11.宴の終わり ――Edge of suffer――
 アディカトレース騎士団の第一・第二団役に属する者達は住居を提供されたり、
定刻・定時ながらも食事が準備されていたりと様々な面において国から生活を支援されている。
 それは騎士たちが自分達の生活に煩わされる事無く日々の勤労に集中出来るように、との名目だが
生活支援の存在を理由に給与を抑え、騎士たちを経済的に拘束する意味もあった。
 しかしヘルザ村にはまた別の事情がある。
ヘルザ村で暮らしている限り、貰った給与を使う場所など無いに等しい。その結果――

『かんぱーい!』

給与の出た日は自然と酒宴になる。
 しかし、酒宴だからと言ってアルハイトの歓迎会のような大騒ぎになるわけではない。
あの日たまたま居合わせた旅楽団は、宴会が過剰に盛り上がる理由として充分だった。
「おうおうアルハイト。酒を飲む手が止まってるぞ。もっと飲め」
「ちょっと待ってくださいよガルスさん。さっきから延々散々飲め飲めって、これ以上飲んだらまた潰れちゃいますって」
 そしてそう言った外的要因と無関係に盛り上がる者が居るのもまた事実だ。
「うむ、知らん。オレには聞こえるぞ、お前の肝臓がもっと酒を飲めと叫んでるのぐぁ!!」
「無視しますよ。良いですか、良いですね? 何と言われようと結局無視しますけど」
 アルハイトの抗議にガルスの目が光る。それはアルコールを触媒とした危険極まりない輝きだ。
「ロダルディア流秘儀、飲まぬなら飲ます!!」
「いや飲まされても飲みませんから逃げますよもうあの秘薬は勘弁ですし!」
 マリアに劣らぬ敏捷性を発揮してアルハイトが席を立つ。続いてガルスもジョッキを手に起立。
一瞬の視線の交錯を合図に、男二人は逃亡劇と追走劇を同時に開始する。
 ホッフルの一階は厨房と階段と客席だけで構成されており、当然ながら客席は広い。
今日の店内は他に客も無く閑散としており、テーブルと椅子を活用すればアルハイトの逃亡に苦は無かった。
(……ガルスさんの動きは無駄に大きいし、逃げ回ってればそのうち酒が零れて――)
無くなるはずだ。そう期待しながら振り向いた先、よくよく見ればガルスのジョッキに蓋がついている。
 そしていつだったか、ガルスはホッフルに特別製ジョッキを用意させていると聞いた事を思い出す。
それはつまり
「確信犯ですか計画的犯行ですか質悪いにも程が無いですかガルスさん!?」
「うるさい黙ってオレの腹から聞こえるお前の肝臓の声に従えぃ!」
「それは世間一般的にガルスさんの肝臓の声であって俺の肝臓の声じゃないと思います!!」
 二人の奏でるささやかな喧騒をよそに、残りの面子は比較的おとなしく酒を嗜んでいる。
「つまりな、ロクス君。儂はな、儂はの、儂にの、儂には、儂のな」
「はいはい分かってますよぉ〜」
「だからじゃな、儂への、儂へは、儂でも、儂にな、儂から、儂がの、儂がよ?」
「はいはい分かってますよぉ〜」
 常連達の妙動を眺め、ホッフルのマスターは苦笑にも似た小さいため息を一つ。
カウンターに避難しているレザミアとアーゼンに正直な感想を述べる。
「毎度の事ではあるが……お宅らは実に愉快な連中が揃ってるな」
「基本的には、賑やかで楽しいことは良い事だと思うがね」
「まぁ、慣れればそれなりに楽しいわよね。巻き込まれない限りは、だけど」
 呆れとも諦めともつかない言葉を吐いて、レザミアはロクスを一瞥。
本当に変わったものね、と小さく呟くと右手の酒を口へ運ぶ。
 不意に肩を突付かれた。振り返ると楽しそうな笑顔を浮かべたティアナが、あるテーブルを指差している。
「ほらほら、あっち。ヴェノアさんがまたマリアさんに迫ってますよ」
 別段隠れる必要は無い筈なのだが、敢えて忍ぶように状況を解説するティアナ。
その指の先では説明通りにヴェノアがマリアへ話しかけているが、
ヴェノアの気だるそうな様子は「迫っている」と言う表現からは程遠いものがある。
「マリア、俺はもう駄目だ。酔った、酔いすぎた。介抱してくれぇ〜」
「……分かりました。楽にしてあげますから、姿勢を正してこっちを向いてください」
 マリアの言葉にヴェノアは期待に満ちた顔をして姿勢を正した。
そのヴェノアの笑顔に、無言で鋭いフックが叩き込まれる。顎の先端を横に打ち抜いて的確に脳を揺らす一発だ。
 寸分の躊躇なくヴェノアの体が笑顔のままに崩れ落ち、マリアが滅多に見せぬ満面の笑顔で問いかける。
「……どうですか、たいぶ楽になったでしょう?」
 当然ながら返答はない。その無言が不服なのか、マリアは地に落ちたヴェノアを揺すって問い詰める。
「……ちょっと、ヴェノア。私が質問してるのに、だんまりは人としてどうかと思わないんですか。
 それだから貴方は色黒とか東の助兵衛とか言いたい放題言われるんですよ?」
 なおもマリアはヴェノアを揺すり続ける。
彼女の笑顔を見る限り、問い詰める事よりも人を揺するのが楽しくなってきたようにも見える。
 首の上と下を独立した周期で揺さぶられて、ヴェノアの物言わぬ顔は次第に青くなっていく。
「あの様子じゃあ、ヴェノアさんも先が大変そうですね〜」
(……あれは、大変という表現で済ましていい状況なのかしら)
 主にヴェノアの体調などに疑問を感じるが、レザミアはその疑問を敢えて放置する。
 規律と治安の要である騎士達がこの様であると言う事は、ヘルザ村は今日も平和であったと言う事に他ならず
それが守られているのならば後はどうでも良いと言うのが彼女の心情だった。
「我ながら……損な性分ね」
 酒の席でも結局は責務の事を考える自分の性格を苦笑と共に呟くと、その一言に何かを察したらしいアーゼンが口を挟む。
「何を考えてたのかは知らないが、私は隊長に就く者とはそう在るべきだと思うよ。
 私が今まで経験してきた中では、それこそ隊長職に値しないような騎士も少なくなかった。
 彼らと比べたときにヘルザ村におわす隊長殿の、何と安心して働けることか」
「そう、貴方が言うのなら少なくとも嘘じゃなさそうね」
「勿論。私はお世辞も誇張表現も好き好んで使うが、嘘だけは言わないのが自慢だからね」
「……一応ありがとう、と言っておくべきところなのかしら?」
 中年紳士の捻くれた誠実さに複雑な感情を抱き、細かいことを考えるのが馬鹿馬鹿しくなったレザミアは景気良く酒を煽る。
そして一度上を向いて下がった視界の隅、アルハイトとガルスの逃走劇はまだ続いていた。
「結局はじゃな、儂をの、儂でよ、儂にも、儂でな?」
「いやぁ、それは違うでしょぉ〜」

