Beautiful life



「安心したまえ。私が見届けてやろう」

 それは思いもよらぬ言葉だった。
 時が来たれば、全てのものを退け独り逝くつもりであった死神は、しばし言葉を失って、じっと盟友の面長に過ぎる横顔を見詰める。
「……」
「ぬ? どうした」
 この、およそ他者を理解することのない、否、仮に理解していようとそれを決して見せることのない、エクスカリバーが。
 世界の行く末を、見定めるとの約束をするために。
 あるいはかつての友の最期を看取るために、赴いたのだとでも言うのか。
「最期の最後がキミと二人かぁって、思っただけだよ」
 そんな感慨も、見せず常と変らぬのんびりとした口調で言った死神に、聖剣はさもありなんといった様子で深々と頷いてみせた。
「感動にうち震えるあまり言葉が出んか。そうだろうな。長く永い旅路の果ての最後のひとときをこの私と過ごせるのだ、無上の喜びを感じて当然であろう。かつての職人王・アーサーも言っておった、最期までこの私と共に在れたことを誉れに思うと。そうあれは私の伝説の中でも最も輝かしい時代、いや、もしかしたら人によっては二番目に輝かしかったと言うのだろうかな? しかしながらそもそも存在自体が光であるこの私の伝説に、そのような順位付けなど無意味な行為だと、そうは思わんかね。つまり」
「……つまりアンタは誰といてもどこにあっても、その最期の最後までお喋りであることは止めなかった、ってことだね」
「ふん」
 溜息混じりの言葉に、くるん、と手にしたステッキを一回転させてエクスカリバーが黙る。彼の傍らにある死神の、ひび割れた面がついと上がったから、つられるようにしてエクスカリバーもまた視線を上げた。
 どこまでも青く澄んだ空。穏やかに流れる白い雲。果てまで続く荒野に無数に連なる物言わぬ墓標。世界の秩序、世の規律を反映するというデス・ルームは、しかしいつもとなんら変わらぬ様相でそこにある。
「悔いはないのだな」
 平穏は、彼の心のありようを表すようで。
 独り言めいた問いかけに、応えて死神は軽く頷いた。
「そうだねェ」
「今は何を考えている?」
「キッドのことを」
 ピシリ。
 彼の面に小さく亀裂が走り、音もなく破片が舞い落ちる。
 現死神の存在を吸いあげる『新しき死神』。遠く月面で、いままさにその時を迎えようとしているキッドを、伝えきれなかった全てを知らされたであろう我が子のことを、思って死神は静かに言葉を紡ぐ。
「あの子はもう立派な死神だ」
「フム」
「神としての彼を、支える友もある」
「お主とは違ってな」
「一言余計だなァ」
「まぎれもなく真実だろうが」
「…………まあね。だからさ、何も心配はしていないんだけど」
「けれど、何だ」
 訪れたしばしの沈黙を、エクスカリバーは背高帽の角度を直すふりなどしながら、ただ無言で待った。

「もう私はあの子の事を、一番近くで見ていてやることはできない」
「そうだな。お主は死ぬのだからな」
「改めて思うと、ほんの少しだけ、……恐怖とは違う、けれどそれに似たなにかが私の中にもあることに、気付くんだよ」
「そなたの中にはもう、恐怖は残ってはおらんのだろう」
 手にしたステッキで、クイ、と自らの背高帽を押し上げたエクスカリバーに、応えて死神は頷いた。
「感傷か」
「そうかもね」
「まるで人の子のような事を言う」
「『親』になるとさ。変わるもんなんだよ」
 ふと言葉を切ったのは、彼にとり、もう一人の『息子』とも呼べる分身たる存在を、思ってのことだ。
  “あれ”との間に、築きえなかった絆。
 親と子。
 そのような関係を選んだのは、先の過ちを繰り返さぬため、それだけであろうか。新しき規律を築く礎となるため不完全であらねばならなかった『断片』への憐れみ、それだけであったと言えるだろうか。
 死神の視線がふと下がる。規格外に広い掌を、開き無言でじっと見詰める。
 人の子と、同じ姿を持って生まれおちた我が子は。
 いつかのキッドは、それこそ片手の掌の上に乗るほど、小さかった。
「私は」
 ぽつりと、呟くような声は低く、けれども不思議と真っ直ぐに、聞く者の耳に届く。
「…………私は、あの子にあまり多くを、与えてはあげられなかったけれど」
 嬉しくてね、と。
 言った死神の、ところどころ欠けた面が、確かに笑った。
 子と呼び、そして父と呼ばれて。人の子のするよう、親として接し愛情を注げば、彼も応えて素直に愛情を返してきた。その存在は確かに、神である自身の中に、それまで持ち得なかったなにかを、萌芽させるものではなかったか。
「こうして感傷に浸れることが。あの子と過ごした日々の全てを、思って胸を痛めるこの時間が」
「……」
「嬉しいんだよ」
 己の言葉を噛み締めるよう、繰り返し言う。
 誰よりも真っ直ぐな気性、何よりも真っ直ぐな視線。どうしようもなく神経質に育ってしまった我が子は、人一倍、よく泣いた。そしてそれ以上に、よく笑った。
 もう見ることはないのだろうその笑顔の、太陽のような眩しさを思う。
「私はあの子から、沢山のものを与えられていたんだなあ、って思えて」
 それがたとえ、痛みを伴うものだったとしても。
 重ねた時を振り返る時、彼の胸のうちには確かに、喜びと形容されるべきものがあった。

