の顔が好きだ



 どこが好きか、と聞かれれば取り敢えず「顔」と答えることにしている。

 何を切欠にしてか、時折思い出したように、本当に忘れた頃にそんな事を問う彼は、大概その答えを聞いてやれ即物的だの俗物的だのと鼻白んでみせる。
 今日もそうしてしばらく何かを疑うような目つきでじっと俺を見詰めたあと、「もういい」と不機嫌に顔を背けた。
背を向けシーツにくるまってしまったキッドを、そのままはいそうですかと放置して寝るほど俺も馬鹿じゃァない。
「怒んなよ」
 宥めるような言葉はけれど何を否定するわけでもない。俺はきっと、そんな風にキッドの拗ねる顔が見たくてこんな興醒めな、唯物論的な言葉を口にしてしまうのだろう。
 なあ、と囁いて耳元に軽く口づける。首を竦め、まとわりつく俺をうっとおしそうに払い退けようとするキッドの、手首を捉えて引き寄せ、白く滑らかな甲に軽くキスをする。それだけで、少し抵抗が弱くなるあたりが可愛らしいと思う。
 頬をそっと両手で挟み、斜めに伏せた瞳を覗きこむ。すらりと通った鼻梁に、漆黒に艶めく睫毛にキスを落とす。梳いた髪が指の間を通る感触をしばし楽しんだあと、形の良い額に、髪の生え際に唇を滑らせる。
「……す、ぐった、い」
 そこで漸く言葉を発した恋人に、にぃっと笑ってみせる。無言の勝利宣言に、キッドは何かを諦めたように小さく溜息をついて瞳を閉じる。まだ少し不機嫌に尖らせた唇に、ちゅっと軽い音をたててキスをすれば、薄く瞼を上げたキッドの方から、足りないとばかり強請るように唇を寄せてきた。



 気の迷いだと思ったのは最初だけだ。やがて時を重ね互いを知り、それが単なる錯覚ではないと気付かされても俺は長い事、その感情はもっと低俗な、性欲だとかそういったものの上に成り立つものなのだと信じていた。信じていたかった。
 美しさとは見せかけの形ではなく、 内部深くに宿る真実のことだ、などと述べたのが誰だったかは忘れたが。
 なまじ彼が人と同じかたちを与えられていたことが、その優れた造形が、脆く感じやすい体躯が心の目を曇らせたのだと。
 知った時にはもう、遅かった。たとえどれだけ醜悪であろうとも、たとえ人のかたちをしていなくとも、変わらずそれが愛おしいものだと感じてしまうだろうことを。知り得た時には遅かったのだ。既に俺は焦がれることをやめられない。感情の行きつく先に、幸福を見出すことができなくともだ。

「……ん、ソ、……ル、……っあ、」
 シーツを握りしめた掌を、そっと開かせて指を繋ぐ。不安げな表情とは裏腹に、名を呼ぶ掠れた声はもう甘く濡れていた。
 白く透けるうなじに喰らいつき、獣じみた荒っぽさで憑かれたようにその肌を貪る。
 でなければ、この夜を越えられない。何もかも忘れて、ただ情欲に溺れているのでなければ。

 恐ろしいのだ。己の意志を越えた何かに、否応なく持たされてしまう呪いのようなこの恋情が。恐ろしいのだ。自分がもはや、彼なしではいられないということが。恐ろしいのだ。……彼もまた、そうであったとしたら、と想像を巡らせる夜が。

 そんなセンチメンタルで、不毛で、極めてささやかな恐怖を全て、甘ったるくも切ない言葉に変え思考を落とす。


「愛してるよ」


 ――それは、弱さを塗り固めた嘘。