第∞話：ぶつかり合う風は刃のごとく

　第二西暦（セカンドＡ．Ｄ）二……二千何年だったか。
　どの時代にもいるのだ、こういう存在は。
「馬鹿かッ貴様らはぁッ！」
　顧問が怒鳴りちらしている。
　たたき付けられた書類はその勢いで床にちらばり、申し訳なさそうにへばり付いている。
「貴様らそれでもＧＤＩＳか！？　恥を知れ！」
　炎の名のとおり顔を真っ赤にして怒鳴る顧問の前で、彼は片耳に指を突っ込んだ。
（あんたの方がよっぽど恥だよ）
　とは、いってやりたいのは山々だがほかの捜査員にまでとばっちりを食らわせるのは目に 見えているのでやめておく。
　クレメントシティにある、ＲＡＥＮ製作所本社ビル。
　二十年後には『旧』本社ビルと呼ばれることになるが……ここの三十八階にその部屋はあった。
　総務部情報課特別捜査係……略称ＧＤＩＳ。
　その隣室の顧問部屋……通称『呼び出し室』から、彼等捜査員達はやっと開放された。
「……ったく、相変わらずだな、あの雷親父は。いつもいつもあの……」
「……シッ」
　ぐちぐちいい始めた同僚を別の同僚が制す。
　その視線の先には、やはり一緒に怒鳴られていた彼……ユーロスの姿。
　ユーロスはチラッと同僚を見ると肩を竦めた。
「知ってるか？　無能なヤツほど怒鳴りたがるんだぜ？」
「……ええと……」
　同僚達は返答に困っている。
　ユーロスはさらに肩を竦めると、その場を離れた。
　無能……彼はそう評したが、顧問は決して無能ではない。
　なぜなら、今の顧問は……現役の捜査員、しかもその最上級職・特別捜査官であるからだ。
　歴代顧問で最も激しいといわれるその顧問は……ボレアス・エアフルト。現ＧＤＩＳエース、 ユーロス・エアフルトの父親であった。


「……さて、どこから手をつけるか」
　ガラスは割れ、ドアはゆがみ、天上も壁もはがれ掛けた……昔の小さな会社のビル。
　二十年ほど前に倒産したその会社の建物は今……武器不正密売グループのアジトになっていた。
　窓から傾き始めた陽光が差し込む。
　照らされて浮かび上がるのは…背の高い男。
　冬空のような、蒼みがかった恐ろしく長い銀髪、漆黒というよりはどこかくすんだ色味の黒いロングコート、その下には幾らかくたびれた、着崩れしたスーツ。
　よく見れば髪は緩く結わえられ、コートの左袖には何かのエンブレム。
　見る者が見れば、それはすぐにＧＤＩＳの特別捜査官にのみ配給されるコートだとわかるであろうし、また……その容姿から、彼がその筋では有名な鬼捜査員であることもわかるだろう。
「少しは片付けろよな……」
　人気の感じられない廊下には、ダンボールや曲がったスチール棚が埃まみれのまま放置されている。
　それを蹴飛ばしてどかすと、ユーロスはポケットから建物の見取り図を出して現在地を確認した。
　……襟元の緩いワイシャツに、やはりだらしなく締められたネクタイ、ボタンの一つもかかっていないスーツに羽織っているだけのコート、伸び放題の髪の毛……。
　そんな容姿の青年が、壁に寄り掛かり、片足はつぶれたダンボールの上に乗せて何かを呼んでいる。
「ここが三階で……で、そこが待合ロビーか」
　目の前のちょっとした広がりの空間は、会社時代の三階ロビーだったようで、スポンジが飛び出したソファーなどがそのままになっている。
　遠見は不良、近くで顔だけ見れば逆に優等生っぽく見えるＧＤＩＳエースは、差し込む日光に色が付き始める頃まで慎重にそのフロアを調べた。
「この階に何かあるはずなんだがな……？」
　昔の倉庫、役員室、会議室…廊下、ロビー。ロビーにはこの階の配電盤があるようだ。試しにいじって見るが……やはり電気は止められている。
「……またガセネタだったんじゃないだろうな？　ちゃんと確かめたのか？　あのクソ親父」
　密売組織のアジトだったらしいが……武器らしいものはどこにもない。
　なんでも別口で捕まった者がここを吐いたらしいが……。
「誰か連れてくるべきだったかな？」
　ユーロスはクラスＡに所属しているが、特定のチームには籍をおいていない。一人で動いて遊撃軍の役をしている。
　もっとも彼の能力では、チームなど率いたら誰も付いて来られまい。
　彼の能力は組織の中では抜きんでていて……抜きん出過ぎていた。
　といってもそれは身体的能力であって、他は多少優れる程度であった。
　ではなぜ恐れられるかというと……。
