね」と話しかけた。コネコはじっと私の目を見据えた。本当にそうだった。
先ほど支配人に見つかり「いついたら困るから追い出してよ」と注意されたばかりである。それを察知したのかネコちゃんはそれはそれは静かに店が終わるまで箱の中で眠っていた。
 そしてお店も終わりの時間だ。夜0時近い山の中の練習場である。駐車場の明かりを消せば真っ暗闇だ。なんにしてもネコは飼う気がないのでちょっと後ろ髪をひかれたが「ちゃんと暖かいところに行くんだよ」と話して聞かせ駐車場でネコと別れた。

 寒い寒い真っ暗闇である。ブーンと車のアクセルを踏み込み道路に出ようとしたがバックミラーにかすかに写る「大きな駐車場」の「小さな頼りない影」が見えた途端にもうダメだった。
ポツンと佇んでこちらを見ている(であろう)姿を確認した途端、コネコの不安な気持ちが私に届いてしまった。
なんだか悲しくなってウワーンと泣きながらコネコの元へ戻った。嫌いなのにメソメソ泣いて抱きかかえた。それはそれは小さくて軽くて、その命は私の手の中にあった。

 そのまま連れて帰ったが水を飲んでも何をしても吐いてばかりで死にそうだった。あのまま置いて帰ったら間違いなく死んでいただろう。それほどに弱っていた。が貰い手を捜しつつ1週間もたつ頃には元気を取り戻し、それと同時にすっかり私はネコ好きに大変身を遂げていた。
 だって深夜に帰宅しても眠いのにフラフラになりながら起きてきて「にゃーん(おかえり」と出迎えるんだもん。寒いからって添い寝してくれるんだもん。出かけるときは行ってらっしゃーいと言って花畑のところまでお見送りしてくれるんだもん。大好きですよと言って顔中舐めてくれるんだもん。そんななんだもん、好きにならずにはいられなかったよ。
 遊ぶ金欲しさに始めたバイトで、こんなにかけがえのないものに巡り合えたよ。あぁバイトして良かった。
そしてそれから10年、小さかったサリーは誰がみてもデカいネコになり、出迎えも気が向かないとしない、お見送りなんていつやった?なんていうようなえばりんぼう猫に変身してしまったが私にとって可愛さは変わってない。それにサリーとの歴史が加わり、ますます良い関係になっている。長生きしてね。


ペンギンの子供            2002年12月25日

  クリスマス前夜、サンタさんにお願いしていたオママゴトセットを、偶然にも遊んでいた押入れの中で発見してしまった。嬉しくて嬉しくてもらう前に開けて遊んでいたら、母に叱られた。「せっかく買っておいたのにー!!」と。なので幼稚園に入るか入らないかで「サンタは存在しない」と理解してしまっていた。悲しい子供である。

あたしは子供のクセになぜか自分の赤ちゃんの頃のアルバムを見るのが好きだった。当時小学1年生。父、母、ワタシの写真の中に混ざって古ぼけたペンギンの写真が貼ってあった。動物園に行った写真があるわけでもなく唐突にペンギンの写真が数枚あったのだ。ずーっと気になっていたので母に聞いてみた。
「ねぇオカーちゃん?なんでペンギンの写真があるの?」と。母は
「あぁ、それはオマエのおかーさんだよ。」と言った。もちろん信じるなどとも思わず軽くいった冗談であった。
「え?あたしのおかーちゃんはペンギンなの?」
「うん、そうそう♪」
ものすごいショックを受けた。ずっと「おかーちゃん」て呼んできた人は母ではなく、この写真のペンギンが母親だったとは!あまりのショックであった為、人間の母親の前では泣けなかった。すぐさま自室に引きこもりものすごく泣いた。「あたしは人間の子じゃないよぉぅっ!うわーん」と。
その後もこの件が頭のすみっこに常にあった。そして悲しくなっては夜な夜な泣いていた。何年も何年も胸を痛めていた。
 だんだん時間が経ち小学生の高学年になった。その頃には「それでも育ててくれたおかーちゃんが母親だ!」と思えるような大人になりつつあった。そしてどうやら友人にはワタシがペンギンだということもバレてない。だがその反面、「もしやウソ?」という思いもよぎった。
そしてある日とうとうもう1度母親に聞いてみた。
「ね?昔あたしがペンギンの子供だって言ったの覚えてる?あれ本当?」と。母は
「なんでよ?そんなこと言った?覚えてないねー。それにあんたO型でしょ。あたしもO型、お父ちゃんもO型だよ、間違いなくあたしの子供だよ」と。ちょっとフフンとコバカにしつつ薄笑いで。
とうとう人間の母親の前で泣いてしまった。長年の悩みがプツっとあっけなく解決したのと、母への怒りと、自分の愚かさと、安堵と、、色々心情が入り交ざり大泣きしてしまった。それこそ子供のようにウワーンウワーンと。
泣きながらこの何年もの悩みを話した。母は「悪かった悪かった、ゴメンねぇゴメンねぇ」とやはり半笑いで謝罪した。そりゃ半笑いにもなるよね。今思えばさ。

