Heart of Winter


 待ち合わせなどしてはいない。ただ街で一番高いところへ、と思っただけだ。
 それはより遠くまでを、見通したくてのことかもしれない。死神の目をもってさえも、見えるはずのない異国の地の方角を、眺めるのにも飽きて死武専のテラスでひとり、キッドは小さく溜息をついた。
「…………」
 胸元に手を置く。スーツの内側で、かさりと紙の擦れる音がした。ソウルから届いたカードは、上衣の内ポケットにずっと入れたままだった。
 真っ白なもみの木のツリーに輝く金の星。開いてすぐに、立体に飛び出す繊細なクラフトワークに目を奪われた。雪の結晶のエンボスが美しい、シンプルだが意匠を凝らしたポップアップカード。 “Merry Christmas and a Happy New Year.” 定番の文句の下に添えた、走り書きの様な文字は端が少し滲んでいた。25日付の消印は任務地の物ではなかったから、トランジットの合間に急いで書いて、乾く前に投函したのかもしれない。

“早めに戻る”



(……嘘つきめ)
 年が変わる前には戻れるだろうから、と。新たな年の訪れを、二人で祝う約束をしていた、筈だった。
 広場の方角から歓声と爆竹の音が遠く聞こえ、花火が上がりデス・シティの空を鮮やかに彩ってからどれぐらい経っただろうか。日付はとっくに変わってしまっている。
 カウントダウンが終わってもしばらく、明るく賑やかだった広場から、聞こえる人々の声は徐々にボリュームを落とし、街の明かりがひとつ、またひとつと消えていく。喜びの催しさえ一瞬の幻であったかのように、街はひそやかに眠りにつこうとしている。
 厚い雲に覆われた夜空を、見上げて吐いた息が視界を白く染める。真冬の夜の空気は、肌を刺すように冷たく凍てついていた。

「? …………雪か」
 ちらちらと空に白いものが舞い始める。月の光も星の瞬きもない暗い空が、仄かに明るく見えたのはそのせいだ。なにげなく、広げた手の上にも、静かに舞い降りたひとひらの氷晶。閉じ込めるようにそっと指先で包む。開いた時にはきっと、掌の上にはなにもない。そう、分かっているのに。
 確かに手にしたはずの清らかな欠片、けれど触れた肌の温もりの中に音もなく消える儚さはまるで、

「――人の魂のよう、だな」

 背後から、抱きしめようとしてか、伸ばされた手が一瞬怯んだ。聞こえるように言ったのだ。ふん、と小さく鼻を鳴らしてキッドはくるりと振り返る。やりどころのなくなった両手を引っ込め、慌てたような顔をした恋人を、キッドは軽く睨んだ。
「遅い」
「…………悪ィ」
 こういう場面では言い訳するだけ無駄だと、経験から分かっているソウルは短く謝罪し、ばつが悪そうに人指し指で軽く自分の頬を掻いた。それでも急いでは来たのだろう。髪はいつもより乱れていたし、息も少し上がっていた。
「……まあ、いい。よくここだと、分かったな」
「飛んできた時にちらっと見えたから、…………つーか、寒くねェの?」
 一瞬ほっとしたような顔をしたソウルの、表情が訝しげなものになる。厚手のモッズコートを着こんだソウルとは違いいつもと同じ、黒いスーツ姿のキッドは、その頬も耳も、鼻の頭も少し赤かった。
「寒いに決まっているだろ」
 神だとて、暑さ寒さを感じぬ身ではないのだということは、ソウルにも分かってはいる。しかし平然とした風で言うからアンバランスだな、と思いながら彼はキッドの手を取った。白くしなやかな指先は、赤くかじかんで氷のよう冷たくなってしまっていた。
「いつから待ってたんだよ……」
「別に、待ってなどいない」
 そっけなく言ってふいと目を逸らす。拗ねているのだと察してソウルは苦笑を浮かべ、キッドの冷えた手の甲に軽くキスを落としてから、そっと両手で包む。
「遅くなって、ゴメン」
「……」
「ただいま」
「ん」
 おかえり、と小さく呟くように言って、やっと少し表情を緩めたキッドの、薄い肩を引き寄せ、ソウルは自らのコートの内側へと抱き入れた。体温を分け与えるように、ぎゅっと抱きしめる。それでも、芯から冷えてしまった身体を、温めるには少しばかり足りない。
「……なんか、こう」
「ん?」
「あったかくなるコトがしたいよなァ、……とか」
「そうだな」
 さらりと返ってきた言葉に、ソウルは驚いたような顔をした。自分で言っておきながら何だが、恋人はそういった提案を素直に容れるようなタイプではなかった、筈だ。
「戻って、温かい紅茶を淹れよう」
「……あー」
「なんだ」
「ナンデモナイデス」
 やっぱりな、と肩を落としたソウルの横顔を、しばしじっと見詰めていた、キッドの瞳が悪戯っぽく細められた。
「先に、熱いシャワーでも浴びるか?」
「………………。一緒に?」
 一縷の望みを掛けて、聞き返したソウルに、「さあ、どうだか」と楽しげに言って、キッドはその腕をするりと抜けだした。くすりと笑みが漏れたのは、恋人のぽかんとした顔が可笑しくてのことだ。一瞬の間のあと、追いかけるようにして伸ばされたソウルの手を、軽やかにかわしたキッドの頬に、舞い落ちる大粒の雪。髪に、瞼に、まだ赤みの残る鼻梁に、ふれたそれは確かに冷たくて、ああ、けれど何故だろう、こんなにも心を温かくするのは。
 雪が降る。雪が降る。しんしんと雪の降り積もる夜深く、明るい闇が満ちる中。
「ソウル!」
 愛しい人の名を呼ぶ。胸を満たす温かな想いは、歌うように唇から零れた。



――――May the new year bring you happiness!