Sweet Exchange


02

「……結局はお前のペースじゃないか」
 おもしろくない風な口調で言って、キッドが拗ねた子供のように唇を尖らせる。
 コトを終えけだるい余韻に浸っている時にそんな事を言われて、どう返したものかとは思い、けれどいつも以上に頭はうまく回らなくて。
「あーと、……ごめん」
 取り敢えず謝っておこう、という安易な考えはすぐに悟られたようで、キッドのじとりとした視線が刺さる。ああまずったな、と言い訳を考え始めたソウルの耳に、飛び込んできたキッドの言葉はしかし予想の斜め上を行くものだった。

「だいたい、だ。いつだって、俺が『される方』なのは納得いかない」

「…………え?」
 思ってもみない方向からの不満に、ソウルの思考が固まる。
(『される方』ってなつまり、……そういうコトだよな)
 その言葉に当てはまる能動と受動とを考え、返答に詰まる。まさか『する方』が良いと言うのだろうか。そりゃあ愛しい恋人の要望ならば、できる限りは叶えてやりたいとは思うがしかし、なんでまた今更になってそんな事を。
 そんな風にして纏まらない思考に困惑するソウルをよそに、シーツを肩まで引き上げたキッドが、呟くように言葉を続けた。
「……だから今日は俺が主導で、と、……思ったんだが、な。誰かのおかげで、断念せざるを得なかった」
 つまらん、と零すキッドに、よくは分からないが役割交替を求められている訳ではないようだ、と理解しソウルは一先ず安堵した。彼にとっては上になる方がイコール『する方』になるのだろうか、なにか根本的に認識を誤っている気はしないでもないが。
 キッドがそう言うのなら、まァ次回は自重するとしよう、と思いながらソウルはまだ少し機嫌の悪い顔をした恋人の前髪を掻き上げ、その額にキスを落とす。多少の認識の差異は瑣末事だ。それがお互いの望む形であるなら、そして何よりキモチ良ければどっちだってかまいやしない。
「ゴメンな」
 宥めるようにその髪を梳く、ソウルの指の感触に心地良さげに目を閉じたキッドが、「……まあいい」と小さく呟く。取り敢えずはそれで、機嫌を直すことにしたようだった。


「…………んで、いつもされっぱなしが気に食わなくて? 今日はまたえらく、熱心だったワケ?」
 まるで毛繕いでもするかのように、艶やかな黒髪に指を通しながら問いかける。
 セックスの時は大概が、自分が主導であるという認識がソウルにある。それはキッドが基本的にそういう方面に対してはストイックであるからで、しかしそんな禁欲的な恋人が、なす術もなく快楽の波に飲まれていくところに、ある種の征服感を覚えるせいでもある。
 勿論今日のような、あまり見ない好戦的な様子も、決して悪くはなかったのだが。
「……別に。俺だって、……その。そういうことを、したい気分になるときだって、ある」
 いけないのか、と、言いながらも羞恥に耳まで赤くして。隠れるように自分の胸元に顔を埋めてしまったキッドを、可愛くて堪らないと思いながらもソウルの胸の内にほんの少し、疑問は残る。
「いけなかねーよ。寧ろ大歓迎だけどさ」
「けれど? ……何だ」
「あんま無理しなくても、とは」
「していないと、言ってる」
「ホントか?」
「……無論だ!」
 きっと顔を上げた、キッドの語調が強まる。何事においても理論と実践の両方を習得することが重要であるから、と続け一人頷く恋人に、 「………………理論?」 とソウルは首を捻らざるを得なかった。

 生物学、人類学、動物行動生態学。暇を見てはそれらしき文献を紐解き、予習に余念がないのだとか。読破した書籍を指折り数えるキッドの様子に、ソウルの頬は僅かに引き攣り、その頭を支えていた肘がずるりと滑る。
「どうした?」
「いやー……」
 セックスを論じるにあたりまず生き物の生殖について調べよう、というその姿勢はやはり斜め上だなとある意味感心するが、それを果たして放置して良いものかどうか、ソウルには判断が付かなかった。今のところ、聞く限りではお堅い学術書ばかりのようであるが、学習の深度が深まるほどにそれはいずれもっと低俗で猥雑な『資料』へと辿り着くのではないだろうか。
(勉強熱心なのはイイけども、なァ)
 古今東西の蔵書をフリーダムに蒐集した死武専の図書室だ。学生も利用する以上、あまり教育上宜しくないものはないだろうが、相応にマニアックなものはあるに違いない。
  特権行使によりほぼ全ての書籍を閲覧可能なこの小さな死神が、妙な知識を蓄えてしまう前に、それとなく止めた方がいいのかもしれない。
 回転数の上がらない頭でそんな事を思いながら、脱力して枕に頭を沈めたソウルの耳に、消え入りそうな声が届く。
「……情動に流されるばかりでは、波はつかめんだろう」
「キッド?」
「俺ばかりではなく、……悦んで…欲しかった、んだ、……お前に。 だって今日は、」
 クリスマスだろ、と言われて、ソウルは壁の時計を見る。時刻は確かに0時を過ぎ、日付は25日になっていた。
「…………。もしかして、……もしかしてさ、」
 頭を過った考えを、口に出して良いものかどうか散々悩んだ挙句に意を決して聞いてみれば、「一般的にそういうものなんだろう?」と少し不思議そうな顔でキッドが言う。


