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Lunatic Side 〜Past〜

第∞話:消滅した弾丸

 狐につままれたような顔、というのはこういう顔をいうのだろう。
 高級住宅の並ぶ、クレメントシティ・八番街区。
 その一角にある、大手銀行頭取宅。
 ディネンは周りにいる警官や捜査員達を見てそう思った。彼らは室内の指紋採取などに 余念がない。
 第二西暦(セカンドA.D)2038年。
 新年の始まりの月は極寒、日差しは穏やかでも外の空気は冷たかった。
 トマス・ニコラウス・ディネン。
 RAEN製作所・総務部情報課……俗称GDIS、その特別捜査室所属の上級捜査員。
 その中でもトップといわれるA−1(エー・ワン)班に身を置く、 一般構成員レギュラーだ。
 制服でもある暗くくすんだ濃暗紺のスーツを着、その下には黒い銃。仕事中なので手 には白い手袋をはめている。
 様々な人種の混在するクレメントシティでも背は高い方で、頭には細く猫毛ながらも どことなく針を思わせる、暗褐色の髪。
 黙って立っていればモデルでも通用するかもしれないが……少ない言葉に含まれるのは 鋭い針と冷たい冷気であり、加えて無愛想、間違ってもニコリとはしないので……営業や受付、 マスコミ向けの仕事はできないだろう。
 彼は生暖かい室内で、被害者……殺害された頭取が倒れていた位置に立って周りを見回 していた。
 指紋採取などの一般的な業務をこなす警察官、どうやって殺害されたか、トリックは 何かを捜すGDIS捜査員、外で警備や見張りをしているISPO職員。
 三つの組織からなる捜査機構の所属員が、それぞれの作業をしている。
 彼らは目の前しか見ていない。それでは見落とすものもあるだろう。
 ディネンは全体を見渡し、何か不自然なものはないか、注意を払ってみた。同じ室内で は同期の同僚シリス……書類上は上司だが……が、辺りを丹念に調べている。
 ……特に何もない。
 後ろで警察の刑事が、口をへの字にして顎をさすっている。
 無理もないだろう。
 何も見つからないのだ。
 ディネン自身も狐につままれたような顔をしている。
 犯人は……目星が付いている。
 怪しいのは三人。
 一人は銀行の株を数パーセント持つ、同じ銀行の役員、もう一人は以前に株主総会で騒ぎ を起こしたギャングのボス、もう一人は銀行絡みではなく、個人的に恨みのあった 釣竿職人で、スポーツ用品店主の従兄。
 彼らは動機があり、アリバイはない。そちらはすでに他の捜査員達が当たっている。
 これを落とすのにはそれ程時間は掛からないだろう。
 が、例え自白させてもそれを証明する凶器その他の物証が、何も見つからないのだ。
 被害者は何かで撃たれたらしい。死体はすでに病院を借りて検死にだされている。
 (撃たれたのは恐らくあの窓からだな……)
 被害者は部屋の換気でもしたのだろうか。
 事件当時のまま開け放たれている南の窓からは、日光が床を照らしている。
 被害者の死亡推定時刻から二時間以上が経ち、日光は窓を見るディネンの左の床を暖め ていた。
「よう、何かわかったか?」
 外で聞き込みに当たっていた同僚、セスターが室内に入ってきた。彼は見た目だけは 二枚目の狙撃手なのだが、その狙いは性格同様、どこかいい加減だった。
「いや、特に何も」
「そうか。周りに聞いてみたんだが、誰も発砲音なんて聞いてないっていうぜ」
「凶器は銃ではない、という事か」
「でも撃たれてたんだろ?」
「らしいな」
 犯行現場付近では凶器のようなものは見つかっていない。部屋のドアは内側から鍵が 掛けられ、開いていたのはあの窓だけだ。
 武器が銃ではないとしたら?
