町の名前 まちのなまえ
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とじる |
あまり気にしていない人が多(おお)いかもしれません。 町の名前(なまえ)は漢字(かんじ)で「百合丘」と書(か)き、小田急線(おだきゅうせん)の駅(えき)の名前は「百合ヶ丘」と書きます。 もちろんどちらも「ゆりがおか」と読みます。 小学校(しょうがっこう)の名前は町とおなじ「百合丘小学校」です。 本屋(ほんや)さんでうっている地図(ちず)をみても、「百合ヶ丘小学校」とまちがえてかいてあるものもあるくらいで、なかなかきづかない違(ちが)いです。 近くの大きな急行停車駅(きゅうこうていしゃえき)「向ヶ丘遊園」(むこうがおかゆうえん)にあわせて駅名(えきめい)には「ヶ」をいれたのかもしれません。 私は1960年代から百合丘の東どなりの生田(いくた;今の東百合丘)にすんでいました。 住宅地(じゅうたくち)は、向ヶ丘遊園からずいぶんととおいのに、向ヶ丘遊園文教台(むこうがおかゆうえんぶんきょうだい)とよばれていました。 当時は、「向ヶ丘遊園」が今の「新百合ヶ丘」のように人気(にんき)のある駅(えき)だったのです。 今でも咲(さ)いているところがあると思いますが、町ができる前(まえ)からまわりの山には多くの山百合(やまゆり)の花が見られたようです。 百合小の校章(こうしょう)も山百合です。 私は、山百合が咲いている丘がある町なので百合丘であると考えていたのですが、ほんとうの理由(りゆう)ははっきりしません。 こういう話もあります。 町を作る時にまわりの百ほどの集落(しゅうらく)が1つになった。 あるいは、百人ほどの地主(じぬし;とちをもっているひと)が協力(きょうりょく)した。 だから、百が合わさって百合丘になった。 名前の由来はいろいろあります。 図書館(としょかん)などで郷土史(きょうどし)の本をしらべて見るとおもしろいでしょう。
❢ その後調べたところ、当時、百合丘の開発に関わった人たちも含めて作成した資料に興味(きょうみ)あることが書いてありました。(2022-01)
ところで、現在、山百合の花は毎年7月初め頃、百合小のバス通りに面した斜面(ゆりっ子森)や弘法松公園内で見ることができます。 |
百合丘のまちとともにできた「百合丘第一団地」(ゆりがおかだいいちだんち)と「百合丘第二団地」(ゆりがおかだいにだんち)は「百合丘」と書きます。 しかし、2000年代になって建(た)てかえられた「サンラフレ百合ヶ丘」と「百合ヶ丘みずき街」(ゆりがおかみずきまち)は「百合ヶ丘」と書くのです。 今は団地(だんち)の名前(なまえ)を、町の名前ではなく駅(えき)の名前でつけているのですね。 バス停(てい)の百合ヶ丘三丁目(これには「ヶ」がはいる)から団地坂上(だんちさかうえ)のあたりは、古い百合丘第二団地をこわしたあとの一部に新しいマンションができています。 ここには「パークシティ新百合ヶ丘」という名前がついています。 ここも町ではなく駅の名前に変(か)わってしまいました。 それも、百合ヶ丘駅より遠(とお)い新百合ヶ丘駅の名前です。 急行(きゅうこう)が止まらない百合ヶ丘駅より、新百合ヶ丘駅のほうがえらいんだな、とおもうこのごろです。 古い住所の表示板(ひょうじばん)が残っていました。 かなり古い。 地図にもないこんなかきかたもあったのですね。 駅名「百合ヶ丘」でも町名「百合丘」でもない。 「ヶ」が「が」と書かれています。 そして、「丘」の字がまちがっているのはごあいきょう。
下半分の広告(こうこく)から、むかしの電話番号(でんわばんごう)の局番(きょくばん)が2けただったことがわかります。
❖ バス通りの第二児童公園近くにて; 百合丘では住居表示の変更はなかったので、表示内容は現在も正しいです。
❖ おまけ:同じ神奈川県の中、中郡二宮町(なかぐん にのみやまち)に「百合が丘」という町があります。
… この他、日本各地を捜すと「百合が丘」や「百合ヶ丘」「百合丘」があります。 ❖ 表示板にある『ちょっと違う「丘」の字』も存在しますが、日本語では使わないようです。 |