Lunatic Side 〜Past〜
第∞話:彼女の配置のウラ事情
「あの、あの」
第二西暦(セカンドA.D)2038年。
いつもは無機質に見える白い廊下も、窓から入る午後の日差しに和らいでいる。後ろ
から声を掛けられ、何となく注意をそちらに向ける。
「あん?」
丸い顔、円らな瞳、小柄な体格。
GDISの研修所で射撃の教官を務めていたあるチームの副リーダーは、廊下で可愛い
女の子の声に思わず足を止めた。副リーダーとはいっても、リーダーが失踪中なので実質
的には彼がリーダーのようなものだが。
「何か用?」
顔に見覚えがある。名前は知らないが、彼が射撃訓練の指導を受け持っている研修生と
よく一緒にいる子だ。恐らく事務系志望なのだろう、PC室でもよく見掛ける。
「えと、えと、来週から現場に上がれることになったんですけどぉ……」
「ああそう、そりゃよかったな」
卒業、ということだ。彼が射撃の面倒を見ている研修生……目の前の彼女とよく一緒にいる
……も、来週であがりだ。同期生ということになるはずだ。
「で、現場のことを伺いたいんですー」
「現場……ねぇ」
外まわりの彼は、実はオフィス内のことは詳しくは知らない。オフィス内にデスクを持
ってはいるが、そこに座っている時間は決して長くない。
「そういうことは君の担当教官に聞いた方がいいと思うぜ?」
「えー……。だってセンパイって、『たいしたもんじゃないわ』しか教えてくださらない
んですぅー。先輩って理想高そうだしー」
彼女の担当教官ならよく知っている。同じチームを組んでいるからだ。第一、大学時代
からの知り合いでもある。
「まあ……あいつはバリバリのキャリアウーマンだからな。仕事の理想ってのは確かに高
いかもな」
「そうじゃなくてー……」
女の子は首をぶんぶんと横に振っている。
恐らく初めての職場が不安なのだろう。誰だって入社時は異常なほどに緊張するし、考え
られないような失敗もするものだ。
「現場ってどーゆー方がいらっしゃるんですかぁ?」
やはり周囲の人間環境は気になるらしい。気の合わない同僚や先輩ばかりに囲まれたら、
やはり誰だって嫌であろう。
「現場って君の場合、当然オフィスのことだよな?」
少し考える。
「当然、課長とかがいて……。メンバーは……そうだな、いつも部屋にいるのは事務員だろ、
あとはPCの専門官。あとは外回りの当番に当たってない捜査員だな。おっと例外、仕事
をまわされない不幸なヒマ人」
女の子は一生懸命メモっている。
「ええっと、捜査員の方って何人くらいいらっしゃるんですかー?」
「はぁ? いや、部屋にはそんなにいないぜ。デスクを与えられるのはそれなりに実力の
あるヤツだけだし」
女の子が目を輝かす。
「それって、つまりエースやエリートだけってことですか?」
「ま、そーだな」
ちょっと自慢げに彼は答えた。
彼もデスクを持っている。しかも、彼は有名難関大卒で、加えて腕も立つ。ただ単に学
歴だけが優秀で何の役にも立たないそこらのお坊ちゃんとは違うのだ。所属チームナンバー
も一般では最上位。自他共に認める実力派エリートである。
「じゃ、オフィスにいる捜査員の方ってすごい人達ばかりなんですね!」
「とーぜん」
更に自慢げ。
なぜなら彼はナンバー2だからだ。『違うだろ!?』という声もしそうだが。
A1副リーダーか、A2リーダーか。
そのどちらかがその能力次第でナンバー2ということになる。A1リーダーは不在、その地位を巡って幾らかの確執もあるようだが、彼は
その地位自体にはあまり興味はない。ただ、自分の腕前については文句無しにナンバー1
だと思っている。
このあとの地位がどうなるかはまだ内示も何も出ていないのでわからない。ただ、前期
の彼の働きからして、上の級なり地位なりに昇格するのは当然だと彼は思っていた。
「オフィスってどんな雰囲気ですかぁ?」
ちょっと考える。
「はっきり言ってフツーだな。ふつーのオフィス。特殊なのは外で仕事している連中だ
けさ。オフィス内はただの会社と変わらないんじゃないのか?」
女の子はシャーペンの先をなめるとメモに何か書き足す。それをぎゅっと握るとその
つぶらな瞳で彼をじっと見た。
「あのあの」
「ん?」
女の子が目をきらきらさせている。
「あの」
女の子が目をきらきらさせてそう聞いてきたなら答えるべきものは一つ。
「ああ、オレ? オレはセスター・ボーウェンだ」
「……ええっと」
なぜか女の子が困ったような笑みを浮かべる。
「そーじゃなくて」
「?」
じゃあ何が聞きたいのだろう?
セスターは思い付く限りの答えを心の中に用意した。名前は名乗ったから、住所、電話
番号、所属チーム。出身大学。入ってからの輝かしい経歴。それから好みのタイプ。
女の子は困ったような顔をしていたが、気を取り直したのか、更にキラキラする瞳で身
を乗り出して尋ねてきた。
「あの! 捜査員の方の中って、先輩よりカッコイイ人、いらっしゃいますかぁ?」
「はァ!?」
質問された内容を反芻する。それが聞いた通りであることを確かめるとしばし考え……答
えはただ一つ、一瞬で出た。思わず笑ってしまう。
「いっこねーだろが! オレが一番かっこいいに決まってるだろ」
女の子は目をパチクリさせると……なぜか溜め息をついた。
「……そーですか」
気のせいか、残念そう。メモをしまう。
「じゃ、たいしたことない人ばかりってことですね。わかりました。お話に付き合って
いただいてどーもありがとーございました」
「お……をいっ!?」
女の子はスタスタ去っていく。無機質な廊下が……いつもにもまして殺風景。
遠ざかる後ろ姿を見ながら……セスターは決めた。
その次の週。
当たり前だが彼女はオフィスで働くようになった。
「……何故私ばかりこうなる?」
オフィス内ではセスターのよく知った顔……今期からナンバー1の座に着いたなったディネンが毎日うん
ざりしている。今期から新人を二人預かることになったのだが……。
この二人というのが、とんでもない問題児!
「まったく、人事の連中は私に責任を負わせてクビにする気なんだな?」
確かに新人の所属の最終決定は委員会と人事課がするのだが……ある程度の案は研修所の
教官とGDISの課長が作る。それが通るかどうかは顧問次第だが。
「あーあ、お互いに上部に嫌われちまったなぁ、ディネン」
斜め向かいのデスクで深刻に落ち込みまくっているのは万年ナンバー2。セスターは上
の特別クラスへ昇級したので、実質的に彼……カスパーが正真正銘、相変わ
らずナンバー2。いつまでたっても……。
そんなわけで彼女……セスターに廊下で話しかけた女の子……アヤノが生き生きとしている
のは意外であったが、セスターは彼女が喜んでいることなど知らず、何やら満足そうにデ
ィネン達を眺めていた。
実は……あの後、委員会に推薦しまくってディネン、つまり……一番可愛げのないヤツに、
人を見る目のない彼女を押しつけたのは、セスターなのであった。
‐完‐
|