児童の数 じどうのかず
とじる

 今の百合小の児童(じどう)の少なさには驚(おどろ)きます。 1960年代(ねんだい)には千数百名(せんすうひゃくめい)はいたとおもいます。

 つぎつぎと校舎を大きくしていましたが、それでも教室(きょうしつ)がたりなくなり、 東側(ひがしがわ)の渡り廊下(わたりろうか)の2階(かい)の両側(りょうがわ)を出入り口のついた壁(かべ)でふさいで、 図書室(としょしつ)として使(つか)っていました。

2階渡り廊下 2010-07

南側の校舎から見た2階の渡り廊下(わたりろうか)です。 今になってみるとこんな狭(せま)いところが図書室だったのはおどろきです。  閲覧机(えつらんづくえ)はなかったと思いますが、窓際(まどぎわ)にはいくつも本棚(ほんだな)が並(なら)んでいました。

左の窓(まど)の外がプール。 窓は重くて開けるのがたいへんだった鉄(てつ)サッシです。  夏には窓枠(まどわく)にガラスをとめているパテ(べとべとしたねんどのようなつめもの)がグニャグニャにやわらかくなっていました。

左はじの窓の上のほうに丸い穴が見えます。
たぶん、石炭ストーブの煙突(えんとつ)を通す穴の名残(なごり)ではないかと思います。 この場所が図書室だったときに使っていたのがそのままなのでしょう。

2010年7月24日 旧校舎の見学会にて

❢編集ミスにより、しばらくの間、画像が表示されていませんでした。
  失礼いたしました。(2021-06-23)

 ついには、鉄筋(てっきん)コンクリートの校舎だけでは収(おさ)まりきらなくなり、 南側(みなみがわ)の校舎(こうしゃ)の前に平屋(ひらや=1かいだけのたてもの)のプレハブ校舎を作りました。  もともとどの教室にも冷房(れいぼう)も扇風機(せんぷうき)もありませんでしたが、 とくにプレハブ校舎の教室は夏(なつ)にはとても暑(あつ)くなり、たいへんだったようです。

 今(2010年)、校舎の建て替え(たてかえ)のために新しい3階(がい)だてのりっぱなプレハブ仮校舎を作っていますが、 これは冷房(れいぼう)が入るのでしょうね。

完成してから見たら、仮校舎にはちゃんと冷暖房(れいだんぼう)が入っていました

 このホームページ内で紹介(しょうかい)している写真(しゃしん)の中には、プレハブ校舎が写(うつ)っているものがあります。  たとえば、「百合丘小 1968」の人文字(ひともじ)の航空写真(こうくうしゃしん)には2つのプレハブ校舎が見えます。

 また、人文字の写真から、とてもたくさんのこどもがいたこともわかります。

航空写真

最近の児童の数 (さいきんのじどうのかず)

その後、創立50周年(そうりつ50しゅうねん)をむかえた2015年。  2015年(H.27)8月の百合小の児童の数を百合小のホームページでしらべたら、750名でした。 いちばんたくさんいた時の半分くらいでしょうか。

同じく百合小のホームページによると、1968年(S.43)には川崎市でいちばんの児童数(じどうすう)となり、 39学級(がっきゅう)で1622名が学んでいたということです。

児童が増えています (じどうがふえています)

2019年5月、久しぶりに百合小のホームページを見ると 2018年度(H.30)の児童数が 909人になっていました。  けっこう増(ふ)えてる! この少子化(しょうしか)の時代に増えています。

白山小学校(はくさんしょうがっこう)のように閉校(へいこう)したところもありますが、直接の影響(ちょくせつのえいきょう)があるとは思えません。  いっぽう、東京都の晴海(はるみ)や勝どき(かちどき)とか、川崎市の武蔵小杉(むさしこすぎ)のように、 超高層(ちょうこうそう)マンションがたくさんできたためにこどもの数が急に増えたという地域(ちいき)もあります。

百合小の場合はどうなのでしょうか。 2000年代に入ってからだったか、新百合ヶ丘駅(しんゆりがおかえき)の北側(きたがわ)にはたくさんのマンションができ、 2019年の今でもマンションの数は増えつつあります。

 

武蔵小杉のような超高層マンションではありませんが、 たくさんの大きな建物(たてもの)が並んでいます。  たくさんのわかい家族(かぞく)が住んでいると思われるので、こどもの数もこの地域では増えているのではないでしょうか。

調(しら)べたところ、これらのマンションは百合小の学区(がっく)に入っていました。(万福寺(まんぷくじ)2,3丁目の一部)

2012年に新しい校舎を使い始めた時に見学に行きましたが、あの時は空き教室もあり、ゆったりしていました。  現在はちょっと狭(せま)くなっているのかもしれません。

(2019-05 記)