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アルコールの過剰摂取が魔武器とその主に及ぼす影響あれこれ ■■
04
「……――んー」
眠ったかと思うほどに静かだったソウルが、膝の上で小さく呻いた。
身じろいだ拍子に、頭でぐりぐりと内腿のあたりを押される感触が擽ったい。
「ク、……やめんか、こら」
笑いそうになるのを堪え、眩しげに瞬きをするソウルに「起きたか」と声をかける。目を眇め、じっとキッドを見上げたソウルの、その頬は未だ赤く、瞳はまだどこかぼんやりと虚空をさ迷っているように見えた。酔いが完全に醒めたわけではなさそうだったが、それでも起きる気にはなったのか。んんー、と床に手をつき、ソウルは頭をのそりと持ち上げた。
「……。なんだ?」
かと思えば、鼻先が触れあいそうな至近距離で、キッドの顔をじいっと見上げてくる。
目は充血してはいなかった。酔いのせいで潤んだ瞳が、熟れた柘榴のよう艶やかな緋色をしていて、それまでの鬱屈もなにも忘れ、美しいな、と思った。
こんな間近で見ることも、そうはない。
考えて、その数少ない場面に思い当たり、じわりと頬が熱くなった。ここまでの接近を許すのは、例えばキスをする時、ぐらいだ。
「な、にか、あるのか……じっと見て」
発した声が少し上擦ってしまった。さりげなく、顔を背けようとしたところで、ずいとさらに距離を詰められて、それも叶わなくなる。
「め、が」
「…………メガ?」
「キレーだなァーって」
「ん、」
瞳が綺麗だ、と言いたいのだろうか。胡乱な言葉を脳内で翻訳しているうちに、ソウルの手が頬に伸びてきた。顔の輪郭を、確かめるように辿った指先が左の瞼に触れると、ソウルは歯を見せてにいっと笑う。二人して、同じことを考えていたのかと思うと同時に、まるで宝物を探り当てたかのような無邪気さで笑うさまに、胸がきゅうっと締め付けられた。
「キーッド」
なんだ、と応えるより先に、ソウルの唇が動いた。
「すきだ、キッド」
不意打ちもいいところだった。たった三文字、けれどなによりもストレートな愛の告白は、それなりにキッドを動揺させた。あまりにも乱暴に、奔放に、自由に、ざっくばらんに、胸を裂いた。え、とかう、とか言葉にならない断片的な音が、咽喉に詰まってなにも言えないでいるうちにもう一度、確認するみたいに、すきだ、とソウルは繰り返した。
「すきだ」
「……わ、かってる……」
それだけ言うのがやっとだった。だって、普段はそんな事、滅多に言わない癖に。そんなことを考え、目を伏せる。
知っている。言わずとも分かっている、だなんて言い訳に過ぎないのだということを。口にできないのはきっと、その言葉の持つ重さと面映ゆさとから、互いに目を逸らしてしまうせいだ。
相変わらずへらへらとしまりのない笑みを浮かべながら、「なあ」とソウルが問いかけてくる。
「おまえは?」
「なにが……だ」
問い返すも、ソウルは無言でただじいっと見上げてくるだけだ。
ずるい奴だ、と思う。
たった一言で。何故と問う事さえさせてはくれない。待つことの寂しさも、勝手な振る舞いへの憤りも、擦れ違うことの不安も、すべて忘れさせてしまう。酔いというものの持つ無責任さを味方につけたうえでの言動なのだと、分かっていてもじわりと胸の奥が温かくなる。そんな自らの単純さに、呆れさえした。
「……俺だって、同じだ。お前が、好きだ」
どうせ明日にはきれいに忘れてしまうくせに。
それでも、素直な気持ちを返してやれば、ソウルの眼差しは明らかに緩み、その顔全体に喜色を滲ませた。キーッド、と先程と同じに間延びした声で、楽しげに名を呼んだかと思うと、その指先がさわりと首筋を撫で上げた。すきだ、と息を吹き込むように囁かれ、思わず首を竦めた、キッドの耳元でくつくつと笑う声がした。
何が可笑しいんだ、と。
「……んっ……」
問うかわりに、鼻にかかった声がキッドの唇から漏れた。己のそれを、羽根のように軽く、掠めていったソウルの唇が、すきだ、と繰り返す。呼気にはまだ僅かに、アルコールの臭いが漂っている。
「か……らかうな、ソウル、」
肩を掴んで押し返そうとした。なにしろここはリビングでも、私室でもない。いつまでも、こんなところで絡みあっているのはおかしい。シャワーでも浴びてさっさと寝るべきだ。
並べたてた正論は、右から左へと抜けているのか。唇に、瞼に、頬に。ちゅ、ちゅ、と啄むようなキスを繰り返しては、ソウルは愉快そうに笑ってみせるばかりだった。
「……ソウル! いい加減、にっ」
言いかけた言葉を遮るようにして、唇を塞がれた。すぐに離れるか、と思われたそれは、今度はより深く重ねられ、唇を割ってぬらりと熱い舌が入り込んできた。それまでの軽い、挨拶程度のキスではなく。より深く、貪るような口づけに、次第にじいんと痺れるような酩酊感に支配され振り払う事ができない。
「……んん、」
どれだけ身勝手なんだ、と憤りを覚えながらも、身を起こさねばという意志が薄れていく。唇を離した後も、ふわふわとした浮遊感が身体を包み、ソウルの肩を掴む手指の、力が次第に弱くなる。まるで、口移しで酔いを伝染させられたかのようだ。
