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神々とメシア

真のお父様が明かされた、夜の神様と昼の神様とは。また、六マリアとは何だったのか。

夜の神様、昼の神様とは。万王の王、二代王、三代王とは。アダム、イエス、再臨主、真の父母、天地人真の父母とは。新しい堕落論、再臨論とは。家庭連合、サンクチュアリ協会、サンクチュアリ教会


5.愛と堕落

5-1 愛の必要性、副作用のリスク

5-2 愛の創造

5-3 堕落の可能性、初代天使の堕落、悪の発生

5-4 命の木、善悪を知る木


5-1 愛の必要性、副作用のリスク

創造の基本過程からみた場合、夜の神と昼の女神は、法則によって結ばれたのである。そして、その関係は、主体と対象であり、昼の女神は、夜の神に従う立場になっている。次に、夜の神と夜の女神が、法則によって一時的に結ばれたのであるが、その関係が一時的であったのは、夜の神と夜の女神が、同格の主体同士であり、また、それぞれが相反する性質、つまり絶対性(目的を指向)と相対性(関係を指向)を持っていたため、互いに反発せざるを得なかったからである。

結論からいえば、夜の神と夜の女神は、天の父と天の母に昇格したあと、いつかは本当の夫婦として、一体となるべき関係である。ただし、主体と対象のような主従関係ではなく、同格のパートナーとしてである。そうなった場合、夜の神と夜の女神は、原初の神と同様の存在形態、つまり一つになる。しかし、そうなるためには、絶対性と相対性のバランスをとらなければならない。原子核と反原子核は、互いに性質が正反対であり、双方が同じ質量ならば、衝突したときに対消滅する。それと同様に、夜の神と夜の女神においても、双方のバランスがとれた場合には、一体となるのである。

絶対性と相対性がバランスをとるためには、同格の立場でのコミュニケーションが必要である。しかし、その前提となる"愛"が欠けていた。たとえ原理原則通りのことを主張しても、相手への思いやりが無ければ、相手はそれを受け入れてくれないのである。それで、夜の神は、愛を追求せざるを得なかった。その追求は、目的を果たそうとする夜の神にしかできなかった。ただし、愛の追求にはリスクがあった。愛を知るためには、その正反対の"憎しみ"を知らなければならなかったからである。例えば、幸福を実感するためには、不幸とはどのような状態なのか、ということを知らなければならないようにである。創造には、常にこのような副作用のリスクが伴っていた。夜の神が追求する愛は、夜の神の中では、まだ完成していない。今もなお、夜の女神と闘っているのである。


5-2 愛の創造

夜の神が求めてきた愛は、家族の愛であった。それは、夫婦の愛、親子の愛、兄弟姉妹の愛である。実は、永遠の世界では、家族関係を築くのが難しい。そして、命が有限な肉体が無ければ、命の尊さや家族の大切さが分からないし、年齢差による家族関係の認識も容易ではない。さらに、物が有限な地球が無ければ、感謝の気持ちが分からないし、生活や子育ての中で、苦労や喜びなどを経験することができない。つまり、地球と人間の創造は、必須だったのである。

地球で創造された人間は、感情が豊かで美しく、とても魅力的だった。人間は、天使(この場合は地上のアヌンナキ)から色々なことを学んでいたので、天使に対してとても感謝していた。天使もまた、人間の教育に、やりがいを感じていたのであった。人間は、家族愛をはぐくむ事ができた。夜の神は、人間を通して家族の愛を知るようになった。

人間が創造される前には、恋愛感情と友情があった。人間の家族によって、恋愛感情が夫婦の愛に、友情が兄弟姉妹の愛になった。さらに、人間の家庭では、親子関係が明確であったため、親子の愛が生まれた。


5-3 堕落の可能性、初代天使の堕落、悪の発生

堕落とは、夜の神側の霊統から離れることである。ルシファーは、最初の昼の神で、夜の神の弟であり、初代天使長でもあった。そのルシファーが、何故、夜の神に背き、堕落したのか。創造の過程には、このような事が起こる可能性があったのである。

ルシファーは、夜の神の創造計画に従い、熱心に創造を手伝っていた。ただ、夜の神に褒められたい一心だったのである。反面、ルシファーは、相対性主体である夜の女神に影響されやすかった。つまり、組織の維持を優先する支配主義に傾いていた。それがのちに、悪の発生へとつながっていったのである。

