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Lunatic Side 〜Past〜

第∞話:Bad Chase

 昼間から点灯している明かりがだんだんと景色の中に浮かんでくる。
 日が沈み、景色は無彩色に支配されつつあるが、やがて夜景となるであろう街の明かり はそれに反し、赤を中心に色彩を強めていた。
 第二西暦(セカンドA.D)2038年。
「お疲れ様でしたー」
 後ろから掛けられた声に軽く手を上げて答えると、彼…ディネンはエレベータに乗り込 んだ。視線の高さにあった他のビルの屋上は見えなくなり、地面が近付いてくる。
 RAEN製作所。
 世界第三の都市クレメントにある、世界規模の超巨大企業の本社ビル。
 この会社の資金に目を付けた行政は、彼らの持つ警察以外に、GDISとよばれる捜査 機関をこの会社に作らせた。
 総務部情報課・特別捜査室。
 そこに身を置くディネンはその中でもトップクラスの実力を持つ、若干二十五歳の捜査員だ。
 捜査員の中でも専門の職業があって、ディネンは車両追跡を専門とし、また、射撃を得意と する戦闘要員でもあった。
 駐車場にとめてあった愛車にエンジンをかけ、ディネンは暮れ掛けた街の中を自宅に向かっ て走り出した。
 イグニス。
 真紅のメタリックカラーのその車は、1600ccとスポーツカーとしては小型だが、彼女 持ちでも何でもないディネンにとってはむしろ、小回りがきいて手頃であった。
 イグニスのカラーリングはこの真紅のメタリックと、ノーマルレッドの二色のみ。これは 名前が『炎』を意味するところから来ているのだろう。
 制作しているのはRAENのグループ会社の『工房・夢(む)』で、現在発表されている車種の 中では最新式のこの車が発表されたのは昨年で、まだ新車といってもいい。
 それにしても…せっかくのスポーツカーでも、渋滞では思い通りの走行はできない。
 そもそも、大都市で渋滞と無縁なところなどないものだ。
 ディネンは一度は自宅に向かいかけたが、最近まともな走りをしていない車のリハビリに、 内環高速道路からジャンクションを通過、楕円形のクレメントシティ外周に平行して弧を描く、 外環高速道路へ入った。
 世界の行政が個々の国家制から行政区制に変わってから、全世界で諸々の法律はほぼ均一 に定められている。
 交通に関しては、当時事故率の少なかった国のほとんどが右ハンドル・左側通行を採用して いたこともあり、行政区制になってからは、それまで世界的には数の少なかった右ハンドル・ 左側通行が法制化された。
 もっとも、クレメントの高速道はほとんど対向レーンとは対面せず、走っている感じでは 広い一方通行の道であり、高架の上を走っているので自殺以外に飛び出しはない。
 ディネンは外環道をほぼ一周し、帰宅ラッシュが一段落してから一般道へ降りた。
「………………」
 信号待ちをしていると。
 隣の車線に、黒のスポーツカーが並んで停まった。ブゥゥゥゥン……とふかしている。
 低音が下から響いてくる。
 その車は……同じイグニスだった。
 ただ、自分でカラーリングを施したのか、色は黒だった。
 赤を『炎』に見立てるなら……それはディネンにいわせれば『炭』だった。
 その運転手が、スモークウィンドウ越しに横目でちらちらとこちらを見ている。
(だいぶ改造してあるな……)
 色もそうだが……この音はマフラーにも手が加えてある。もともと高くはない車高をさらに 下げ、スカートも履いている。バックミラーで確かめると、後ろに付けられたエアロパーツも 仰々しいほどの物。
 目の前を横切る通りの、歩行者信号が点滅した。もう時期にこちらが青になるだろう。
 横の車はさらにエンジン音をふかしている。挑発的な視線。
 時々いるのだ、こういう人間が。
 ディネンの溜め息と共に信号が青に変わった。
 同時、その車はとてつもないスピードで発進していく。
 時間にすれば一秒も経たない瞬間のうち、ディネンは判断を下した。
 こんなヤツは放っておいてもよかったが、ある意地の悪い発想をもって、ディネンも アクセルを踏み込んだ。
 もともと追跡するのが仕事だ、ディネンは造作もなく暴走車に並走する。
 他の車が迷惑そうに車線を譲っていく。
 低速ギアによるスタートダッシュから高速ギアにチェンジ、広い大通りを爆進し、クレメ ントで最も広い国際通りへと躍り出る。
