「あ。キッドじゃない」
陳列棚に詰まれた枕の位置を左右対称に並べ直していたとき、聞き知った声に呼ばれて振り向いた。肩口で蜂蜜色のツインテールがふわりと揺れて、斜めに覗き込んできた大きな翠色の目が俺を見返す。
「マカ。お前も、買い物か」
「うん、今終わったとこ。部屋のカーテンを変えようと思って買いに来たの。キッドは?」
胸に紙袋を抱えたマカは、フロアに設置された寝具の数々を眺め、あのベッド可愛いなぁなどと呟く。
「俺は枕を新調しようと思って来たのだが、良い品がなかなか見つからなくてな。どれもこれも微妙に誤差があって、同じサイズの物を二つ見つけられない」
「あー、枕…だしね…ぴったり同じサイズを見つけるの、ちょっと難しいかも」
マカの言う通りだった。もう小一時間も手当たり次第にメジャーで枕のサイズを測り続けているが、どうしても希望する品に巡り会えない。
真剣に枕をひっくり返す俺に苦笑したマカが、ついと顎に指を当てて首を傾げた。
「ソウルの誕生日プレゼントを枕にするの? だったら一個でもいいんじゃないかなぁ」
「えっ――?」
誕生日? ソウル、の?
「ゴメン、恋人へのプレゼントが枕なわけないよね」
マカは返答に詰まっている俺に気付くと、決まりが悪そうな表情で口元を押さえる。
「あれ? 二人が付き合ってるのは内緒、だった?」
「いや……内緒…というほどでは…」
「だよね、雰囲気で判るもん。本当は明日、みんなで誕生日パーティーしようかって話してたんだけど、あいつのことだから恥ずかしがって逃げそうじゃない?」
確かに誕生日を吹聴するタイプの男ではないがしかし、だからと言って俺にまで黙っているというのは、どうにも解せない。パートナーのマカはともかく、今の口振りだと俺以外の誰もが知っているという意味に聞こえるではないか。
「でもほら一応あいつには世話になってるし、プレゼントくらいは、さ。当日に渡しとこうかなと。私の時には十倍返ししてもらうんだもん。気合入れて選んじゃったよ」
「マカはいつでも逞しいな…」
「なにそれ。逞しいって、女の子に言う台詞?」
口を尖らせつつも、くすくすと笑い出したマカに調子を合わせながら、俺はソウルと二人で校舎から見おろした、夕焼けに包まれる街並みを思い出していた。
だらしなくテラスの柵に肘を付いていた男は初め、呼び出した俺に当たり障りの無い天気の話を持ち出した。
デスシティーは、あまり気候の変動が無いとか何とか。律儀に答えた俺を橙色の照り返しの中で眩しそうに見つめ、話のついでとばかりにポツリと真の用件を告げた。
俺は口を開け放したまま、眼前の男の髪が砂を含んだ風に吹かれて揺れるのを見つめるばかりで。
何も……求められた言葉は何も、出てこなかった。
砂粒を嫌い細められていた目が、困ったように俺を捉える。
「やっぱ、俺じゃ…ムリ?」
表面的には微苦笑を浮かべていたけれども、少し声が震えていたと思う。ほんの僅かに俺より低い目線もまた、彼の心境と呼応して揺れ動いていた。
互いの立場や存在。それらを考慮すれば、告白するだけで相当な勇気が要ったことだろう。関係が破綻するかもしれない賭けを、怯えながらも実践した強靭な意思に惹かれたのは確かだ。
だからといって、決して同情などではなかった。あの時の質問へ、俺が首を横に振ったのは。
「んじゃまぁ、なんつうか…宜しく」
一瞬呆けはしたが、すぐさまいつも通りの斜視に構えて右手を差し出され、俺はそれを黙って握り返した。