　ふいに声が掛かった。
「何かお探しかな？」
「まあね」
　ユーロスは見取り図をポケットに突っ込むと、再び寄り掛かっていた壁から身を起こした。
　六人。
　ユーロスの背後の廊下に二人、目の前のロビーに四人。ロビーの向こうにはさらに廊下が続いている。
　ユーロスを挟み撃ちにしたつもりなのだろう。
「へえ、お出迎えか。手間が省けたな」
　六人のうち、ロビーの二人は手配書の顔だ。
「丁度いい、ここで話しておこう。武器不正改造及び密売容疑、及び殺人容疑で逮捕状が出ている。死にたくなかったらおとなしく捕まることを推奨するぞ」
　いいながらユーロスは手をホルスターに伸ばした。
「抵抗したら命の保証はしてやんないぞ。武器は横流すわ、邪魔なヤツは消すわ……危険だから野放しにするな、殺して構わんとのお達しだからな」
　案の定、相手は返答代わりに手に手に武器を取り出す。
「……まあ、これでおとなしく捕まってくれるようなら、戦用捜査員なんていらないんだがな」
　戦用捜査員……捜査員たるもの一応全員がある程度の戦闘術は身につけているが、戦用捜査員はその中でも戦闘を中心となってこなす者達だ。
　護衛を務める者は、護身術など体術系の防御戦闘をこなすが、ユーロス達のそれはあくまでも攻撃用の戦闘術だ。
　凶悪犯罪に加え、逮捕や職務質問の際に武器を取って暴れ抵抗する者が増え、戦用捜査員の数は嫌でも増えている。
　建物の中に銃声がこだました。
　銀の銃（サイレント・ティアー）が炎を吐く。
　サブマシンガンを手にする者を真っ先に撃ち抜くと、続いて背後の二人を片付ける。
　ロビーから襲いかかる銃弾は、スチール棚やソファーの影に身をひそめてやり過ごす。
　ガシャッ！
　音をその場に残し、ユーロスは物陰からロビーへ躍り出た。
　相手の人数は……音を聞き付けたのだろう、三人ほど増えている。
　といっても既に三人倒されているので人数は元のままだが。
「へえ、逃げないで駆け付けるとはね……度胸は買うが頭はよくないぜ？」
　たった一人の捜査員ごとき、数さえあればなんとでもできると思ったのだろう。
　だが……それには相手が悪すぎる。
　銃声と怒声、罵声の飛び交うロビー。
　至近の相手をユーロスは投げ飛ばすと、銃弾をよけるために物陰に滑り込む。
　身を隠すソファーは銃撃の嵐にずたずたになり、スプリングのはじける音がする。
　ソファーごとユーロスを蜂の巣にしようというのか、全員の射撃が集中する。
（やれやれ、単純な連中だな）
　ユーロスは視線を壁沿いの棚に移した。
　ひびの入ったガラスがはまっている。
　そこに……彼目掛けて銃を乱射する全員の姿がはっきりと映っている。
　ユーロスは足下に落ちていた瓶を拾った。自分のコートに包み……横に放りなげる。
　全員の視線が一瞬それに向いた。
「はっ、小細工を！」
　一目でダミーだと分かる。
　が、視線を彼等が戻した時には……既にユーロスは彼等に躍りかかっていた。相手の位置はガラスに映る影で確認済みだ。
「あんた達の一瞬は俺には十分くらいあるんだよ」
「！！　ッ！」
　埃が日光に照らされて煙る室内を、長い銀髪と黒いコートの裾が揺れ動く。
　金具のはめ込まれた革靴が、手刀が、首筋や手首にたたき込まれる。 　錆びたパイプ椅子やがらくたを巻き添えに、ある者は吹っ飛び、ある者は武器を落としてうずくまる。　銃口をユーロスに向ける者も吹っ飛ばされた仲間や家具の下敷きになり、また、元からゆがんでいたテーブルや棚もさらにゆがみ、銃弾を受けて正真正銘のがらくたへと姿を変えていく。
「さて……？」
　落ちかかる髪をユーロスはかき上げた。床に落ちたコートを拾い上げ、軽く羽織り直す。
　床には……四人ほど転がっている。手加減したので死んではいないだろうが……もう立てまい。
残り二人は……手配書の二人は……ユーロスを睨みすえて何とか立っている。
「もういっぺん言おう。死にたくなきゃ、おとなしく捕まっちまいな」
「その前にお前が死ね」
　いい終わらぬうち、二人の銃が咆哮する。
　が、彼等が口を開いた時には既にユーロスは身をかわし、銃の一発は、ユーロスを背後から銃の射程に捕らえようとしていた床の男に命中する。
「徹底抗戦か。どうせならもうちょい高度に戦ってくれないかね？」
　狭い場所、至近距離。
　こんな所で撃ち合うのはユーロスにとって馬鹿げたことだった。まして、敢えて急所を外している。戦っている気にならない。