「いーニオイ、すんな」
首筋に顔を埋めたソウルが、人懐っこい犬のように、すん、と鼻をひくつかせた。先程シャワーを浴びたせいか、とぼんやり考えたところで、項のあたりに押し当てられた唇の、ぬるい感触に気を取られた。
「いっつもさー……」
ちゅぱ、と音がして、唇が離れる。自分の吸いついたあとを、確かめるようにじっと見たソウルは、一度不満げに鼻を鳴らして、再度同じ場所に唇を寄せてきた。
「いっ……つ、…………何を!」
今度は痛みさえ伴うほどに強く吸う。軽く歯を立てながら何度か、同じ場所を強く強く吸い上げる。繰り返されるほどに、こそばゆさと同時にじんじんと熱をもって疼いてくるのが、不快なような、そうでないような奇妙な感じがした。
もう止せと、引き剥がそうとしたところで自発的に顔を離したソウルは再びキッドの首筋を見、満足げに笑った。
「……うまそーだなァって」
「何言っ、」
きっと赤く痣になっているであろうそこを、べろりと舐め上げられて身震いした。そのまま頸動脈に沿うようにして、先程の激しさとはうって変わった愛しむような、慈しむような柔らかなキスを降らせる。唇が肌に触れるその度、ぞくぞくと甘い感覚が背筋を舐め、身体がふるりと震える。
「ひぅ、…………っく。……、…………、ぅう」
擽ったさと、それ以外の何か甘さを伴う感覚との狭間で、あがりそうになる声を必死で堪える。知らず握りしめていた拳に、ソウルの指先がそっと触れ、そのまま甲をするりと撫でられて力が抜けてしまう。
がくん、と身体を支える肘が崩れたのを、見計らったようにそのまま床に押し倒された。
絨毯越しに、背に感じる床の感触が固い。無遠慮に圧し掛かられて、抑えつけられた肩が重い。天井を背にした、ソウルの表情が見えない。一つ一つは些細なそれが、相俟って妙な不安を掻きたてる。
「ソウル」
呼びかけに、応えるようにソウルが口元だけを吊り上げて笑った。唇は笑おうとしているが、目はそれに抵抗している。赤い瞳は半ば酔いに蕩け、それでも確かに自分を見据えている。
無垢と傲慢、その両極をない交ぜにしたような、今まで見たことのない色に。
射抜かれて、頭の芯の部分がじわりと熱くなる。
「――……っても、いい?」
聞き取れず、数度瞬きをしたキッドの身体が強張る。キスを迫る時のよう、詰められていく距離が、何故だかいつもとは違うような気がして。
咄嗟に押し留めようとした手は軽く絡め取られた。交わる吐息は、甘やかさと同時に別のものを孕んでいる。ざわりと総毛立つ感覚がした。理由もなく不安に押しつぶされそうになって、緊張に息を飲んだキッドの上に、ソウルの身体が覆い被さってくる。
「待、…………ソ、……ル! ……っ、………………?」
何か得体のしれない感情に支配されそうで、思わずぎゅっと目を閉じる。
そのまま数秒が過ぎ、しかし圧し掛かる重みが何をもたらすでない状況に、疑問を感じてキッドは薄く目をあけた。
ぐんにゃりと脱力したソウルの身体は、折り重なった体勢のまま動かない。おい、と軽く揺さぶるも無反応で、代わりに規則的な呼吸音が返ってきた。
「ソウル……、…………寝ている、んだな?」
肩を揺さぶり、頭を軽く叩き、完全に眠りに落ちていることを確認してキッドは大きく息を吐いた。張り詰めた緊張が緩んでどっと疲労感に襲われる。身を起こすのも億劫で、床に身を横たえたまま、はああ、と魂まで抜けそうな溜息をつき天井を見上げた。
「……なんだというんだ……まったく」
この酔っ払いを部屋まで運ばねばならないな、と、分かっていても何故かもう少しだけ、こうしていたくて。ぽん、ぽんと白銀髪を軽く撫でたあと、身体ごとぎゅっと抱きしめる。ひやりと冷たい空気のなかで、圧し掛かる重みが温かい。
(温もり……か……)
酔いは心の箍を外すものだ。普段あれだけ、クールを信条としていながら、子供のように甘えてきたソウルが、欲するのはそういった、温もりを交わすこと、なのだろうか。潜在的な願望を、覗き見てしまったような感覚に少し、胸がざわつく。
好きだ好きだと一方的に言いながら、縋ってくるソウルの様を思い出して少し笑い、触れた唇の熱さを思って頬を赤くする。ひたむきさがいじらしいだなんて、絆されてしまいそうになる。
傍にいて欲しい。自分だけのものでいて欲しい。ただそれだけの、単純な願いだ。叶うなら、自分が何かを与えることで、それが叶えられるのなら。なにもかも、全て与えてもかまわない、と思う。
過去を分けあい、今を与えられながら、未来の全てまでを望んでしまう、貪欲を。
それで赦して欲しい、――だなんて。
「好きだ、……お前のことが。誰よりも、なによりも、好きだ、ソウル」
呟けば、ふっと身体が浮くような頼りなさを覚えた。好きだ。たった三文字、ひどく軽く、呆気ないように思えたその言葉は、吐き出してみればこんなにも重いものだったか。
不意に心もとなくなって、何かに縋りたくなって、穏やかな寝息を立てるソウルの身体を、キッドは強く掻き抱いた。
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