これまでのような友人ではなく特別な関係を始めるにあたり、握手を求めるというのが彼らしいのかそうでなかったのか。ぼんやり考えていた俺の前で屈んだ当の男は、前触れもなく手の甲に軽く口づけてきた。
つい、口慣れた罵倒を浴びせて手を引っ込めた俺に、肩を揺らして笑った顔が本当は、夕焼けよりも濃い朱色に染まっていたことは黙っておいてやった。
そのあと二人で所在無く夕刻の空を眺めた日から、ひと月と過ぎていないというのに。
何故俺だけが、明日のことを知らされていないのだ。
***
夕飯の準備があるというマカと別れ、湿った気分で屋敷へ帰り着いた俺の目前は、いきなり真っ黒な物体に阻まれた。
「なんだ…コレは……?」
扉を開けたまましばし玄関ホールに立ち尽くす。行く手を塞ぐシンナー臭を漂わせる壁面に沿い、ゆっくりと首を曲げてそれを見上げた。
男性にしては白い肌。闇よりも暗い漆黒の髪には、三本の線が横に走っている。そして異様に目つきの悪い金の虹彩が、じっとりと壁を睨みつけていた。
「お…れ…?」
屋敷の玄関ホールを陣取り、脳天が天井にまで届こうという巨大な物体は、紛れもなく俺≠セ。
ドサリ――と、手にしていた紙袋が床に落ちた。作業に没頭していた二人が顔を上げ、呆然と自分を見つめていた俺に手を振ってくる。
「おかえり、キッド君」
「お帰りー」
「……一応聞いておくが、これはもしや」
自分が辿り着いた結論とは全く異なる答えを期待して、土台のコンクリートを均していたレーキを放り出し歩み寄ってきたリズへ確認してみた。
「ソウルの誕生日プレゼント」
やはりそうなのか。他に俺を作る理由が思い当たらんしな。
「よく出来てるだろ。パティの力作だよ」
リズは自慢気に胸を張り、妹の傑作(俺の脛)をバンバンと叩く。音からすると中は空洞のようだ。
「あ、ああ…そうだ、な」
つくづく…アンシンメトリーな自分の姿を再確認して倒れそうにはなっていたが、こんな巨大な物を製作できる、いや製作する根性は賞賛すべきだろう。しかしあの狭いアパートの何処へ運び込むんだ、これを。それ以前に分解しなければ屋敷から持ち出せまい。いやその方が迷惑な贈り物を渡さなくて済むというものか。
「えへへへー」
当たり前だが、俺の杞憂など何処吹く風。褒められたパティは大口を開けて緩い笑いを浮かべ、片手にペンキ缶、片手にハケを持ち、機嫌が良さそうにスーツの色塗りを再開する。
「ホントはさ、等身大にしたかったんだけど。思春期の青少年には、やっぱマズイかなって」
「べつに、拙くなどなかろう」
どうしてそう下らない方向にばかり気が回るのだ! どうせ気を回すならば、髪の三本線を綺麗さっぱり消してくれれば良いものを。
気恥ずかしさに俯いた俺の脇腹を、何とも言えない含み笑いをして小突いたリズが、目敏く足元の紙袋に気付いた。
「キッドはプレゼントに、なに買ってきたんだ?」
「いや俺は……こら、リズ! 止さんか!」
止める間もなく、奪った紙袋の中身をむんずと取り出したリズは唸り、片方の眉を上げた。
「枕……? う、わ。露骨に誘ってんなぁ」
「誘ってなどおらん! これは俺の枕だ!」
なんだ、等身大キッドでも良かったじゃんと、けだるくボヤいたリズから枕を奪取して、熱くなる顔を隠し一目散に自室へと逃げ込んだ。
***
カチリと時計が針を進めて、日付が変わった。
ベッドに寝転がり新しい枕を胸に抱いて、星が煌く夜空へ届かない祝いの言葉を呟く。
「誕生日おめでとう。ソウル」
おめでとう。もう一度呟き、枕へ顔を埋める。
