先生が作るテストの用紙(ようし) や父兄(ふけい) へのお知らせなど、学校で必要な印刷物(プリント)はガリ版(がりばん) で印刷(いんさつ) していました。 ガリ版の正式(せいしき) な名前は謄写版(とうしゃばん) といいます。「謄写(とうしゃ) 」とは「かきうつす」という意味です。
ガリ版は、簡易(かんい=かんたん) に印刷をおこなうシステム(=しくみ) です。 文字や絵の原版(げんばん) となる「原紙」(げんし) と、その原版をつかって紙に印刷をする謄写器(とうしゃき) の組み合わせでできています。
「原版」は、ハンコのようなもので、1つハンコをつくるといくつでも同じ名前を紙に残せるように、それを元にして同じものをたくさん印刷する「もと」です。
謄写器は「謄写機」とも書きますが、「〜機」のほうは、より機械部品をつかう大きなものが思い浮かびます。
原紙にはロウが薄(うす) く塗(ぬ) られており、そこに文字や絵を描(か) き、印刷(いんさつ) の原版(げんばん)にします。
原紙に文字や絵を描くには、原紙の表面のロウを文字などの形にはがします。 原紙を専用(せんよう) の鉄製(てつせい) の細(こま) かい「ヤスリ」の板の上におき、表面を先がとがった鉄(てつ) でできている「鉄筆」(てっぴつ) というペンでひっかきます。 これで薄く塗られたロウをはがしとります。
原紙の上でロウがある部分はインクを通しませんが、ロウがはがれた部分(文字や絵が描いてある部分) はインクが通るようになります。 すなわち、文字や絵の形のインクが通る「あな」ができます。
このように作った原紙を、謄写器の枠に張ってあるシルクスクリーンに貼り付けて、印刷したい紙に重ね、上からインクをすりこみます。 これによって、原紙のロウの「あな」の開いた部分からインクがとおりぬけて紙にしみこみ、印刷ができます。
「シルクスクリーン」はとても細かい網目の布のようなもので、原紙を支えながら、インクは通り抜けるようになっています。 「スクリーン」はこの網(あみ) のことですが、謄写器ではここにシルク(=絹(きぬ) )が用いられることがあったのだと思います。
このようなインクが「あな」を通り抜ける印刷方法は「孔版印刷」(こうはんいんさつ:孔=穴) といい、現在でもいろいろな印刷装置で応用されています。
私が百合小で見た謄写器は、木製の手動で小型のものでした。 印刷器と付属品(ふぞくひん) 一式がトランク型の木の箱に入っていて、持ち運びしやすいようになっていました。
大型の謄写機もあり、金属製(きんぞくせい) でクランク(手回しハンドル) を回すと高速で印刷ができるものや、モーターで自動的に動くものもありました。 たぶん、百合小でもたくさん印刷するときにはそのような機械も使っていたのではないでしょうか。
手元に私が百合小に通学していた頃の、ガリ版で印刷されたものがいくつかのこっていました。
次の3つです。
✔ 学校で飼っている動物の世話をしていた飼育係の夏休みの当番表
✔ 夏の箱根林間学校の旅程表(りょていひょう=たびのよていひょう)
✔ 近所で行われたドッジボール大会のおしらせ
いずれも文字や絵はくっきりときれいにのこっています。 お日様のあたらないところで保存されていたのがよかったのでしょう。 でも、お手軽な印刷なのに50年以上も前のものがこれだけしっかりと残っているのはびっくり。
現在あるコピー機械(いわゆるゼロックス) ならばコピーしたプリントには十分に耐久性(たいきゅうせい=ながもちするちから) があります。 でも、便利で多くの人が使っている家庭用インクジェットプリンタだったら、50年後にこんなにきれいには残らないかもしれません。
白い画用紙(がようし)にガリ版で印刷してあります。 50年近くたっても、インクの色がしっかりとのこっていて、ちゃんと読むことができます。
✔当時は、ウサギ、ニワトリ、ホロホロ鳥、ミンクなどを校庭の飼育小屋(しいくごや)でかっていました。
✔夏休み中など、授業のない時は飼育係のこどもたちが交代で学校にきて、それらの動物の世話をしていました。
✔当番のこどもが学校に来るのを忘れたら、動物はごはんぬきになってしまうという重要任務(じゅうようにんむ)です。 長期の休み以外の日曜日や祝日は宿直(しゅくちょく) の先生か用務員(ようむいん) さんが動物の世話をしてくれたのかな。
