百合小の風景 ゆりしょうのふうけい
とじる

 1960年代(ねんだい)の百合小の運動会(うんどうかい)などの写真(しゃしん)が残(のこ)っています。  そこには、まわりの風景(ふうけい)も写(うつ)りこんでいます。  いまはもうなくなってしまった当時(とうじ)の風景(ふうけい)を紹介(しょうかい)しようと思(おも)います。

 そして、改築(かいちく)直前(ちょくぜん)の今、2010年(H.22)の風景も加(くわ)えてみました。

1965年(H.40) の秋(あき)の大運動会(だいうんどうかい)の写真(しゃしん)です。

 バス通(どお)りからの土手(どて)には雑草(ざっそう)が生(は)えている程度(ていど)で、どこからも簡単(かんたん)に上(のぼ)れました。  土手のとちゅうに平(たい)らな道(みち)になっているところがあって、そこが見物席(けんぶつせき)になっていました。

 この土手はそのご「ゆりっこ森」になって、多くの木々がしげり、たくさんの百合がうえられています。  今も残る(のこる)斜面(しゃめん)中ほどの小道(こみち)を歩くと、ほんとうに森の中にいるようです。

 奥(おく)には団地(だんち)の建物(たてもの)が2棟(とう)(み)えます。  左が百合丘第一団地(ゆりがおかだいいちだんち)の2号棟(ごうとう)、右が3号棟です。 

さつえい:1965年10月10日(S.40)

体育の日

 1964年10月10日に開会(かいかい)した東京(とうきょう)オリンピックを記念(きねん)して、10月10日が「体育の日」(たいいくのひ)の祝日(しゅくじつ)になりました。  体育の日に運動会を行った小学校も多かったと思います。 (現在(げんざい)は10月の第2月曜日(だい2げつようび)

 しかし、「体育の日」がはじまったのは 1966年(S.41) でした。  この運動会(うんどうかい)が行(おこな)われた1965年は、たまたま 10月10日が日曜日(にちようび)でした。

校庭(こうてい)の西側(にしがわ)の、雲梯(うんてい)と攀登棒(はんとうぼう)のまわりの様子(ようす)です。

 まだガードレールがない道路(どうろ)に、自動車(じどうしゃ)があたりまえのようにに路上駐車(ろじょうちゅうしゃ)しています。

さつえい:1965年10月10日(S.40)

校庭(こうてい)の南側(みなみがわ)、階段(かいだん)につづく道(みち)のあたりです。  右の屋根(やね)の建物(たてもの)は、星外科(ほしげか)医院(いいん)です。 (医院はなくなり、2010年には駐車場(ちゅうしゃじょう)になっていました)

 バス通(どお)りに続(つづく)階段をたくさんの人が歩(ある)いています。  小学校(しょうがっこう)の運動会は、地域(ちいき)の大イベントだったのです。

さつえい:1965年10月10日(S.40)

1967年(S.42) の夏(なつ)の箱根(はこね)の林間学校(りんかんがっこう)への出発前(しゅっぱつまえ)の光景(こうけい)です。

 後(うしろ)にみえる屋上(おくじょう)が凸型(とつがた)の建物(たてもの)は、百合ヶ丘中央病院(ゆりがおかちゅうおうびょういん)です。  現在(げんざい)、この場所(ばしょ)には、マンションの百合ヶ丘シティタワーがあります。

 病院(びょういん)と並(なら)んでいる建物(たてもの)は、手前(てまえ)の木の左側(ひだりがわ)が百合丘第一団地(ゆりがおかだいいちだんち)3号棟(ごうとう)、木の右側(みぎがわ)が4号棟です。

 病院の右側(みぎがわ)に頭が少し見える建物(たてもの)は、上からみるとY字型(わいじがた)になっている13号棟です。  百合丘団地は山を削(けず)って作られました。  団地を建(た)てる土地(とち)の形(かたち)のためなのか、箱形(はこがた)だけではなく、Y字型の棟(むね)が8棟(とう)ありました。

Y字型の建物については、こちらもごらんください
 → 百合丘団地

 バス通(どお)りには、街路樹(がいろじゅ)としてしだれ柳(やなぎ)が植(う)えてあります。  写真(しゃしん)の街路樹の形(かたち)からしだれ柳であることがわかると思(おも)います。  柳が植えてあったので、この道(みち)を柳通り(やなぎどおり)とよぶのでしょう。  現在(げんざい)の街路樹は、別(べつ)の木(き)に植えかえられています。葉(は)の形(かたち)からトウカエデ(唐楓)だとおもいます。