デスサイズ。その名に相応しく、最も効率良く死神の力を引き出し行使できる武器。
それが魔鎌だ。
つまり死神の魂は、魔鎌であるソウルに惹かれて当然だった。
彼個人に対して焦がれた思いを持っている訳ではない。そう冷静に、自分の感情を捉えてきた。
だが俺の中を流れる止め処ない熱情は、仲間達と過ごしている時、教室で授業を受けている時、放課後の帰り道に校舎を振り返った先で、常にソウルの姿を追い求めている。
この気持ちを俺が口に出したことはなく、もちろんソウルに伝えるつもりも全くなかったのだ。それなのにどうしてソウルは、俺が好意を寄せていることに勘付いたのか。いや知っていて俺を選んでくれた訳ではなかったのだろう。だとしたら俺たちの関係は、純粋に魂同士が惹かれ合った結果だと考えられはしまいか。
しかし俺だけが、ソウルがこの世界に生を受けた特別な日を教えて貰えなかった。とっくに知っていると思って言わなかったのか? まさか恋人というのは、俺の勘違いではなかろうな。もしもそんな事実を突きつけられたなら。
俺はこれから先ずっと、何事も無かったかのように、ソウルの前で笑顔を保ってゆけるだろうか。
「ええい、一人で悩んでいても埒が明かん!」
いつまでも悶々と過ごすくらいならいっそ、真実を聞き出してしまえ!
と、翌日の朝に気合を入れて登校したまでは良かったのだが、教室に肝心のソウルの姿が見当らない。マカに居所を聞いても椿とのお喋りに夢中だったらしく、空気のようなパートナーの動向にまでは気が回っていない様子だった。
となると。ソウルが居そうな場所で俺が思い当たるのは、一箇所しか残されていない。
授業開始のチャイムが鳴り響くなか教室を出た俺は校庭へと向かい、難なく木陰で寝そべっているソウルの足を発見した。
けしからんことだが、度々授業をサボり、ソウルはここで昼寝をしている。そして気が付けば俺は怠け癖を叱責するどころか、居眠りに没頭するソウルの傍らで共に時間を過ごすのが習慣になりつつあった。
本当に、いつの間にか。この男に心が占領されている。
「ソウル…本当に、眠っている…のか?」
返事は無く、緑の草叢で気持ち良さそうに眠るソウルの隣へ腰掛けて、木漏れ日が輝きを放ち、宝石のような光の模様を描いている白銀の髪を、さらりと指先で掬い落とした。
「……おはよ、キッド」
「すまん。起こしてしまったな」
手のひらの下で身じろぎしたソウルが、眠そうに欠伸を零して起き上がる。後ろ髪から肩にハラリと落ちた若草の切れ端を抓んだ俺を、能天気な寝惚け眼で眺めていた。
「ソウル。俺は――」
お前にとって何なのだ。そんな女々しい台詞を吐き出しそうな口を閉じ、怪訝に首を傾げたソウルの乾いた唇へそっと重ねる。
互いに身を硬くし、息を止めて。
感触も良く判らない、初めてのキスを交わす。
ほとんど触れていただけの唇を離すと、鼻先のソウルが瞠目して俺を見ていた。
驚かれて当然だ。許可も貰わぬうちに、俺の我が儘で触れてしまったのだから。
「えっと…お誘い?」
続けて、夢か? と低く呻き頭を掻くソウルを、俺は震える胸を抑えて深呼吸しながら、まっすぐに見つめた。
「ソウル。俺にだけは嘘を吐くな。隠し事をしないで欲しいと…願っても、構わないだろうか」
「…俺、嘘なんか吐いたっけ?」
「今日は、お前の誕生日なのだろう? 何故俺にだけ、隠していた」
つかのま目を泳がせたソウルは、ああ、そっか…と溜め息混じりにボソボソと呟く。
「や、隠してたとかそんなんじゃ…今さら誕生日に浮かれるのもなんだし、お前が付き合ってくれるだけで充分だったつうか」