✚かつては、安全管理のために先生が交代で学校に泊まっていました。 これを宿直といいます。 「直」は日直(にっちょく) の「直」と同じで、当番という意味です。 すなわち「宿直」は「おとまりの当番」です。
✚用務員さんは、学校の庭の手入れとか、こわれた用具などの修理をしてくれたりする人です。 今の学校での仕事は昔とはちがうかもしれません。
冊子は40ページほどあり、活字(かつじ)で印刷されたものです。 その中の日程表のページに変更(へんこう) があったらしく、印刷されたページの上にこのガリ版刷りの日程表が重ねてはってありました。
冊子は日光に当たらずに保存(ほぞん) されていました。 紙の変色(へんしょく) はありますが、ガリ版印刷の文字はきれいにのこっています。
同じ旅程表の一部を拡大してみました。
文字の部分を拡大(かくだい) してみても、インクの油のにじみがわからないほどきれいに印刷されています。
私が五年生の時の夏の林間学校です。 百合小から箱根まで「箱根登山バス」でゆきました。
❢ なんと、この時の百合小出発時の写真が残っていました。 現在の正門のところからバスが出てゆく場面の写真です。 こちらをご覧ください:➜「学校の門」
さて、この1967年の日程表の内容を「味わって」当時の記憶(きおく) を掘り返してみました。
日程表には「レクリェーション」と「リエクレーション」の2つのかきかたがみられます。 あわてていたのでしょうか。 辞書(じじょ)を見ると、「レクリエーション」「レクリェーション」「リクリエーション」の3つの書き方がありました。 「リエクレーション」はもちろんアウトです。
箱根では「金時山」(きんときやま) に登り乙女峠(おとめとうげ) を歩きましたが、水筒(すいとう) の水が足りなくてとてものどがかわいたのを思い出します。 下山して旅館(りょかん) に帰り着いた時に用意されていたビン入りの牛乳がとてもおいしかった思い出。
あの時、百合小のこどもたちは白い牛乳を飲みましたが、おなじ旅館の別の林間学校のグループは、コーヒー牛乳を飲んでいました。 甘くておいしいコーヒー牛乳。 「負けた」と思った記憶があります。
「金時山」は金太郎の伝説(でんせつ) で有名な山。 「まさかりかついで金太郎 ・・・」の童謡(どうよう) に出てくる足柄山(あしがらやま)は、金時山を含む一帯(いったい) の山地の名前だそうです。
林間学校の行われた1967年7月21,22,23日は、金、土、日曜日でした。 先生たちも大変ですね。
✚冊子は「林間学校 はこね 1967」で、川崎市立小学校行事教育研究会発行となっています。 「持ち物の注意」から始まる内容は豊富(ほうふ) で、次のようなことが書いてありました。
✔小田原を通る箱根までのみちすじにある場所や名所(めいしょ) の紹介(しょうかい)
✔箱根の自然(植物・火山など)の解説(かいせつ)
✔旅館での食事メニュー
✔「レクリエーション」タイム用の歌の歌詞(かし) やゲームのやり方:ゲームは、もちろん身体(からだ) をうごかすゲームのことです。
✔夜見える星座(せいざ)の紹介
40ページにわたり情報満載(じょうほうまんさい) です。
日の光が当たらないところに保存されていたものです。 わら半紙(わらばんし) が変色しているものの、印刷文字はしっかりとのこっています。
現在の麻生区東百合丘1丁目にある中台(ちゅうだい) 住宅地の空き地で行われたドッジボール大会のおしらせチラシです。 父兄が作ったものと思いますが、『日時(にちじ) 』のふりがながまちがっているのはカンベンしてあげてください。 「ドッチボール」は「ドッジボール」と同じで両方の言い方があります。
「わら半紙」は、コピー用紙など真っ白い上質紙(じょうしつし) よりやや品質(ひんしつ) がひくい紙です。 表がざらざらしていて、新品でもうすい茶色をしていました。 ザラ紙(ざらがみ、ざらし) とも呼ばれました。 上質紙より安いのでプリントをたくさん作る学校ではよく使われていました。
うすい茶色だったので、小学生ながらに「安い紙」のイメージで、乾燥すると白い紙よりもやぶれやすかったような記憶があります。 わら半紙は現在でも売られていますが、コピー用紙より使われる数が少ないので逆(ぎゃく) に値段は高くなっているようです。
✚「東百合丘1丁目」は、1972年に川崎が政令指定都市(せいれいしていとし) になる前は「川崎市生田」でした。