「……ならばいいことを教えてやろう。次に発砲した時……その時がお前が死ぬ時だ」
「へえ？」
　相手の親切な忠告に、ユーロスは馬鹿にしたように片眉を上げた。
「俺のかい？　あんたらの、の間違いだぜ？」
　立っている相手の手にユーロスは視線を軽く流した。
　引火性発火粒子ガス。
　激燃性の極微小粒子……科学性火薬の粉末だが……を酸素及び水素からなるガスで噴霧するものだ。
　相手の手にする円板状のものから流れ続けている。
　最近よく使われるものだ。
　火器はもちろん、運が悪ければこれの充満している部屋の電気のスイッチを入れただけでも粉塵爆発を起こしてくれる。
　爆発するのはそれの充満する範囲。大抵の場合、使った者も巻き添えにする。
　幾らＧＤＩＳの制服に耐熱性があるとはいえ、爆発の凄まじさは防げない。
「とっとと帰れよＧＤＩＳ。死にたくなかったらな」
　ユーロスは首を竦めた。
「あいにくだがね。ここで帰ると帰還先で殺されかねないからな」
　クソ親父め。
　兄には甘いくらいなのに、なぜかユーロスには当たり散らす。
「だったらここで死ね」
　ガスと粉末の充満するロビーに、床をける音が響いた。二人同時、ナイフを手に突進してくる。
　ユーロスはそれをチラッと見ると……銃を放りなげた。そのまま手は……コートの下に伸びる。
　次の瞬間、絶叫がこだました。
　弓のような線が目に捕らえられないスピードで描かれた……描かれたようだ。何も見えないが、そうらしい。
　空気が裂ける音がそれに続く。
　同時、濃い色の飛沫が上がったかと思うと、何かの断ち切れる鈍い音と共に床に盛大に赤い花が咲く。
　チャッ……。
　刃が返った。付いていた血が振り落とされる。
　一瞬にもみたぬうち、あっけなく終わる。
「な……」
　絶命した一人と、ユーロスを交互に見、最後の一人は顎を落とした。
「お前らみたいにガスを使う奴等が増えてね、」
　赤く染まった細い剣が、男の眉間に突き付けられる。
「おかげで、こういうのを振り回すのがうまくなっちまったんだぜ？」
「！！！」
　やっと相手は付きけられたものが何かを理解した。
　仲間の命を奪った凶器は、働いていた一瞬の間、余りの素早さに彼の視界に取り込めなかったらしい。
　刃に金属の鋭い輝きはない。
　その代わり……かすかに青みがかり、ツヤのない鈍い輝きを放っている。
　セラミックの刃だ。
「さっき言ったぜ？死にたくなきゃとっとと捕まれよ、ってな」
「………………」
　相手は……沈黙した。だが、数秒後、突然笑いだした。キレたのだろう。同時に弾かれるように立上がり……。
「死ねえええええッ！」
　ナイフを腰溜めに構えて突進する。
「……やれやれ」
　ユーロスは……ただ真っ直ぐ手にするものを突き出した。
　それだけで……取りあえず仕事は終わってしまった。


「この無能者がァッ！」
　バンッ！
　拳が机にたたき付けられる。
「二人とも殺してどうする！？　供述が取れなくなったじゃないか！　それくらいも分からんのか、この馬鹿が！」
　分かりきったことだが……やはり怒鳴られた。
　取りあえず室内には彼……ユーロスと顧問……ボレアスしかいない。
　八つ当たりを食う他の捜査員もいないことだし、ユーロスは耳に指を突っ込んだまま口から毒針を飛ばした。
「一々怒鳴るな。無能はあんただろ。抵抗したら容赦するな、野放しにすると危険だから殺せ、そう指示を出したのは親父だぜ？　ンなもん、最初っから供述なんか取れっこないに決まってるだろ」
「分かってるなら生きたまま連行せんか！」
　ガンッ！
　殴られた机が抗議の声を上げる。
　最後まで抵抗した首謀者二人は殺害、残り人員は連行。
　たった一人で働いたのだから戦果はまずまずなはずだが……顧問はお気に召さなかったらしい。怒れる風神のごとく、真っ赤になって怒鳴り散らしている。
「もういい！　出て行け！」
「あー、分かったよ」
「なんだ、その口のききかたは！」
「う・る・さ・い！　だったら手本になるような喋り方をしろ、クソ狸！」
「！！！！！」
　怒鳴り返して取りあえず顧問を黙らせ……ユーロスは部屋を後にした。
　とにかく、顧問がボレアスの間、このようなやり取りは何年もまだ続いていくのである。
　そしてそれは……どうやら顧問やエースが変わっても続けられるようであった。