 恋人達にとってのクリスマスとは特別な意味を持つものなのだ、と彼に吹き込んだのはどうやらパートナーである魔拳銃の姉の方らしかった。
『特別?』
『そ。クリスマスってぇのは、いまや恋人たちのためにあるって言っても過言じゃない一大イベントなわけよ』
『ああ……ヤドリギの下でキスをしてもいい、とかそういう話か』
『なにそれ何世紀前の風習?! いや、そーじゃなくってさー。カップルでもっとこう、イチャイチャして過ごすのが普通だろ! ……ってクラスのヤツらが言ってたし』
『…………』
『マジだってー。ソウルに聞いてみ? 絶対予定空けてるはずだからさー』
 などという会話の応酬があった事を、聞いてソウルは合点がいったような顔をした。
 キッドは当然姉妹と三人、あるいは死神様と四人での『家族で祝うクリスマス』を選ぶ筈であろうという彼の予想は、キッドからの誘いによって裏切られたからだ。
 そしてパートナーからの伝聞をどこまで真に受けたのか、少し頬を染めたキッドが、言いにくそうにして言葉を続ける。
「クリスマスのプレゼントとはなにも、形あるものを贈ることだけがすべてではないと、……その、……だから、だな。…………こういった方面での奉仕それ自体をプレゼントとする、というのも一つの様式美だと」
 世に言う所の、『プレゼントはワタシ☆』というやつだ。なんつーことを教えてやがる、と思いながらソウルは軽く頭痛がしだした頭を抑えた。冗談にしては性質が悪いし、そうでないなら尚更だ。
「――……にゃろう……」
 次にリズと顔を合わせた時はきっと、クリスマスには何をプレゼントされたのかを聞かれるに違いない。明らかな含み笑いを伴って。
 ボイスまで再生余裕だ、と一瞬苦い顔をしたソウルを、「いけなかったか?」と見上げてくる金の双眸が微かに不安に揺れている。
「…………いいや?」
 経緯はともかく、恋人に喜んで貰いたいという一心でしたことが、いけない事でなどある筈が無い。ましてやそういった方面には明るくなく、滅多なことでは自ら強請ってくることなどないキッドが、だ。
 問いかけを即座に否定したソウルは、安心させるようにくしゃりとキッドの髪をかき混ぜ、ややあってから、にやと口角を上げた。
「まあ、ある意味イケナイ事ではあるな」
「………………」
 途端、かっと熱が昇り見るからに紅潮した頬を、隠すように俯く。
 成程さきほどの媚態も、キッドなりに懸命に、理性を抑えつけ情動のままに素直に感じてみせたのだろうか。いくら身体を重ねても、いつまでもそういった事に慣れない恋人の、不器用なまでの純粋が愛おしくて、ソウルは必要以上に緩んでしまいそうな頬を引き上げるのに苦労する。
「慣れない事すっから」
「……悪いか」
「んーにゃ」
 嬉しかったぜ、とその頭を抱きよせて、髪にキスをする。そのまま額に、瞼に、頬に、とにかく見える所すべてにキスの雨を降らせれば、擽ったいのか首を竦めたキッドが、くつくつと小さく笑う。それだけで、胸の辺りが温かくなる。激しく互いを求め合う濃密な瞬間も、ハグとキスだけで紡ぐやわらかな時間も。どちらも等しく愛しいものであるということをそこに確かめる。


「……まァでも。折角だし」
「?」
 キッドへのプレゼントは用意してあるし、夜はちょっと気取ったレストランに予約も入れている。
 だから日中は二人で街を散策したりして、いわゆる定番のデートコースでもって過ごそうかなどと、思っていたのだけど――

(まさに一年に一度の特別な日、ってワケか)

 ――キッドがそういうつもりなら。いっそ飽きるまで互いを貪って、半日ぐらいはベッドの上で退廃的に過ごしたっていいだろう。
 そう決めて、ソウルはキッドの頤に指を滑らせ軽く上向かせると、そのまま唇を重ねる。再び混じりあう体温に、とろんと目を潤ませたキッドが、ややあって何かに気付いたようにソウルの胸を押した。
「ん、……待っ……ソウル、」
「プレゼントっつーのは、交換するもんだろ」
「あ、…………っ、……んんッ……!」
 圧し掛かった重みを受けて、キッドの身体が嬌声と共にシーツへ沈む。


「…………ッは、…待てっ……、おかしいだろう! これでは、さっきも……『交換』になっ、て…な、や、……ぁ、…………ソウルっ!!」


 そしてたっぷりと『プレゼント』を頂いたソウルがそのあと、完全に拗ねてしまった恋人の機嫌を取るのに大変苦労したのは言うまでもない。




――Wish you Happy Merry Sweet Xmas!