✚「東栄(とうえい) ストアー」も「松沢商店」も現在はもう閉店し、建物も残っていません。 「あき地」には家が建っています。
「東栄(とうえい) ストアー」はわざわざ百合ヶ丘駅前までゆかなくともいろいろな商品が手に入る小ぶりのスーパーマーケットでした。 開店した時は、「地元にもスーパーが❢」と、とてもうれしかったです。
レジにいる女性、たぶん経営者の娘さんか経営者の息子さんの奥さん、が気さくな方で、よく買い物に行っていました。 スーパーというよりも、大きめの個人商店の感じ。
しかし、百合ヶ丘駅周辺に新しいスーパーなどのお店、それも値引きをしてくれる、が増えるにつれて、ご多聞にもれず(ごたぶんにもれず=他のところと同じように) お客さんがへってしまいました。
百合小にあった手動式の謄写器では、次のように印刷をしていました。
原紙に文字や絵を描いた原版を、謄写器の枠に張ってあるシルクスクリーンの下側に固定します。 原紙のはしを留め具(とめぐ) にはさみ込んで取り付けます。
付属のトレイの上にインクを適当な量だけ出して、ゴムローラーでうすくむらなく広げます。 ゴムローラーは、ゴミ取りのコロコロローラーのような形で、印刷する紙の幅があります。
枠を下げて下に置いてある紙の束(数十枚程度)の上に重ねます。 まだ、印刷は始まりません。 表面にインクがついたゴムローラーをシルクスクリーンの上で何度か転がし、インクをスクリーン全体に伸ばします。 これにより、原版がインクのねばりけでシルクスクリーンにぴったりとくっついて動かなくなります。
インクは油性(ゆせい) のやわらかい絵の具(えのぐ) のようなもので、どんぶりくらいの大きな缶(かん) に入っていました。 必要(ひつよう) な量(りょう) を、缶から少しづつヘラで出して使っていました。
インクの色は濃い青色、あるいは黒でした。 カラーインクもあったようですが、お目にかかったことはありません。 インクには、独特の油のにおいがありました。
謄写器の上では、下から順に印刷する紙、原版、シルクスクリーンが重なり、その上からインクを押し付けることになります。
最初は原紙をシルクスクリーンに取り付けるために多めのインクを伸ばしているので、1枚目の紙はインクがにじんでゴミ箱ゆきとなります。
枠をあげて、1つの辺を留め具で謄写器にとりつけてある紙の1枚目をめくります。 2枚目の紙の上に枠をおろして、またローラーをころがします。
きれいに印刷できるまでためし刷りをしますが、何枚かの紙が無駄になったと思います。 期待どおりに印刷できるようになったら、いよいよ本番の印刷開始です。 枠を下ろしてシルクスクリーンを紙に重ね、ゴムローラーをシルクスクリーンの上ではじからはじまでころがすと、1枚の印刷ができます。
枠をあげて、紙をめくって、枠を下ろして、ゴムローラーをころがす、という動作を繰り返してたくさんのプリントを作ります。 早い人だと1枚印刷するのに5秒もかからないと思います
基本は(右利きの人は)右手でローラー、左手で枠の上げ下げと印刷済みの紙のめくりを行います。 なれると枠にはさわらずにローラーの上下で枠の上下も行い、より早く印刷できました。 枠は手を緩めるとバネの力で自動的に持ち上がりました。
ローラーにインクをつけすぎたり、強く押し付けすぎたりすると、文字のまわりにインクがにじんでしまいました。 ローラーに適量(てきりょう) のインクを薄(うす) くむらなく伸ばし、さらにリズミカルに枠を上げ下げして高速に印刷するにはそれなりの技術が必要でした。
クラスの人数分(当時は多くて40数人) だけ印刷するのもかなり大変(たいへん) そうに聞こえます。 でも、なれるとけっこう速(はや) く印刷できました。 私も先生のおてつだいや飼育係(しいくがかり) で必要なプリント作りで、原版(げんばん) を作ったり印刷をしたりしました。
小学校卒業後も、しばらくの間ガリ版を使う機会(きかい) はたくさんありました。 その間に、ガリ版はだんだんと進化していました。
鉄筆ではなくて普通(ふつう)のボールペンで書くことができる「ボールペン原紙」が使えるようになりました。 また、できあがった原版(げんばん) を取(と) りつけるだけで自動的(じどうてき) にたくさん印刷できる機械(きかい)も広くつかえるようになりました。