 あの窓から侵入し、ナイフか何かで殺害、脱走したのだろうか。
 シリスと並んで窓の辺りを調べていた警官が首をかしげる。
「窓には被害者があけたと見られる指紋しか付いていませんよ。泥も付いていませんし、 出入りがあったようには見えませんが」
 セスターは外……庭を見、室内を見、窓の桟をみて指摘した。
「靴下で出入りするとか」
「いえ、でもそれでは窓の桟についていた埃がその部分だけ靴下で拭き取られるはずで す。そういう跡はありませんよ」
 ディネンやセスターは所属組織GDISではかなり上にいる。外で捜索に当たって いるのは、いわゆる下っ端や新人捜査員達だ。
 そのうちの何名かが報告に来る。
「庭……窓の下には足跡などは何もありませんでした」
 窓の外はすぐ庭、土が露出し、向こうには池が薄く凍っている。池の向こうには枯れ木 と、色のくすんだ上緑樹の木立ちが、道路との間に静かにたたずんでいる。
「やはりある程度離れた位置から何かで撃ったんじゃないのか?」
「だよなー。もう一度外をあたってくるよ」
「ああ」
 シリスはずっと室内を調べていたが、セスターが去ってしばらくすると、ディネンと並 んで窓の外を見た。
 シリスは年齢こそ二つ上だが、ディネンと同期の同僚だ。ディネンと同じ、 チーム・A−1のリーダーで、特別捜査室の主任も務めている。
 A−1というのは、クラスA・チーム1stのことで、実際に稼働しないクラスSを除けば、DCBAの クラス編成では最上級、そのトップチームということで、四人のメンバーは最精鋭といって良い。
 その四人はリーダーのシリス、副リーダーのセスター、事務担当のルキア、一般構成員 のディネンで成り立っている。ルキアは今ごろオフィスで内勤しているはずだ。
 しかし……どこをどう見ても、リーダーが一番『らしくない』というか……。
 シリスをパッと見て何に見えるかといえば、だいたいの人間が『保育士』とか『幼稚園 の先生』と答えるだろう。
 ……まあ、小さな妹を一人で育てているのだから、あながち外れではないのかもしれないが……。
 その丸く穏やかな藤色の目に、庭の風景が映る。
「外は穏やかだな」
「ああ、少し寒いがな」
 池の表面にはうっすらと氷が張っているが、昼の光にほとんど溶けている。
「ディネンは今回の凶器は何だと思う?」
「撃たれたんだろ? 銃じゃないのか?」
 シリスは首をすくめた。そうではないといいたいらしい。
 チラッと向こうで話している刑事を見やる。
「検死官の報告は聞いたろ? 貫通銃創でもないのに関わらず、体内に弾は残ってないって」
「……じゃあボウガンか?」
 いまどき殺人にはあまり使われないが、ボウガンというのはトリガーを引いて発射する タイプの弓だ。弩ともいう。
 弓と違い、どちらかといえば銃と同じく、矢は一直線に飛んでいく。
 使われる矢はクォレルといい、太く短めの矢である。
「でも、死体に矢は刺さっていなかったって」
 ディネンはうさん臭そうに、未だ赤く染まったままの絨毯を眺めた。
「……矢に丈夫で軽い糸、ナイロンか絹糸をつけてから発射する。殺した後に糸をたぐればいい」
「うん、それもあるね」
 シリスは窓に近付くと、白い手袋をはめた手で軽く窓の桟をつついた。
「でも、それだと引っ張られていく時に、必ず窓の桟とかにぶつかる。どこかしらに 血痕が付くはずだ。例えば矢が窓の高さの位置の空中で止まっていれば別だけどね」
「……それは有り得ない」
「だろ?」
 床にも壁にも窓にも、血のついた矢がふれた跡はない。
 二人が窓の前でああだこうだいっている頃、外ではセスターが木に登って犯行現場の 家を見ていた。
「……庭に足跡が付いていないんだからな。門は警備がしっかりしてるから、そこの道 から柵を乗り越えてきたんだろ。その道から足跡を付けないで、となると……?」
 柵の上にのびる枝を伝って木に登ればいい。
「で、ここから……」
 丁度窓の向こう、殺害された頭取が立っていたであろう位置に、シリスが立っている。
「バン! てやれば、確かに命中するわな」
 セスターは撃つ真似をしていた腕を下ろすと、またシリスを見た。
「しかしなぁ……狙いを付けて撃つんだから多分ライフルだろうが……こんな近くから ライフルで撃ったら、貫通するよな……」
