がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜
第∞話:塚人
緑に包まれた緩やかな丘陵。
時の止まったかのように静かなその風景を詩人は歌う。
緑広がるボィンの谷間
河は遥か王の祝福受けて静かに流れる
囲む丘には崩れた城跡
時の流れにうずもれるがごとく
草木の合間にひっそりとたたずむ
古代の栄華も遠き過去
ターラの丘にはただ
変わりなく風が吹くだけ
丘駆け抜ける騎馬の轟きも
古き夢の向こう
戴冠の石めぐりて競いし群雄も
今は歴史のひとかけら
静かなるボィンの谷間
古戦場の見し幻を子守歌に
河は変わらず流れ続ける
そろそろ秋の気配が風の中に濃くなってきた頃。
高い空には淡いヴェールのような雲がうっすらと掛かっている。
古くはターラと呼ばれたこのタラの丘は、絵に描いたようにのどかな昼下がりを迎えて
いた。
昼食にするには多少遅いが、フィンは緑の丘に僅かに痕跡をとどめる遺跡の、崩れた
石碑に寄り掛かってランチボックスを広げた。
平和なのは良い事だ。
フィアナ騎士団隊長の息子である彼は、領内の見回りついでにタラの丘まで遠乗りして
みた。
そよ風と日の温もりは丁度良く、のんびりとお昼にするにはもってこいである。
古代のケルティアの中心地であったこの丘には、当時の城館や祠の跡が集中している。
この辺りには小さな丘が点在しているが、それらは皆当時の儀式や都の防衛などに使わ
れた塚である。
塚は土を盛り上げて作られており、中はいく筋もの地下道が通り、妖精の番人が見張っ
ているという。
今でこそ都は北のアルスターに移ったが、ここに残された遺跡の石材の細かな装飾をみる
と、当時の繁栄がいかほどのものであったか容易に想像が付く。
丈の短い草に覆われた丘に、薄いベージュの石碑がちらほらと姿を覗かせる。
空と同じ色の髪を風になびかせたまま、フィンは親の決めたいいなずけが作ってくれた
ランチを頬張った。
香ばしいライ麦のパンに、ふさすぐり(グースベリー)の薄い
マーマレードがはさんである。
ふと。
フィンは向こうの石碑に目をやった。
石碑はこの辺りでは良くみられるもので、目で追うといつの間にか元に戻っている不思議
で複雑な組紐模様が彫り込まれ、古代オガム文字が刻まれている。
どうやら道標のようで、かつてのタラの王城の方向が記されているようだ。
その石碑から目を戻した時。
自分が寄り掛かっている石碑以外にもう一つ大きな影が彼の脇に掛かっていた。
「……えっと、どちら様ですか?」
それは…どこか不格好な、人間にしては背の低い人影であった。
それでも、腰を下ろしているフィンよりは高いので、フィンは思わずそれを見上げた。
その人影が……口を開く。
「見ていたぞ」
「はい?」
思わずフィンは相手を見上げ…見上げ過ぎたのかそのままひっくり返った。
「うーん、困ったなぁ」
その言葉とは裏腹に、口調には全く深刻さがない。
本当に困っているのかどうかすら疑わしいが…いきなり塚の中に引きずり込まれた揚げ句
に地面にひっくり返っているのだから困っているのだろう。
フィンが我に返った時、辺りの様子は一変していた。
確かに丘の上で呑気にお昼にしていたのだが、人影を見上げた瞬間、丘のどれかの塚の中
に引きずり込まれてしまったようだ。
周りを見回せば、お弁当がなくなっている。腰に吊っていた剣もない。
よくみれば……やがて空っぽになった弁当箱だけは見つけることが出来た。
「困ったなぁ」
もう一度つぶやく。
あの人影は何だったのだろう?
確かに人間にしては小さかったのだが……見上げるのと同時、見上げれば見上げるのと同じ
だけ巨大になったような気がする。
もしかして丘を守る塚人(ワイト)だったのだろうか?
たまに、塚人に閉じ込められた、などという話は聞く。
塚人は小人のくらいの大きさだそうだ。
それよりはあの影は大きかったし…何より見上げた瞬間、いきなり大きくなった。
しかも……見ていたぞ、とは一体何を見ていたのだろう?