さらに普通(ふつう)の紙(かみ)にペンで書いた原稿(げんこう)から原版を作ることができる、ファックスににた機械もありました。 商品名だと思いますが「謄写ファックス」と呼ばれていました。
最近は使われなくなりましたが、「ファックス」は電話線を通して相手に画像(文字も画像としてとらえる) を送る機械です。 原稿の色の濃淡(のうたん=こさ:白または黒の2つ) をデジタル信号に変換(へんかん) して、音声に乗せて電話線を通します。 デジタル機器のはしり(=同種のもののさきがけ) の1つではないでしょうか。
「ファックス」は省略しないと「ファクシミリ」です。 英語では "facsimile" で、ラテン語で「同じようにつくる」という意味があるそうです。 英語で省略すると "fax"。
「謄写ファックス」は原稿の濃淡を読み取って、それと同じ濃さを再現するように原紙に穴をあけてくれます。 穴を開ける方法は、放電(高い電圧の電気が空気中を伝わる) で、原紙のフィルムを焼き切って穴をあけていました。
「謄写ファックス」は電話とは関係ないのですが、原稿読み取り機構(きこう=しくみ) が初期のファックス機械に似ていたということで、そういう名前であると思っていました。 初期のファックスの読み取り機構は、原稿を巻きつけた円筒を回転させ、センサーを回転軸の方向に移動させながら原稿の濃淡を読み取るというもので、「謄写ファックス」もそのようになっていました。
でも、前に書いたように英語の語源(ごげん=ことばのもとの意味) 「同じようにつくる」から考えるとより納得できます。
なお、通信のファックスは読み取った濃淡をデジタル信号に変換していますが、謄写ファックスではそのようなことはなかったと思います。
ここに書いたものが小学校で広く使われるようになったのは、私が卒業(そつぎょう) した後(あと) のことだったと思います。
1960年代〜70年代に、ゼロックスのコピー機械(きかい) はありましたが、まだまだ高価(こうか)でした。 大きな会社とか国の役所(やくしょ) でもないと使えませんでした。 学校で普通(ふつう) にコピー機械が使えるようになるのはかなり後のことだったと思います。
私が大学にいたころ(1970年代中頃) には、前に書いた「ボールペン原紙」や「謄写ファックス」を使うことがよくありました。 そのころでも、まだパソコンやワープロは世の中には出ていませんでした。
ワープロとはワードプロセッサ(word processor)のことで、今のパソコンをマイクロソフトワードのような文章の編集機能だけに絞ったような装置(そうち) です。 入力するキーボードと、文章を表示するブラウン管ディスプレイ、そして印刷のためのプリンタが組み込まれていました。
初期のものは、事務机1つぶんより大きいものでした。 まだ、日本語のかな・ローマ字漢字変換(かな・ろーまじかんじへんかん) が完成していなかったころは、漢字を入力するための専用のキーボードが付いているものもありました。
今やゼロックスなどのコピー機械もひろく行き渡って、小学校でも普通に使っているようです。
また、コピー機械よりも速く、大量(たいりょう) に安く印刷するには、リソグラフなどが学校で使われていると思います。
ゼロックス(商品名)は一般には複写機やコピー機と呼びます。 とても長くなるので詳しくは述べられませんが、しくみはこんなものです。 すなわち、レーザー光などの強い光を用いて原版に原稿と同じ濃淡の画像を静電気でつくります。 その静電気の力でトナーと呼ばれる細かい粉を原版に引きつけ、原版の上に粉で画像を描きます。 さらに、その粉を紙に転写(てんしゃ=粉を紙に移動する) してからトナーに熱を加えて溶かし、紙から離れないようにするというものです。
リソグラフ(商品名)は、デジタル読み取り機で読み取った原稿をもとに、専用(せんよう) の原紙(マスターと呼ぶそうです) に文字や絵柄(えがら) どおりの小さな穴(あな)を開けます。 穴は熱で原紙を溶かすことによりあけます。 その穴からインクをしみださせて印刷するものです。
リソグラフの印刷方法は、原紙にあけた「あな」にインクを通すもので、孔版印刷(こうはんいんさつ) と呼ばれます。 孔版の「孔」は「あな」という意味(いみ) です。 「孔のあけかた」は鉄筆から熱(ねつ) を使うサーマルヘッドに変わりましたが、昔のガリ版と同じ原理(げんり) を使ったものといえるでしょう。