そして人間の子供らしいと判明し、現在に至るのである。


サリー危機一髪          2002年11月16日

  7,8年ほど前、サリーさんは朝から出かけたまま行方不明になってしまった。例の母の大声で呼べど叫べど帰ってこず。私も心配で徒歩と、車と、あちこち呼びながら探したが帰ってこない。どうしたんだろう、、事故?だけど傷ついた猫も周りにはいない。。あぁ、、と夕飯も母とワタシはのども通らず、とうとう深夜になってしまった。1時過ぎた頃であろうか。また母とワタシは徒歩で「さ〜り〜」と呼びながら探した。そのとき
にゃ〜ん!!」と聞こえた気がした。「今聞こえたね!」「うん!」「さ〜り〜」「にゃ〜ん!!
確かに聞こえる!鳴き声を探ると、なんとサリーさんは向かいの家の立派なシャッター付きの車庫の中にいるようだった。母と地べたに這いつくばり、シャッターの下のわずかな隙間(1センチも開いてないが)から声をかけた。やはり聞こえる!

お向かいさんは家の明かりがこうこうとついていてまだまだ起きてるようだった。かなり申し訳なかったが事情を説明してシャッターを開けてもらった。

「ガラガラガラガラーッ!」
「!!にゃ〜〜んっ!にゃぁ〜ん!!にゃうにゃうー!にゃぁう〜」
再会である。季節は大体今と同じだったと思う。サリーさんはすっかり冷え切った身体で、ピョーンと腕にとびついてきた。あぁ良かった。ぎゅーと抱きかかえて帰りました。家に帰るとムシャムシャ御飯を食べ、ホットカーペットの上でグーグーグーー寝てしまいました。

お向かいさんは朝シャッターを開けたきりその日は1日中閉めていたそうです。サリーさんは偶然その隙に入ってしまったようでした。

もうあんな心配はしたくない。いやよ、サリーさん。


目覚ましサリー              2002年11月15日

  9年ほど前の話である。とあるアパートの2階に母とサリーさんは2人?2匹?暮らしをしていた。とはいえ、ワタシが住んでいたところはとても近所だったため毎日遊びに行っていた。なので3人で暮らしていたようなものだった。
アパートの隣の一軒屋のお宅があったのだが、そこの娘さんの部屋は2階だった。いつもサッシの鍵を閉めていなかった。
 サリーさんは年中あちらこちらにフラフラ遊びにでかけていた、その中でもお隣さんは猫好きだったようで可愛がってもらっていたようだった。
 ある日、お隣のオバサンが、母に

「サリーちゃんがね、いつも来るのよ、お陰で娘が遅刻しないで済んでねぇ、ありがたいのよ」

と言った。(母は夜になると「サーーリーーっ!!サーリーッッ!おいでー!」と帰れコールを大声でしていたのでご近所の人はみんなサリーの名を知っていた)
母は訳もわからず「え?え?」と言っていると続けてオバサンは

「サリーちゃんね、いつも2階の娘の部屋の窓からサッシ自分であけてね、上手に開けるのよぉ、でね、娘の寝てる布団にね、ばさっっと飛び乗るんだわ、娘も驚いて目が覚めてね、サリーちゃんが来るときに限って目覚ましとめて2度寝してたりするときでね、」

と。母は申し訳ないと謝ったそうだが、「いいのよぉ〜猫好きだからぁ!」と気にもしてないようだったらしい。
その話を聞いてすごく笑った。いつの間にサリーちゃん!!問いかけてみたけどサリーは知らんぷり。

その後母と一緒にまた近所に引越ししたのだが(私も一緒)度々サリーが半日行方不明になるときがあった。心配した私はあちこち探した。見つけたのだ。。その「元、お隣さん」の家の玄関前に置いてあったダンボールで昼寝をしてるサリーさんを。。