何も悪いことはしていない。
お弁当を広げただけだ……食べきった覚えもないのに空になっているが。
落ち着いてもう一度辺りを見回す。
ここが地面の下であることは明らかなようだった。
地面は土が露出し、壁もしかり。
天井も同じだが、所々から木の根が蔦のようにさがり、隙間でもあるのかごく僅かに光が
薄くさしている。
辺りの土の所々には、石を積んだような跡が残り、実際少しは縄模様の彫られた石積みが
残っている。
フィンは立ち上がるとお尻に付いた土を払った。
とりあえず空っぽのお弁当箱を拾い……妙な音に気付いて顔を上げる。
隙間から漏れる光の届かない奥の方に、何かいるようだった。
「……困ったなぁ」
やはり言葉ほどは深刻でなさそうにフィンはつぶやいた。
目を凝らせば通路の奥に妙な人影がある。
先程の、小人から巨人へと姿を変えた……恐らく怪物なのだろう。
フィンのお弁当を食べたのか、口の周りにはマーマレードがこびりつき、手にはフィンの
剣を携えている。
見上げれば見上げるほど、まるで視線に沿うように大きくなる、その鬼のような怪物を
ついつい見上げながら、フィンはお弁当箱を拾った拍子に手の親指についたマーマレードを
ちょっとなめた。
「……う〜ん」
見上げれば見上げるほどその鬼は大きくなっていく。
その鬼が…口を開いた。
「見てい……」
言葉がそこで途切れる。
同時、なにかくぐもったような音が響いた。天井の土がばらばらと振ってくる。
「……ああ、なるほど!」
フィンは何か思い付いたようにぽんと手を打った。
このような塚や、ちょっとした遺跡には鬼の番人がいるという。
それは妖精のボディーガードで、最初は小人のような大きさだが見る間に大きくなって襲い
かかってくるという。
その名をスプリガンという。
それを思い出し、フィンは再び相手を見た。
どうやり相手は巨大になり過ぎたらしく、頭が天井に埋まっている。
見えるのはもはや身体だけだが、頭が土の中に埋もれて苦しいのか、必死にもがいていた。
天井に頭を突っ込み、必死にもがいている巨人。
なかなかに間抜けな光景ではある。
やがて窒息しかけたのか、力が抜けたらしい。
巨大な身体は見る見る縮んできたものの、頭は天井にめり込んだままなので体は宙にぶら
下がったまま。
恐らく頭は地中の草木の根に絡まってしまったのだろう。
ますますもって間抜けである。
見る間に萎んだ鬼はやがて小さくなったことで天井から抜け落ちた。
それをフィンは注意深く視線を下に下に向けて見下ろすと素早くこう唱えた。
『見越したぞ』
その途端。
小さく縮んだ鬼はその小人姿のまま、フィンを見上げたまま地面にひっくり返った。
フィンはすかさずそれをつかまえると、そのまま地上へ引きずりだした。
燦々と降り注ぐ日の光にその小人を当てる。
彼らは日の光が大嫌いだ。
あっという間に石に姿を変え、動かなくなる。
もともと彼らはこの塚の番人だ。良い見張りにでもなるだろう。
フィンは日の当たる丘の一番見晴らしのよいところにその石像を置くと剣を取り返した。
見上げれば見上げるほど大きくなり、気付けば人はいつの間にかひっくり返っている……
そんな悪さをする巨人がいるという。
視線を下げるように見下ろしていけば……つまり見て相手の高さを越していけば、ひっくり
返らずにすむ。
もし見上げてしまっても相手より先に『見越したぞ』といえばその難を逃れられ、相手に
先に『見ていたぞ』といわれれば彼らの魔法につかまってしまう、ともいう。
そういえばそんな昔話を聞いたっけ。
今ごろ昔話の全部を思い出すと、フィンは日の光を目一杯浴びながら伸びをした。
小さき丘の土の下
塚人の守るは何かの眠り
上を見れば大きく下を見れば小さく
番人は今でも姫の夢や宝物の光をご褒美に
緑の丘の下で土の匂いと暮らしてる
丈の短い草が小さな丘を覆っている。
揺れる風が草原をなで、人には聞こえない妖精の歌が漂っているかのようだ。
組紐模様の刻まれた石に腰描けて水袋の水を飲むと、フィンはやがて愛馬にまたがって父の
いる騎士の館へと帰っていった。
‐完‐
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