 後日(ごじつ)、トウカエデであることを確認(かくにん)しました。  このページのおしまいにトウカエデの写真を掲載(けいさい)しましたのでごらんください。

さつえい:1967年7月21日(S.42)

校舎屋上(こうしゃおくじょう)から見た西の方角(ほうがく)です。  1966年3月の撮影(さつえい)なので、北側(きたがわ)の校舎屋上からの風景(ふうけい)だと思(おも)います。 (この時期(じき)は南側校舎(みなみがわこうしゃ)は建設中(けんせつちゅう)

 まわりの住宅地(じゅうたくち)にはまだ空き地(あきち)が多(おお)くあります。  右側(みぎがわ)にみえる建物(たてもの)は、現在(げんざい)もある「百合ヶ丘マンション」です。  左端(ひだりはし)の道(みち)のつきあたりにある1階(かい)が車庫(しゃこ)になっている建物(たてもの)も、今もそこにあります。

さつえい:1966年3月(S.41)

1960年代(ねんだい)は、マンションとかハイツとかの名前(なまえ)がついた「ちょっと高級(こうきゅう)なアパート」は、まだ多(おお)くはなかったとおもいます。

 百合ヶ丘マンションは小田急線(おだきゅうせん)からよく見える高台(たかだい)にたっていることといい、ちょっとおしゃれな形(かたち)といい、 当時(とうじ)の百合丘ではとても目立(めだ)つたてものだったと思います。

 2枚の写真(しゃしん)は現在の百合ヶ丘マンションです。  45年ほど前(まえ)の建物ですが、古(ふる)いデザインにはみえないのではないでしょうか。

さつえい:2010年7月17日(H.22)(左)  2010年7月30日(H.22)(右)

2010年の百合小の写真です。

 2010年(H.22) 5月に仮校舎(かりこうしゃ)の建設(けんせつ)が始(はじ)まる直前(ちょくぜん)の校庭(こうてい)です。  45年前(ねんまえ)からつづく校庭もこれで見納め(みおさめ)です。

 このあと校庭には仮校舎が作(つく)られましたが、新(あたら)しい校舎ができて仮校舎がとりこわされるとき、新しい校庭はどうなるのかおたのしみです。

さつえい:2010年5月6日(H.22)

バス通(どお)り側(がわ)のゆりっこ森の斜面(しゃめん)を削(けず)り、 工事用(こうじよう)の自動車(じどうしゃ)の通り道(とおりみち)を作っています。

 森で育(そだ)っていたおおきな木もたくさん抜(ぬ)かれてしまいました。  こんな大がかりな工事(こうじ)をするとはおもっていなかったので、おどろきました。

さつえい:2010年5月18日(H.22)

工事用自動車(こうじようじどうしゃ)の通り道(とおりみち)がだんだんとできています。 太い鉄骨(てっこつ)を使う大工事です。 

 木が抜(ぬ)かれ、クレーンでつるされています。 また、元にもどされれば良いのですが、どうでしょうか。

 ヒミツ→ ほんとうは、こっそりと宇宙船(うちゅうせん)の秘密基地(ひみつきち)をつくっているんだよ。

さつえい:2010年5月20日(H.22)

工事用自動車(こうじようじどうしゃ)の通り道(とおりみち)ができました。 バス通りから直接(ちょくせつ)入れるようにするなんてスゴイ。

 校庭(こうてい)では、仮校舎(かりこうしゃ)づくりがすすんでいます。

さつえい:2010年5月31日(H.22)
百合小前横断歩道橋(おうだんほどうきょう)の上から

 2010年現在(ねんげんざい)の柳通り(やなぎどおり=バスどおり)の街路樹(がいろじゅ)は、トウカエデです。 まだまだ伸び盛り(のびざかり)です。 漢字では「唐楓」と書きます。

 夏が過(す)ぎるととてもきれいな紅葉(こうよう)を見せてくれます。

 左の写真(しゃしん)の後(うしろ)に見えるのは「百合丘小学校前歩道橋」(ゆりがおかしょうがっこうまえほどうきょう)です。 歩道(ほどう)の左側(ひだりがわ)に見える扉(とびら)は、百合小の工事用(こうじよう)出入り口です。

さつえい:2010年8月24日(H.22)