ソウルは木の幹に背凭れて苦笑し、折り曲げた指であやすように俺の頬をなぞる。
「たぶん、俺さ。お前の隣に居場所をもらえて、満足しちまったんだろな」
「では共に時間を過ごすだけで、充分なんだな?」
その問いに黙考したソウルは首を左右に振り、頬にあてていた指先を俺の唇へと這わせる。
「まさか。すげぇ、欲しい…」
強請るような掠れた囁きに引き寄せられ、再び合わせた唇を何度か啄ばんだ俺を見つめ、ソウルは殊のほか嬉しそうに目尻を下げる。
「本当に、俺が欲しいか? ソウル」
「当たり前だろ」
「ならば、誕生日プレゼントに俺をやろう」
間近で息を飲み、険しく目を細めたソウルに手首を掴まれたと思った途端、俺の視界は回転する。背中に軽い衝撃を受け、逆光の中で瞼を押し上げれば、真剣に見おろしているソウルの血ほどに紅い瞳が猫のようにきゅっと収縮した。
何だ、こんな表情も出来るのか。
普段とは違う引き締まった顔を見せ付けられて、ドキリと胸が高鳴る。俺の腕を握っている細い指が一段と締めつけを増し、ソウルがゴクリと咽喉を鳴らした。
「さっきの嘘だ。ホントは俺、メチャクチャお前に触れてみたかった」
ソウルの吐息が肌を撫で、情熱的に求めてきた唇が、欲望のままに俺を翻弄する。
「そ、ソウル、まっ…」
奪われ続ける呼吸の合間に留めても、ソウルの手は毟り取るように上着を捲り、シャツの下へ潜り込んでくる。慌ててソウルの顎を手のひらで押し上げ、身を捩った。
「こ、こら何をしている!」
「何って、くれる、つったじゃん」
「そういう意味ではない! あくまで心の問題であって、」
ソウルは逃げる俺の肩を草の絨毯へ押さえつけて、組み敷いた身体に視線を這わせる。
「けど、このままじゃ服が汚れるか。どうすっかなぁ」
「何もしなければよかろう!」
「ええぇぇえ〜。せっかく盛り上がってんのにぃ?」
「ええー、ではないわ。無駄に語尾を伸ばすな。大体、こんな所ですることか!」
「場所なんて、どこだっていいんじゃね? 愛し合えるなら、さ」
耳元で息を吹きかけ笑ったソウルの言葉に、俺の顔は火を吹いた。
「あ、愛しあ……」
「俺はお前と、シたいぜ?」
鼻の頭を擦り合わせ甘い声音で囁かれて、今まで経験したことも無いくらい心臓が激しく打ち付ける。毎度こんなふうにせがまれたりしたら、俺はもう二度とソウルの誘いを拒めない気がした。
「な……ならば放課後に、」
屋敷へ来いと言う余裕もなく、「そんなに待てるかよ」と歪んだ唇に呼吸を止められて。
俺は土と緑と太陽の匂いに包まれながら、体中でソウルの熱を感じ、昼休みを告げる鐘が鳴り響くころまで抗えない激流に溺れ続けた。
それから、昼休みも終わって午後の授業が始まるころ。教室へ戻るなり、ソウルは真っ赤な顔をしたマカに「最低」呼ばわりされたあげく、壁まで殴り飛ばされた。
おそらくマカは、帰ってこない俺たちを魂感知能力で見つけ、生々しい現場を目撃してしまったのだろう。場所を弁えなかったソウルが悪いのだから、相応の罰は受けねばなるまい。
もちろん俺も同罪だ。今回の詫びとして、そのうちマカを食事に誘おうかと考えている。とうぜん、財布代わりのソウルも同伴で。
ちなみに俺の巨大なハリボテは、ソウルの誕生日から数週間が過ぎた今でも屋敷の玄関に鎮座している。作っただけで意欲が完結してしまったらしく、持ち主のリズもパティも、埃を積もらせて白髪に変わってゆく俺にはもう見向きもしない。全く始末に負えない姉妹だ。
【終】