絶対性と相対性は、善悪の関係ではない。両方とも必要な性質なのである。しかし、相対性が絶対性を超えて、支配そのものが目的となったとき、その下層で二次的に悪が発生するようになっている。

相対性が絶対性を超えず、対象の位置にあれば、他を保護し、育成しようとする母性が表れる。これは支配ではない。ところが、相対性が絶対性を超え、主体の位置になれば、自己の利権や立場を守るために、他を支配し、犠牲にしようとする利己主義の性質が表れる。

支配の方法は、強大な権力を持つピラミッド組織を構成して、下層の自由を抑制し、管理するのである。注意すべきなのは、ピラミッド組織自体に問題があるというのではなく、下層の自由を奪うことに問題があるということである。

ここで、ピラミッド組織を原子に例えると次のように解釈できる。原子核(組織のトップ)の周囲を電子(構成員)が回っている。電子(構成員)には軌道(グループ)の変更が許されているが、電子(構成員)の中で最も拘束を受けていないのは、中心から最も離れた価電子(自由な構成員)である。その価電子(自由な構成員)が、他の原子(組織)の軌道を共有する(構成員と接触する)ことで、複数の原子(組織)の結合(交流)がなされる。これを共有結合という。つまり、原子核(組織のトップ)は電子(構成員)を必ずしも拘束(支配)してはいないのである。

支配を目的とするピラミッド組織は、その組織の維持が優先であるため、組織内の矛盾は隠蔽され、事実と違うことが、事実のように取り扱われる。このようにして悪質な嘘が蔓延し、理不尽な事が起きるようになるのである。上部の方針に従わない者は、管理者によってしいたげられ、不当な人事をされる事もある。(人権蹂躙)たとえ、下層が苦しめられ、様々な問題が発生しても、管理者は上に報告をせず、自分の立場を守ろうとする。そのため上部では、問題が発生している事さえ知らずにいるのである。

悪は上部が原因となり、管理者が行う。これが、悪が二次的に発生するという意味である。また管理者に、悪を行った自覚は無い。ただ、そうしなければならないと思ったのである。夜の神と夜の女神に従っていた天使長ルシファーが、まさにそのような管理者の長の立場だった。

ルシファーは、愛を知らなかった。それは、夜の神も同じことだった。それで夜の神は、人間を通して愛を知ろうとしていたのである。これは、決しておかしな事ではない。人間は、子育てを通して色々なことを経験し、親として成長していく。科学者は、実験を通して様々な事実を知り、知識を高めていく。主体は、対象を通して学ぶようになっているのである。

夜の神が目指していたものは、権力による支配ではなく、愛による主管であった。ルシファーは、天使界を支配していたが、これを夜の神が、完全に否定したのである。ルシファーとしては、夜の神に褒められようと、努力してきた事だった。その上、夜の神から、人間の愛を学ぶように言われた。ルシファーは、その意味が、全く理解できなかった。人間も、自分が支配すべきだと考えていたからである。こうしてルシファーは、俗にいう、ぐれた状態になっていった。

ルシファーの苦労を知っていた天使の中には、ルシファーに同情する者たちもいた。ルシファーは、仲間の天使を集めて、夜の神に対して反乱を起こした。しかし、第二の昼の神であるミカエルが、夜の神側に付いて、それに対抗した。天使たちは、ルシファー派とミカエル派に分かれて、大戦争となった。結果はルシファーが負け、処罰されることになった。ルシファーは天使長を降ろされ、その代わりとして、ミカエルが二代目の天使長となった。

ルシファーは、罰として、地球に閉じ込められることになった。人間の愛によって、ルシファーを更正することができると、夜の神が信じていたからである。ルシファーが地球から逃げ出さないように、ミカエルが同行した。

夜の女神側は、力では、夜の神側にかなわないことが分かった。そのため、地上では、論理戦(思想や教育など)や情報戦(言論などによるプロパガンダ)によって、夜の神側を窮地に追い込もうと考えた。


5-4 命の木、善悪を知る木

ルシファーの影響を受けた遺伝子を持つDNAが、旧約聖書の創世記においてエデンの園にあったとされる"善悪を知る木"である。しかし、ごく一部の人間は、夜の神側のアヌンナキに守られ、ルシファーの影響を受けていなかった。その遺伝子を持つDNAが、"命の木"である。この"命の木"の血統は、"善悪を知る木"の血統と混ぜてはいけなかった。(下の絵はアッシリアの生命の樹)