 いくら庭が広いとはいえ、都心の邸宅、驚くほど広いわけではない。はっきり言って 郊外の庶民の家の方が遥かに広い。
 シリスは部屋の中から、木の上のセスターを見た。また、撃つ真似をしている。
「確かにディネンの言う通り、あの距離ならボウガンでも十分に狙撃できるんだ」
 ディネンは今までの状況を頭の中で整理してみた。
 被害者はこの部屋で倒れていた。開いていたのはこの南の窓だけで、他の窓やドアは 内側から鍵が掛かっていた。開いていた窓には出入りの跡はない。被害者は何かで撃たれた ようだが、傷は貫通していないにもかかわらず、銃弾のようなものは体内に残されて いなかった。
「凶器のない犯行、か……。だが、傷がある以上、何らかの凶器があるはずだ……いや、実は 首を締めたとか殴られたとかが死因で、この傷はカモフラージュか?」
「だったら、犯人はこの部屋を出入りした事になる」
 開いていたのは窓だけ。その窓からは被害者以外の指紋は検出されていない。
 ディネンはシリスを前に、彼なりの推測をしてみた。
「どこか別の出入り口から入り、鍵を掛けてあの窓から出る」
「でも窓に、そこから出た跡はないよ? 手足の触れた跡がないんだ」
 シリスの口調はいつもながらのやんわりした口調だったが、ディネンは多少ムッとしながら反論してみた。
「飛び越えれば?」
「どのみち、そこから出たら外……窓の下に足跡が付くだろ?」
「………………」
 外は多くの警察官や捜査員が調べていたが、窓の下から続くような足跡は見つかって いない。
 丁度、警官が入ってきて、上司の刑事になにか報告している。検死官との連絡に あたっていた警官だ。
「やはり被害者にはあの傷以外には何も見受けられないそうです」
「しかし……銃弾も何も残ってないのだろう?」
 ますます口をへの字にまげる刑事に、ディネンは一つの推定をだしてみた。
「血流に乗って、傷より離れた位置に流されたんじゃないのか?」
 これにはその連絡にあたっていた警官が首を振った。
「でも、全身のXレイにもCTにも、何も写っていないそうですよ?」
「………………」
 消失した凶器。
「物質そのものが消失するはずがない。どこかへ運びだされたんだろう。あるいは そこらに隠されているか……」
 突っ立っているシリスの前でディネンは右往左往部屋の中を往復した。
 ピチャン……と外から冷たい池の音が聞こえてくる。
 犯人を特定する凶器が、あるいはその手掛かりが何もない。
 せっかく犯人に目星が付いているというのに、これでは問い詰められない。
 捜査機構にくわえ、GDISでもトップといわれるチームA−1を動員していると いうのに、何もわからないとは。
 表情を険しくしているディネンを背に、シリスはぼんやりと窓の外を見た。
 ピチャン……。
 池の水が微かながら、たえず音を立てている。
「やれやれ……迷宮入りか……」
 溜め息と共に吐きだされたディネンのつぶやきに、シリスは何か面白そうにすっと目を 細めた。
 いたずらっぽく振り返る。
「……どうかな」
「……わかったのか?」
「うん、凶器の事に関してはね。断定はできないけど」
 ディネンにはさっぱりわからない。
 取りあえず一般的に凶器に使われるものを考えてみた。
 まず飛び道具。
 銃。拳銃やライフル。
 現在最も多く使われる殺人道具。他にはボウガン、洋弓。
 接近武器としてはナイフ。手近にある包丁やカッターナイフも凶器になり得る。
 同じく接近武器には針。実際の針よりも、ペンや閉じたナイフ、釘などが使われる。
 他には鈍器。ハンマーが典型的だが、堅ければ何でもいいため、彫刻や植木鉢、庭の 石も使われる。
 傷からして、撃たれたか刺されたかのどちらかだろうが……。
 その凶器は……みつからない。
 考え込むディネンに、シリスは種明かしを始めた。
「まず凶器そのものだけど……確かに部屋の中に残っている」
「……見つからないが」
「そう、目に見えないからね」
 無色の太陽光が足下を照らしている。
「凶器は……矛盾するけど、消滅したんだ」
 これには即座にディネンは反論した。
「そんな馬鹿な事があるか。物質が消え去る事なんか……」
 シリスは床……ディネンの足下と、その数十センチ右を交互に指し示した。
「君の立っている位置。被害者の倒れていた位置。今、死後三時間ほど経っているね」
