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がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜

第∞話:恐怖のパスタ#1

 そう、これはまだラヴェルが旅に出るほんのちょっと前のお話……。

 樫の木の棚に、銀食器が整然と輝いている。
 かまどの鍋からは湯気が立ち上ぼり、中からはコトコトといい音が聞こえてくる。
「う〜ん、いい香り」
 シレジア城、地下。
 バターとバジルの香りが漂っている。
 昼食もかなり前に過ぎ、今は彼……クレイル以外に誰もキッチンにはいない。料理長 も使用人も……毒味係も……夕食の食材調達に外へ出ている。
 深い鍋にはたっぷりと湯が沸き、麺がゆらゆらと揺れている。
 そこへクレイルはパッと塩を一つまみ入れた。
 やがて麺のゆで加減を見る。
「う〜ん、アルデンテ。もういいね」
 言葉の意味がわかっていないのか、鍋の中のものはすでに少々ゆで過ぎ、いや、よ り正しくいうなら……でろんでろんになっている。  まあ、そこら辺はともかく、手際だけは名人並み、クレイルは麺を上げるとサッと オリーブオイルをからめ、麺が固まらないように軽くあえる。
 麺を皿に盛ると、クレイルはあらかじめ作っておいたソースをパスタに掛けた。
 このソースは特製で、ベースはバターとバジルなのだが、身は淡白な白身肉のグル ヌイユと、大粒の陸貝を刻んだものを合わせたもので、さすが王族、高級素材ソース である。
 パスタを仕上げると、それが冷めないように手際よくクレイルは、ソースの残って いるフライパンに裏山で取れた新鮮なフンギ(きのこ)をほうり込み、ささっとソテーにして付 け合わせとする。
「ほうら、出来上がり。う〜んおいしそう……」
 クレイルの趣味は料理、あっというまに調理をおえると、出来立てのパスタをトレ イに乗せ、自分の部屋へと運んだ。
 彼の部屋には……昔馴染みのラヴェルがきていた。竪琴の調弦に四苦八苦している。
「ほらラヴェル、出来立てのパスタだよ〜」
「あ、ありがとうございます」
 部屋にバターとバジルの香りが漂い、その後からクレイルの入れた紅茶の香りが追 いかけてくる。
「では、遠慮なく頂きます」
 ラヴェルはくるくると器用にパスタを巻くと、ソースを絡めて口に運んだ。
 口の中にコクのあるバターと爽やかなバジルの香りが広がる。
「ところでこれは……鳥肉ですか?」
「グルヌイユっていうんだよ」
「はあ……知らない名前ですね……?」

 彼等二人が食事を始めた頃。
 クレイルの妹、シレジア王女マリア・エメロード・フォン・ウェーバーは、少し甘 いものが欲しくなって城のキッチンへと足を運んだ。
「………………」
 ちらかっている。
 掃除好きの彼女はものが散乱していると嬉しくなってしまうのだが……これだけは別 である。
 バターのこびりついた皿、フライパン、白く濁った湯の入ったままの鍋、包丁、バ ジルの茎……。
「……兄様、また散らかしっ放……」
 頭に角を生やしたマリアはそれらを片付けようと、食材クズの乗った皿を手に取り ……悲鳴を上げた。
「きゃー! かえるーーぅ!!??」
 皿の上にあったものは何と、目を回したヒキガエル。他にはエスカルゴ……つまり…… でんでんムシの殻。何とか食材になる難を逃れたカタツムリが、そこらに銀色の跡を 残しながら這いつくばっている。
「いやーーーっっ!」
 グルヌイユ(ひきがえる)やエスカルゴ(かたつむり)といえば、かなりの高級食材なのだが……彼女の目には『と んでもないゲテモノ』にしか映らない。
「に・い・さ・まっ! またヘンなもの作って!」
 マリアは皿を洗うのもやめて……本当は単に触るのも嫌だったからだが……自分の部屋 に戻った。
 頭にきたので兄を一発吹っ飛ばしてやりたいのだが、彼女は見習プリースト、大し た腕力もない。
 まさか神聖な杖で兄のカボチャ頭を殴る訳にもいかず、彼女は掃除用のハタキを手 に、クレイルの部屋へ出向いた。
「にーさまっ! また変なものを作って! せめて後片付けくらい……」
 そこまで一気に叫んでおいて……マリアは目をパチクリさせた。
 兄とラヴェルが床で目を回している。
「もうっ! ヘンなものを食べるから!」
 マリアは二人をなんとか抱え起こすと、手当ての前にまず様子を見る。
 ……窒息しているようだ。おなかがヒクヒクしている。
 二人とも目には涙。
 痙攣を起こす二人にマリアは覚えたての蘇生魔法をかけると、二時間ほどみっち りと説教をした……のだが……。
 ……二人ともろくに聞いていない。
 特に兄の目許と口元が……元からといえば元からだが、締まりなく笑っている。
 マリアの頭に角が増える。
「に・い・さ・まっ!!! まじめに聞いてるのっ!?」
「き、きいてるよ……ひ……ひゃはは……」
 横ではラヴェルも笑い転げている。
「ああ、苦しい……あ……あはは……マリア様、助けてください……は……ははは……」
「……………」
 マリアはもう、二人とも放っておいて部屋を出た。
「もう、バカらしいったらありゃしない!」
 おバカな兄など見捨て、マリアはせめてキッチンの片付けくらいはと思い、台所へ 足を踏み入れた。
 手で触りたくないのでほうきと塵取りでカエルとカタツムリの始末を付け、皿などは よく洗った上で熱湯消毒する。
 さらに食材クズはまとめてすてようとし……。
「……あら?」
 キノコが少し残っている。
「やだ、これスマイリーじゃないの!」
 一体どうやったらこれが食用キノコに見えるやら。
 皿の上にはしなびたワライタケ。
 毒ではあるが死ぬ程のものではなく、全身の筋肉が弛緩、痙攣を繰り返し、笑い続け るような症状を数時間ほど起こすものだ。
 とはいってもやはり毒は毒。
「ああ、もう! 兄様ってば厄介ごとばっかり作ってくれるんだからっ!」
 マリアはプリーストだがまだ見習のみ、全ての白魔法を心得ている訳ではないので毒 消しの魔法は知らない。
 慌てて城の裏門から裏山へ登ると、幾種類もの薬草を摘んで戻ってきた。
 葉を蒸して揉み、炒って乾かすと熱湯で煎じる。
「……………」
 薬湯を作りおえたマリアだが、ふと気になり、それを一口、城の猟犬に飲ませてみた。
 犬は一口飲むなり、犬舎を飛び出すと中庭をぐるぐると駆け回る。
「……ちょっと効き目が強すぎるかしら」
 でもまあ、神経のつながりの鈍い兄やラヴェルには丁度いいかもしれない。
 マリアは勝手に納得すると、そのままそれを兄とラヴェルに飲ませて部屋へ戻った。

 その後。
 気持ちのよい汗に、マリアは額を拭った。
 なぜか二週間ほど兄とラヴェルは寝込んだようだが、まさか原因が自分の作った毒薬 とは露知らず、彼女は兄の立ち入り禁止となったキッチンをピカピカに磨き上げ、その 輝きに一人満足していた。

‐完‐

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