「ふん」
 ついと目を逸らしたエクスカリバーは、まるでそんな事には興味は無いとでもいうような素振りで、軽く鼻を鳴らす。
「で? 貴様はいつ死ぬのだ」
「待ってるみたいに言わないでよね」
「ヴァカメッ! この私を退屈させるなと言っておる!」
 こんこんこんと容赦なく面を小突くステッキの柄を、心底迷惑そうに退けた死神は、やれやれと言った風で小さく息をつく。
「退屈かね」
「……お主が昔話をしたいというなら、聞いてやらんこともない程度にはな」
「昔話?」
「無駄に長生きをしてきたのだ。幾らでもあるだろう」
 好きに話すがいい、と背を向けたエクスカリバーの、彼らしくもない配慮を察して。
「ムダって、…………ほんと、アンタは一言も二言も余計だよねェ」
「知恵も言葉も足らぬお主らよりも、いくらも上等だと思うがな!」
 エクスカリバーの罵倒じみた言葉を、「そうかもね」と流し死神は、ふっと溜息のような笑みを漏らした。


「それじゃあ、お言葉に甘えて」

 ・

 ・

 ・

「………………ところで、貴様はいったいいつ死ぬつもりなのだ」
「え? あ〜〜、そのうちじゃないの? まあまあもうちょい待ちなさいよ、こっからがイイトコなんだから……それでね、こう滑り落ちちゃったキッドは勿論私が超速で追っかけてってさァ。キャッチしたんだけど危うく地面に叩きつけられるところで」
「……」
「ホラいくら頑丈にできてるって言っても幼態でしょ? もーホントあの時は、正直肝が冷えたって言うか」
「…………」
「でも、でもね、こうしょんぼりした様子でさ、『ちちうえと同じように飛べるとおもったのに』だなんてかーわいらしいこと言うもんだからもうね! コラッ、って言いたいのに、親としてここは叱らなきゃいけない時だって分かってるのにど〜〜してもできなくってね……そのころからすでに私は、規律としては不完全だったのかもしれないと、いまにして思えば」
「………………」
「でね」
「お主を見ていると、死ぬ気などまるでないように思えるのだが気のせいか?」
「やだなァ、なに言っちゃってんの。そんな訳ないでしょ。ホラ、こういう話があるじゃない。麻酔がなかった時代にはね? 痛みを感じさせないように、ってんで患者に碁をうたせてさ〜、熱中してきた頃を見計らっ」
「ええい、くだらん薀蓄などいらん」
「あ、そう。じゃキッドの話の続きを」
「……………………」
「〜〜〜♪」


 ほう、という聖剣の呆れたような溜息も、憂いの表情もまず見ることのないある意味貴重なものだ。己のステッキを数度ぐるぐると苛立たしげに回転させたエクスカリバーは、やがてその持ち手を死神の面にビッと突きつけた。
「この私をここまで沈黙させ得るのは、お主ぐらいのものだ」
「褒められてんのかねェ、それは」
「知らぬな。判断は次代の死神がするであろう」
「キッドがかい」
 ごく自然に死神の口をついた名前に、エクスカリバーは微かに目を眇め、背高帽を深めに被り直した。それは規律を制するものが彼であると信じて疑わぬ、彼の息子に対する信頼のあらわれでもあった。
「お主の親馬鹿ぶり、伝えておこうぞ」
 エクスカリバーの申し出に、死神の言葉が途切れる。
 この聖剣をとことんまでに嫌う我が子が、一体どんな顔でその話を聞くのだろうか。
 彼の語るであろうその、壮大で長大で仰々しく大袈裟な口伝は、怒りと呆れとが先行し感傷に浸る間さえも与えないような、幾分愉快なものになるだろう気がして。
「そうだね。……頼むよ」


 くす、という笑みとともに。
 ごく小さな破片がはらりと、死神の仮面の目元から、零れ落ちたように、見えた。