「ああ」
 確か、死亡推定時刻は三時間ほど前とされている。
 ディネンの足下を、冬の太陽が照らしだしている。
「四分に一度角……わかるかい?」
「………………?」
 片方の眉を潜めるディネンに、シリスは『研修所で習ったろ?』とでもいいたそうな 顔をした。
「……太陽の動きさ。三時間前の太陽は、被害者を照らしていた」
「……太陽が人を殺すとでも?」
 黒服を着てレンズの前にでも立っていれば別だろうが……。
 馬鹿を言うな、といいたげなディネンに、シリスはゆっくりと首を左右に振って見せた。
「太陽は共犯……いや、証拠湮滅に使われたんだ」
「………………?」
 ディネンには意味がさっぱりわからない。
 この、のほほんとしていて捜査員にはまったく見えないシリスが、実は恐ろしく頭が きれるのである。
 頭が良いとか悪いとかいうものではない。
 こういうこと『向き』の思考回路のつくりをしているのだ。
 そうでもなければ、この凶悪犯罪ばかりのクレメントで、GDIS捜査員などやって いられないだろう。銃を護身用にですら発砲できないのだから……人に向けては。
 シリスはまず、結論から先に話した。
「凶器は君が考えた通り、ボウガンだと思う。エナジーカプセル対応の銃も考えたけど、 発砲音がするからね。問題はクォレルさ」
 エナジーカプセルというのは、構造としては人工ルビーと同じものを詰めた、カプセル状の エネルギー出力装置である。
 これには単に微弱レーザーを発生するだけのものや、小さな火の弾、あるいは氷の弾、 弱小電流を射出するものもあり、これに対応可能の銃に装填して使うものである。
 家にいたものは誰も発砲音を聞いていないということからすれば、銃ではないだろう。
 消音ピストルもあるが、銃で撃ったのならば体内に弾が残る。
 消音器を付けてカプセルのみの出力もできるが、それでは殺傷力はない。
 しかしなぜボウガンなのか。やはり矢に糸でも付けて殺害後に引っ張ったのだろうか?
「矢に何か細工をしたのか?」
 血のついた矢がどこかに触れた跡はない。糸で手繰り寄せたのではないらしい。
「細工した、というよりも、矢そのものが特別製なんだ。ディネン、もし矢が……全て氷で できていたとしたら……どうなるかい?」
「………………!」
 矢は長さがあるとはいえ、太さはそれほどでもない。いくらボウガン用の矢は太いと いっても、直径が何センチもあるわけではない。
「氷の矢で射殺。直射日光できれいに溶けてしまうね。水になっても蒸発するし、乾かず に濡れていたとしても、もともと血液で濡れているのだからバレないさ。矢は確かにこの部屋 に残っているよ……見えない水蒸気になってね」
 寒いとはいえ、直射日光に当たれば直径がミリ単位の矢など、すぐに溶けてしまうだろう。
 シリスの穏やかな藤色の目に、目の表情とは反対の鋭い光が走る。
「死体が発見されたのは、死亡推定時刻から一時間と十数分後。いくら外が極寒で、部屋も 窓が開いていたとはいえそれでも部屋の中、たかが直径数ミリの氷なんか、直射日光に当た れば完全に消えてなくなっているよ……床暖房も掛かっているしね」
「氷の矢、か……。そうだな……それだったら跡形もなく消え失せている……」
 ディネンは負けを認めた。
 シリスにそんなつもりはないだろうが……ディネンにいわせれば、これで二十九戦全敗、 全てシリスのお手柄だ。
 研修所時代のシミュレーションからそうだが、ディネンはこのお人好しの凡人捜査官に 一度も勝ったことがないのだ。またしても……。
「さーて、っと。凶器は推測ついたから、調書に書かなきゃだね。検死のほうにも連絡して、と。 これを持って被疑者を追及……ほら、どうした? 本部に戻るよ」
 簡単なアルバイトでも終えた口調でそういうと、シリスはいつもどおり、のんびりと した足取りで車へ向かっていった。

 後日。
 被疑者として連行されていた人物のうちの一人が犯行を認め、御用となった。
 その人物は被害者の従兄で、スポーツ用品全般を扱う店の店長だった。
 釣竿職人でもある彼は氷を真っ直ぐに削って磨き、店においてあった狩猟用のボウガン で被害者を撃ったのである。

‐完‐

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