 ……法定速度は六十キロなのだが、完全無視。正直に話すと、その倍以上のスピードを出し ている……通行量の多い大通りで。交通管制のネズミ取りにでも引っ掛かったら免停は確実だ。
 恐らく……というよりも車を一目見ればわかるが、その運転手は暴走族か走り屋なのだろう。 一般人ならまず事故を起こす走行を、難なくこなしている。
 一般道の高速通行が認められている数少ない車……救急車が前方にいる。非常識にもそれを 抜かしつつ、二台は国際通りから中央通りへと曲がり込んだ。
 信号は全て無視。
 交差点に突っ込んで来る二台に、本来なら進行可能な車の列が急ブレーキを掛ける。バイ クは慌ててよけ、横断し掛けていた歩行者や自転車は逃げるように歩道へ戻る。
 こんなスピードで走っていれば、当たり前だが隠しカメラにも、違法スピード検知器にも 引っ掛かる。
 程なく近付いてくる警察のパトカーの音。
 が。
 近付き掛けた音もだんだん遠くなる。
 パトカーですら振り切るスピードを出し、お互いに煽り煽られ、二台は高速道へ滑り込んだ。
 ランプウェイから本線へ入り、すでに高速走行していた他の車を避けながら……というより も、そのスピードで脅して車線を譲らせながら、緩やかな楕円を描くハイウェイをひた走る。
 コンクリ壁と、その上の防音壁の向こうに、夜景が流れていく……というより飛び去っていく。
 視線のすぐ近くの光ならまだしも、かなり離れて位置の光までもが、点ではなく線として 網膜に認識されていく。
 暖色のナトリウムランプ、車線表示ビーコン、黒々としたアスファルト。
 車高の低い車は、時速百六十キロの速度によって、路面に吸い付くようにして走っていく。 普通車と違って速度が出るほど横転しにくい設計になっているのだ……もちろん限度はあるが。
 速度による見えの錯覚。
 時速百キロ近い他の車さえ、ディネン達から見ればごく低速走行しているように見える。
 低速走行あるいは停止している車の合間を縫うのはたやすい。
 無論、割り込まれたり抜かされたりする方は、そのスピードで割り込まれるわけだから、 ヒヤッとする、などというレベルではない恐怖を味わう。
 並走する二台は、ただスピードだけが要求される直線、あるいはごく緩やかなカーブの外 環道から、遥かにうち周りのために若干カーブのきつい内環道に向け、ジャンクションへ進 行した。
 広いとはいえ、ランプウェイのカーブはきつい。
 スピードによって掛かる浮力に、流線形の車体はそれを受け流し、低い車体は逆に地面に 吸い付く。カーブのために横から掛かるGはハンドル捌きで料理し、かまわず加速する。
 本線上よりも倍は多い照明に、路面は暗闇の中にオレンジ色に輝く。
 その照明の下、ディネンは仕事で得意とする手段を実行した。
 きついカーブにも構わずアクセルを目一杯踏み込む。一瞬で相手の車を追い抜き、ウィン カー無しで前に割り込むと同時に急ブレーキ。
 ぶつかりそうなほど後ろで、ルームミラーに映る黒い車体がぶれた。
 ディネンは急ブレーキが利いた瞬間にはギアを落とし、再びスタートダッシュ以上の加速で もって後ろの車と距離を取っている。
 凄まじい音が夜のクレメントを震わせた。
 ディネンのブレーキに、咄嗟に同じくブレーキを踏みながら急ハンドルを切ったその車は、 ものの見事にスピン、防音壁に激突した。
 ガソリンに引火、爆炎が上がる。
 黒い炎。
「……『炎』を黒く塗ったりするからだ」
 平然と車から降りたディネンは、全身火傷を負いながらも何とか車の残骸から這い出てきた 人影の前に立った。
 ナトリウム灯に、ブスブスと黒煙を履く車のシルエットが無残にも浮かび上がる。
「一般道におけるスピード七十キロオーバーに信号無視七回、危険走行、高速道における スピード六十キロオーバーと……車両不当改造か」
 立つ力も無いその男を靴の爪先でつつくと、ディネンは着ていたスーツの左袖についている ものを取り、その男の目の前に突き出してやった。
 冷たく告げる。
「……GDISだ。道交法違反の現行犯で、この場で逮捕する」
 まったく、散々煽っておきながら、なんてことだ。
 呆然とするその男を見下ろしながらディネンは自分の職場に連絡をし、
(……あらテのいじめだな、これは)
 GDISのオフィスのあるRAEN製作所本社ビルの夜景を遠くに眺めつつ、彼はいつもの 無表情の奥に、何とも意地の悪い、冷たい笑みを押し隠したのだった。

‐完‐

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