鈴の音は悪魔を呼ぶ

  首輪の鈴で思い出した。前書いたかもしんないな。そんときはゴメンね。
 サリーさんは首輪をしてるが「鈴」はつけていない。本当ならどこにいてもわかるし「チリ、、チリン、、」と聞こえる音色が、これまた可愛いので好きなのだがね。首輪には鈴がついてるから、わざわざペンチで取るのだ。
 ずーーっと昔、サリーさんと出合って2年ほどの頃か。母とサリーはとあるアパートで暮らしていた。サリーさんは一人お散歩をよくしていた(今もだが)。で、行っても1時間ほどで帰宅するというテンポであった。そんなある日曜日、サリーは午前中に出かけたまま帰ってこない。「今日はのんびりでかけてるね」なんて母と言っていたのだが、時はどんどん過ぎてゆく。すでに陽も傾き始めている。これはおかしい。母はやはりもう1度近所を探しに行ったがやはり見当たらない。とアパートの前まで来たときにかすかに「ニャ、、、」と聞こえた気がした!母は「サリー!サリー!!」と呼んだ。だが、何も聞こえない。で耳を澄ましているとかすかに「ニ、、、」と聞こえる。どこだ!?すると何と細長い駐車場のワゴン車の「タイヤの真後ろ」にいたのだ。しかもカッコが変。なんとサリーさんは何者かに「首輪」を外され、その上その首輪で、「手足首」をひとくくりに縛られて、身動きが取れなくなっていたのだ。しかもギューギューと。そして動けないまま1日中そこにいたのだ。母はビックリしてすぐ首輪をほどいてあげたが、ずーーっとそうされていたので、まず動けなかった。しびれてるのか、すぐに立てない状態だった。そしてノドも圧迫されていたので声がほとんど出せない。余談だが母は後日「よくあれで聞こえた。」と自慢気だった。
でその場でマッサージをほどこし声をかけ安心させ、家に連れ帰った。しばらくすると元気を取り戻したサリーさん。なんともなくて良かった。
 だがね、その何者かは、サリーさんを縛り上げ身動き取れなくした後、ワゴン車のタイヤの真後ろ(タイヤにくっつけるように)にサリーさんを放置したのだよ。これはね、そのワゴン車が出かけるにはバックで出庫しないとならない駐車場だったので、ドライバーが気づかずバックさせたら間違いなくサリーさんは轢かれて死んでしまう状態だったのだ。その日は「日曜日」であった為、ワゴン車の持ち主はたまたま何処にも出かけなかったのだ。日曜で良かった。そして母と相談の結果、ネコは外を歩くとき足音はほとんどないので鈴の音がしなけりゃ「あのネコが来た!」と犯人に悟られないだろうと、鈴を取る事にしたのだった。
それ以来8年ほどサリーさんは「鈴無し首輪」で元気に過ごしている。
そしてワタシはその犯人を未だ許していない。


あっけらかんにも程がある

  ミリン(愛犬)のアトピーと、フィラリアのお薬をもらいに獣医さんに行ったのだが
かわいいわんこたくさんでした。
赤ちゃんわんこ(4ヶ月)がいて、、まぁチビちゃんって位だったんだど、
そのワンコがオシリんとこ毛、かられていて、小さな手術の後があって、腫瘍でも取ったのかしら?て思っていたら、知らない世話焼きオバサンが飼い主に「どうしたの?」て。飼い主さん「轢いちゃったんですーぅ」と。オバサンは「あらー!誰が?」飼い主「あたしが轢いちゃったんでぇーすぅ」と。オバハン、ちびわんに向かって「あれま!悪い飼い主だね!オバチャンがパンチしたげるね」とか言いつつ、その初対面の飼い主さんに向かって軽めのジャブを喰らわせてました。
もー全然平気で明るいトーンで「轢いちゃった〜」と言う飼い主にも、おばはんにもビックリ!

なんで「世話焼きおばはん」と判るのかと言いますと、来る客来る客にまるで「主」のような当たり前の顔で話かけ、診察室に入るのを嫌がるワンコの尻を軽めにペチペチしながら「ほらっ!行きなさい!ほらっ」とか言いつつお手伝い(?)したり、とにかく余計なお世話とも取れがちな行動をしていたからです。隣に座ってた女の人は突然オバハンに脈絡のない話題を振られて躊躇してました。