 要するに、平和だった。


 宿舎への帰り道。男衆が昏倒しているヴェノアを弄びつつ運送するのを、危うい足取りでレザミアが先導する。
(……何で、私が先陣を切ってるのかしら?)
 自分だって今日はもう酔いつぶれる寸前だ。こんな時くらい、誰か女性を先導する甲斐性は無いのだろうかと憤り、
そしてそれが如何に淡い夢かを思い知れば嘆息が漏れる。
 そのままおぼつか無い足取りのままドアに近づき、少し手荒に開け放つ。
そして宿舎に一歩を踏み入れて耳にするのは、左から聞こえる男性の声だ。
「……通話石?」
 大陸全土を掘り漁ってもあまり大量に産出されない、特殊な鉱石がある。
その石――厳密に言えば学者達は結晶質と定義している鉱物――は他の鉱石と比べて奇妙な特質を持ち合わせていた。
 まず触れば外観に反するそこはかとない柔らかさを返し、魔力を通与した上で弾けば
鳴った音は通与された魔力量に比例して延々と響く。
 そしてなにより最大の特徴は、両手に収まるか否か以上の大きさでしか産出されないこの石を割ると、
元は一つだった石々の間で共鳴する所だ。その共鳴距離と音量は、片方に注がれた魔力量に比例する。
 これらの特性が故にこの鉱物は「通話石」と命名され、アディカトレースの主要都市間を結ぶ通信手段となり
現在では王都を中心とした一極集中の情報体系がほぼ完璧に整備されている。
 レザミアが少し前に聞いた限りでは、その特性への理解や日常的に利用するための装飾技法なども含めて
アディカトレース王国――というよりも騎士団――以外では実用まで程遠いのが現状だと言う事だった。
 そんな通話石を用いた通話器から、男性の声が響いていた。その通話器にふらふらとレザミアが歩み寄る。
「……もしもし?」
『夜分遅くに申し訳ありません、王都通話部のオーストです。つい先ほど、エニルヴァズ国境隊から――』
 声の主は、ヘルザ村への通話担当であるオースト・ケルセリーだ。
 それは分かった。だが――
「……ごめんなさいオースト。今日はね、ほら給与が出たでしょう?
 だから、皆でお酒を呑んでたの。分かるかしら?」
『はぁ』
それ以上の事が理解できる状況では無かった。
「それでね、私も皆もちょっと飲み過ぎたみたい。翌朝すぐにこっちから連絡をするから、その時にお願いして良い?」
『え、あの、レザミア隊長?』
 怪訝そうなオーストの呼び声を無視してレザミアは後ろへ振り返ると一直線に階段へ。
階段の横では、まだ正気を保てているらしいアーゼンが苦笑している。
『あの、レザミア隊長!? いや隊長じゃなくても良いので、割と真面目に大事な話なので誰かー!?』


