「えっ、嘘。……くれるの?」 「ああ。俺の指にはもう、少し小さいからな」 掌の上にころんと転がる、死神様印。それはキッドがついこのあいだまで、両の中指にはめていた指輪。 なぜ私の手にあるのかというと、話せば長いことながら。ババ・ヤガーでキッドが、何故か私とパティに一つずつ預けていたそれを、なんやかやあったせいでずっと返せないままになっていた、という、聞けば短い物語だ。 やあっと返せるああ肩の荷が下りた、と思ったところでキッドはそれを辞退して。しかも、あろうことか、そのまま私達に持っていろと言ったのだ。 やったぁと無邪気にはしゃぐパティを横目に、私は少しだけ声を潜める。 「……ほんとに、いいのか?」 「ん? 何故だ」 なんか裏でもあんのか、と疑惑の目を向ける私に、キッドがきょとんとした顔をしている。 ……だって指輪っつったら古今東西、重要アイテム扱いって相場が決まってるだろ。しかも神様の持ちモンとか、尚更じゃん。 「いや、なーんかさ……コレ、持ってないと困ったりーとかって、ないわけ? ……例えばほらアレだ、死神様。呼べなくなったり、とか?」 いつもキッドが死神様を呼び出すとき結ぶ印。指を組む時、それが両の指輪を擦り合わせるような仕草にも見えたから或いは、と思ったのだ。 見た目よりずっと重いその指輪を、少し持て余し気味に転がしている私に、キッドが「それは違う」と小さく笑って見せた。 「あれは別に、指輪の力で呼んでいる訳ではない」 「なんだ。そーなの」 もしかして、あの舌を噛みそうな名前のスケボーを呼ぶときなんかにも使えるんだろうか、だったらちょっと便利かもな、なぁんて事も考えたのだけど。残念。 じゃあこの指輪、いったいどんな力を秘めてんだろうなぁと、摘んで光に透かしてみても、何かが見えるわけでもなく。 鈍色に光る、死武専マークのそれは、死武専購買では手に入らないものだ。 造形は単純だから、デザインを模しただけのレプリカなら、いくつか見かけた事はある。けれど、手にしてみてハッキリとわかるのは、圧倒的な密度の違い。指輪そのものがもつ、絶対的な深度。形だけを似せても決して手に入れることのできない『力』を、こいつからは感じる。 やっぱりものすごい値打ちモン、なんだろうな。……それを、アッサリ人にやっちまうってのは、どういう神経なんだろうか。ボンボンの気紛れ、なのかね。 裏に謎の文字が彫ってあったりもしない。鑑賞にも飽きて、再び掌中で転がしてみる。 こんなにしげしげと眺めたのは、初めてかもしれない。預かって以来、ずっと机の引き出し奥深くにしまいこんでいた指輪。……目にすれば、否応なく自己嫌悪に苛まれるのが、わかっていたから。 「……まあ。詠唱を補助する、という意味でなら。……それも指輪の力だと、言えなくもない、な」 「へぇ。便利アイテムじゃん。……サイズ直しとか、すりゃいいのに」 「できなくは、ないが」 「何? すっげぇ高いとか?」 「高いというか……そうだな。難しいんだ」 打ち直しもできないというなら、 もしか、私たち魔武器と近いモノでできているのだろうか。 「――……、」 口を開きかけ、けれど言葉は喉から出る前に掻き消された。ちらとその指輪を視界に映したキッドの目が、瞬間的に寂しげな色を宿したのに、気付いてしまって。 手放すことを、惜しんでいるふうではない。けれどなにか、言いようのない寂寞がそこにあった。 指輪の持つ何某かの力。 キッドを補助する力、――それはつまり、指輪を介してキッドに届く、死神様の力、なのか。 そう思い至った時、手の中のそれが急にずしりと重みを増した気がした。 もしそうなのだとしたら。あのババ・ヤガーで指輪を私達に預けたのは。万一の時、その加護が自分ではなく私達にあるように、ってことだったんだろう。 ――護られていたのだ。例えその手の届かぬ所にあっても。 改めて思い知る。私達が、手を引いてやらなければロクに前にも進めないはずの、キッドは。実のところもうずっと、そう、それはあのニューヨークの、薄汚い路地裏で出会った時から、既に。 常に彼は私達の前を歩き、有形無形に降りかかるものを払ってきたのだ、という事実を。 「リズ?」 「……ん、ああ。うん。でも、……重いんだよな、この指輪」 「そうか。俺は慣れているから気付かなかったが、確かに女性には、少し重いかもしれんな」 そうじゃない、と言いかけて、止めた。 感じる重さは、死神様の大きさだ。だから私達が受け止めるには、重い。 ただそれだけの話。 「大事なもの、なんだろ」 視線を掌の上に落とす。これはつまり、死神様の威光。キッドにとってはもう、必要のないもの。 何故かはわからないけど、ほんの少しだけ、寂しい気がするのは、職人の感情が伝播したせいだろうか。 未だ掌の上でころころと指輪を転がしながら、いいのか、ともう一度問いかける。 「ああ」 応えたキッドの声に、顔を上げる。私の目を真っ直ぐに見据えた金色の瞳が、笑っている。 「大事なものだ。……だからこそ、お前達ふたりに、持っていて欲しいんだ」 「……っへ」 虚をつかれて、間抜けな声が漏れた。 「道理だろ」 「キッドくん、気前いいー! おっとこまえー!」 明るい声で言ってキッドの首に抱きついた、パティの指にはもう、あの指輪がはまっている。……左手薬指だよ、躊躇ないなー。 「……む、パティ。薬指はいかん、緩いだろ」 「えー? でも、コッチにはめると愛の絆を深めるって言うよぅ」 「そんなものは、未来の夫にでも貰え。それより中指だ。協調性が高まる」 「そういやキッド君も、中指にしてたっけ?」 「何を今更言っとるんだ」 「……じゃあ、はめる指に意味なんかないんだね。つまんねー」 「どういう意味だ、それは。……いいから、手を出せ、ほら」 ぶーたれるパティの薬指から指輪を抜き取り、中指に通す。ぴたりとはまった指輪に満足そうに頷いたキッドが、標的を私に移して手を取ろうとするのを、慌てて振り払った。 ……恥ずかしいマネすんなっての、照れるだろが! この天然! 「っとに、この坊ちゃんは」 これからも頼む、だとか、さ。大事なことをさらっと言うもんだから、心の準備もできやしない。今までにないぐらい色気のないプロポーズだってのに、いままでで一番照れ臭い。 いずれちゃんとしたやり方を、教えてやんなくちゃいけないかもだな、などと思いながら。少しの呆れと諦念を溜息とともに流して、右手の中指に指輪を通す。 「これで、シンメトリー、だよな?」 パティは左手、私は右手。 並んで手を翳した二人を、見遣ってキッドがうんうんと頷いた。 「右手中指の指輪は、邪気から身を守る意味があると言うからな」 「オバケとか?」 リズには丁度いいだろう、などと相変わらず色気のない会話をしている二人をよそに、填めた指輪をじっと見つめる。 それは愛の証でも、未来を拘束するものでもない。けれどこの鈍色の重さは、私と私たちの隔たりを取り除き、そして繋ぎ合わせる何か、……そう例えば。絆、みたいなもの、なのかもしれない。 ……なーんてことを言うようなキャラじゃ、なかったハズなんだケドな、私は。 やけにセンチメンタルな自分と、なにか満足げな顔をしたキッドとがおかしくて、思わずくすりと笑いを漏らす。キッドにかかると、いつもこうだ。 いつのまにか自分の望むよう、世界をつくり変えてしまう彼はやはり、この世を統べる神なのだろう。 そして厄介な事に、そんなキッドによって否応なく変わっていく自分が、私は嫌いじゃない。……どころか結構好きだったり、するのだ。 |