動物好きってオカシな人が多いなぁと自分のことも含めつつ実感したのでありました。
 


カゼ                    2002年09月28日

  今回のカゼで改めてサリーさんの偉大さを実感したよ。
ずーっと看病してくれてたよ。
今日になってかなり(私の身体が)ラクになってきたなぁと思ってたらね、サリさんも感じたのか、外には行きたがらないけど、家の中の好きな場所でくつろいだりして、いつもの(サリーのライフスタイル)ペースを取り戻しつつあるんだよ。
その前まで、ダルイダルイとやってたときは、お気に入りにも行かず、ただただアタシの枕元で添い寝してくれてたんだよ。絶対わかってるんだ。感じてるんだ。「ネーちゃん具合悪い」って。
 熱出てだるくて辛くて、、たかがカゼなのに心細くなるでしょ。そういうときに頭んとこに、あのイイ香りのモコモコ星人がいるんだよ。温い(ぬくい)生き物がいるんだよ。声かければ「にゃう」と返事するさ。なんて心強かったことか。すごく幸せだったよ。サリーっていいなぁ


サリー大好き                   2003年12月03日

  サリー大好き。
確かに最初はアタシが拾ってサリーの命を繋いだキッカケになったかもしれないけど、そのあとはサリーに助けられてばかりいる。

落ち込んでも淋しくても何があってもサリーは温かい身体を寄せて甘えてるかのように見せかけて実は私達を甘えさせてくれている。いつも精神的に助けられてるのは、私達の方のような気がする。
今ががんばりどきって時も結局サリーに元気づけられたりしている。
何かの時は甘えていいから、でももうしばらくの間私たちを甘えさせておくれね。がんばって大人になるから。
本当に大好きだよ。


現実として                   2004年10月10日

長年、家族、友達、みなさんに愛されておりました愛猫サリーが2004年10月10日、AM8:15に永眠いたしました。
昨年からの病気の発症により、約11ヶ月ほどの闘病生活でした。来月で14歳になるところでした。
今は安らかな表情で隣にいます。

まだ現実として受け止めきれておらず、いや、理解はしてるのですが、信じたくない、側に居て欲しい、そんな、、思いで、今は過ごしています。
 思えば家族のワガママをずっと聞きっぱなしの、そんなサリーでした。何もかもがサリーによって支えられてるほど精神的に頼り切ってました。
 本当に可愛がってくれて、愛してくれてありがとう。
最期にはちょっとだけ不思議なものをサリーは残してくれました。そのことについても追々話してみようかと思ってます。

どうかサリーを記憶の片隅に置いてやってください。

サリー!本当に本当に本当に本当に、どうにもならないほど、身をよじるほど愛してたよー!たくさん幸せありがとう!また会おう!

サリーが教えてくれた不思議                  2004年12月19日

*心霊?とかそんなつもりはないけど、そういうのを胡散臭いと思う人は読まない方がいいかもね。念のためね。

サリーが退院した晩、弱ってしまってるサリですが、少しでも写真に残しておきたいとデジカメで撮影してました。上の写真は夜中の2:30頃です。明るいのはキッチンの電器をつけてるからです。すぐ確認したところなんとサリーが透けてしまってるではないですか。後ろのカーテンも座椅子もおねしょシーツもすけすけです。これを見て驚きつつ「あぁ、サリーは連れていかれちゃうんだな、、」と覚悟したのでした。

そして朝。朝日が昇る前なので薄暗いのですが、サリーが旅立つ2時間ほど前に撮った写真です。家の中から窓の外を見てるサリーを頭の後ろから撮影しました。が、すっかり透けてしまい、窓に映るサリーの瞳も見えてる状態です。前の晩のサリーよりずっとずっと透けてるように思われます。

私は最初これを撮ったとき「うわっ!すごい、、こんなのってあるんだな!」て驚いてただけなのですが、しばらくして自分なりに理解したことがありました。おそらくこれは偶然なんかでなくサリーが自ら「魂」てものがあると教える為に「写させた」ものなんじゃないかと。

 サリーを溺愛してたのは本人も承知のことで、ただこのまま逝ってしまっては、わたし(ポン)が精神的に参ってボロボロになってしまう、、、と「魂」てものが本当に存在するんだよ。だから、物質的なものは消えてしまってもちゃんと傍にいるよ。一人じゃないよ。だから悲しまないでいいんだよ。。
ということを教える為にこんな写真を撮らせたんだ!と思いました。
「いや、悲しいからただ自分に言い聞かせるためだけの発想だよ」、、と人は言うかもしれませんが、私にはそう思えてなりません。

インチキなしの写真です。ただの偶然で物体が透けるってのはどーなんでしょうか?ちゃんとした化学的な説明がつくのかもしれないけれど、ともかく私はこの写真のおかげでかなり救われて、心の病にもならず元気に過ごしています。
最後の最後までサリーには頭が上がりません。素晴らしいニャンコに出会えて幸せ者です