 翌朝、いつもならば全員が揃っている筈の食卓に一つだけ空席が出来ている。
 昨夜の一方的な約束を守る為、レザミアが今まさに王都と通話中なのだが
通話中に他の皆を待たせるのも間が悪いと言う事で、レザミア以外の騎士たちは既に朝食を口にしていた。
「……よくよく考えると」
 他愛無い雑談を交わしながら朝食を食べていると、マリアがぽつりと呟く。
偶然にも皆の会話が一瞬だけ途切れていたこともあって、彼女に注目が集まった。
「……あんな時間に通話が来るのは珍しいのでは?」
「言われてみれば、そうだな。少なくともオレが覚えてる限りじゃあんな時間に通話が来た事ねぇぞ」
「エニルヴァズ国境がどうこうって言おうとしてたよね。ログエルナ側で何か有ったのかな?」
 しかし、憶測を並べ立てた所で結論を出すには情報が少なすぎる。
それを良いことに皆が好き勝手な自分の憶測を並べ立てていると、真相を知る者が食卓にやってきた。
「あ、隊長。お疲れ様です。結局、何がどうなってたんですか?」
「ん……あぁ、別にそう大した事じゃ無かったわよ」
 アルハイトの問いにそっけなく返し、レザミアは皆の注目を気にした様子も無く
運ばれてきた朝食を手早く、しかし優雅に食べ始める。
「そう言えば、ヴェノア。顎とか首とか大丈夫?」
「あー、ちと痛いですけど特に問題は。って言うか、隊長は何か知ってるんすか?」
「……どう言う事?」
「や、朝起きたら何故か顎やら首が妙に痛いんで、メシの間に誰か何か知らないかって聞いたんすよ。
 そしたら返事が『知らない』とか『自業自得だ』としか帰ってこなくて。いったい何があったんだか……」
 口に運んだオムレツを咀嚼しながらレザミアは僅かに黙考する。
時間にすれば僅かな間でしかないが、それでも言うべき言葉を見つけるには充分だった。
「……そうね、あえて言うなら自業自得よ」
「うわ隊長ひでぇ。法と規律の番人たる騎士がそんな意地悪で良いんすか?」
「いやヴェノアさんが言っても説得力皆無ですから」
「おぅしまった確かにその通りだ! ……って、新入りが新入りのクセに偉そうなことを!」
 ヴェノアの威嚇にアルハイトが店を飛び出す。ヴェノアがそれを追って外に出れば、店内には静寂が残される。
「おーおー、若い者は元気なこって」
「大丈夫だガルス。私から見れば君もイロイロな意味で充分若いよ」
「はっはっは、流石アーゼン!よく分かってんじゃねぇか!」
 ガルスが楽しげにアーゼンの背中を叩き、叩かれるアーゼンが浮かべる渋い表情にオックスが思わず呟く。
「むしろ、イロイロ分かってないのはガルスの方じゃよとか言ったらマズいかのう?」
「……きっと、その背筋を強制的にきっちりしゃっきり伸ばしてくれますよ」
「ひぃ、そんな事されたら儂の腰が折れちゃうでなー」
 他愛の無い雑談が飛び交う、いつも通りと言えばいつも通りの光景だ。
「…………?」
 だが、そのいつも通りの筈の光景にロクスは一人違和感を得る。その理由までは分からなかったが。


 朝食を終えて宿舎に帰ってきた面々を、レザミアが二階の会議室に集めた。
 普段は滅多に使われない会議室に通された事で騎士たちの間にも僅かな緊張が見え始めるが、
レザミアは全員が着席したのを確認すると淀みなく口を開いた。
「昨夜、エニルヴァズ国境を大人数で不法越境した連中が居たそうよ。
 相手はログエルナ側で好き勝手やってる盗賊団らしいけど、特に何かを奪うとかはしなかったみたい。
 そのおかげで、警備隊が発見した時はもうしっぽ代わりの数人しか拘束出来なかったらしいわ」
 聞かされる騎士たちの間に動揺は無かった。ただし、ロクスが場の意見を代表する様に質問を投げかける。
「それって、山賊たちは最初から不法越境が目的だったって事かな?」
「そう言う事になるわね。山賊たちがそこまでして越境したがる目的は分からないけど……
 なんにせよ、私達にとっては面白くない話よね」
 ヘルザ村の東門を抜けて進んだ街道が交差している「山道」。
その「山道」を北に向かえばエニルヴァズ国境に辿りつく。
 山賊たちが国境からどこに向かうかは予測できないが、ヘルザ村はエニルヴァズ国境から最も近い人里である。
 その行程にかかる時間は人の足で八日強。
行商人達を襲うなどで何かしらの「足」を得れば、実質上は隣同士とすら言える距離だ。
 最悪の場合、盗賊団が今朝の内に誰かの馬車を強奪していれば、今夜にでも村が囲まれてしまう可能性が有る。
ただ、春先のこの時期はまだ山中を通る足が少ないのでそこまでの最悪な事態に陥る可能性は高くない。
「今日の夜から全日警備体制をとります。夜間の警備はロークとヴェノアとアルハイト君にやって貰うから、
 三人は昼のうちに休んで夜に動けるよう体を慣らしておいて。
 で、残りの人員で昼間の警備を回していくつもりよ。何か質問は?」
 返答は無言。場の一人一人と視線を合わせれば、自分の意思は通じたと実感できた。
「はい、じゃあこれで解散。後は面倒なことになりませんように、って女神様に祈りましょ」
 軽く手を叩くレザミアの号令に従い、騎士たちが一人、また一人と会議室を後にしていく。
 ガルスとヴェノアはいつもと変わらぬ気だるそうな様子ながら、その目が僅かに鋭くなっている。
 アルハイトは流石に緊張が顔に出ていたが、体が固まるほどでは無いだろう。
 マリアは席を立つ前に、略式で女神に祈りを捧げていた。
 アーゼンとオックスは二人で何かを話している。特にオックスの様子はいつもと変わりが無い。
 そして大部屋に残ったのは彼らを見送ったレザミアと、敢えて居残ったロクスだった。
 疑問の表情を浮かべて首を傾げると、ロクスがのんびりと言葉を告げる。
「どうしたんだろう、と思ってたんだ」
「……どう言う事?」
「レミィが朝ごはんを食べてる時の様子。何となく妙だったなぁ、って。
 そりゃ妙にもなるよね。こんな事、ホッフルでペラペラ話すわけには行かないし」
 ロクスの苦笑つきの言葉に、レザミアは収まりが悪そうな苦笑をうかべる。
そのいつもより柔らかい――と言うよりも「軽い」――表情は、周囲が彼女に抱いている印象からはかけ離れたものだった。
「一応、あれでも普通に振舞ったつもりなのよ?」
「あー、うん、それは大丈夫。たぶん僕しか気付いてないよ。ほら、何だかんだ言って僕ら十五年の付き合いだし?」
「……そっか。もう、十五年になっちゃうんだ」
 一瞬、レザミアの目が遠くを見る。その焦点はとても遠い場所に合わせられていた。
だが感傷に浸る彼女の頭を軽く叩いて、ロクスはレザミアの意識を会議室へと引き戻す。
「ほらほら、ぼけーっとしちゃ駄目だってば。僕らは僕らで、やる事あるでしょ?」
 その一言に、レザミアが微かに驚いた様にロクスを見る。だがすぐにその顔は懐かしさを含む苦笑にも似た微笑を浮かべた。
「ふふ……何だかんだ言って、そういう所は昔から変わってないのね」
「そーだね。でもレミィが思ってるほど、僕は昔と変わってないと思うんだよなぁ」
 慣れぬ昔語りに苦笑を交わしながら、管理職組も会議室を後にする。彼らには彼らの仕事が待っていた。


 宿舎の中には緊張の二文字が広がり始めていたが、まだ一息を吐いて落ち着ける程度の平穏は残されていた。
しかし最後の平穏を吹き飛ばす叫びが、焦りと共に宿舎を訪れる。
「オックス、オックスは居るか!?」
 宿舎のドアを手荒く蹴り飛ばし、その隙間から飛び込んできたのはホッフルのマスターだ。
その音と声に飛び出した医務室の主が、ロビーまでの廊下を走りながらしかし冷静に問い返す。
「ご主人!? 何かあったかの!?」
 しかしその後を繋ぐ言葉が無い。
 普段の様子からは想像もつかないに焦った様子で、マスターは両腕に彼の愛娘を抱きかかえている。
その腕に力なく抱えられたティアナの顔色の蒼さは、もはや誰の目にも一目で知れる病的な蒼さだった。
 白衣と共に体を翻し、オックスが無言で手招きをするとマスターはそれに追従して医務室へ向かう。

 もはや宿舎に、「平穏」の二文字は残されていなかった。


next  back   to menu