01 俺は父上の任務、マカ達は課外授業。たまたま重なったスケジュールで、しばらく顔を見ていないなと思っていた矢先、ソウルが風邪で欠席だと聞かされた。課外授業先はここネバダに比べれば格段に寒い、体調管理を怠るなと注意したはずだが。気が緩んでいる証拠だ、戯けが。 バカは風邪引かないって嘘だったね、と苦笑するマカに、そうだなと相槌を打ちながら、彼女の隣の空間に視線をスライドさせる。いつもなら、そこにいるはずの銀髪。 (そうか、いないのか) ただそれだけの事で、なにかひどく落ち着かない気持ちになったのは、何故だろうか。 そしてその翌日も、翌々日もソウルの姿は見えなかった。 「風邪は、ひどいのか?」 こう欠席が続くと流石に気になる。マカによると、咳は治まってきたが熱がまだ退かないのだとか。寝るのは飽きたと言って出ていきたがるところを無理矢理寝かせてきたのだと言って溜息をつく。 この分だと、明日も出て来られないかもしれない、と。 「…それは困るな」 内心で呟いたつもりが、声に出してしまったらしい。 皆にうつったら悪いしね、とマカが眉を寄せるのを、上の空で聞きながら考える。 何が困るというんだ。自問してみるが、答えは出ない。 風邪を引かない神の身体が羨ましいとマカに言われて、少し複雑な思いがした。うつせば治ると言われている風邪を、引き受けてやる事も出来ないのだ、と。 ただの俗説だ、くだらん。そう思い直しても、心中のもやは晴れないままだった。 放課後を告げる鐘の音が響き、全ての授業が上の空のうちに終了してしまった事に気がついた。無意識のうちにノートは取っていたらしいが、授業の内容はまるで頭に入っていない。 クソ、何だと言うんだ。 最近の俺はどうかしている。それもこれも、 「キッド」 急に名を呼ばれてどきりとして顔を上げると、マカがにこりと笑ってこちらに手を振っていた。 また明日ね、と、教室を出ようとするマカを、思わず呼び止めてしまってから、何と言葉を続けるべきか考える。また明日?違う、そんなことを言う為じゃない。借りていた本?全て返したはずだ。次の課外授業?ソウルがいなければ行けないだろう。 (…ソウル、か) 名を浮かべるだけで、また、わけのわからない感情に苛まれる。結局のところ、原因はいつでも彼なのだ。ならば解決できるのも、やはり彼しかいない。正体不明の感情に振り回されるのは、もうたくさんだ。 マカの澄んだ碧の瞳が、次の言葉を待っていた。ソウルの見舞いに行きたいのだと伝えると、少しだけ驚いたような顔で俺を見て、じゃあ一緒に帰ろっか、と笑った。 リズとパティは、風邪がうつるといけないからとマカが帰らせた。アパートまでの道を、二人並んで歩く。市場通りを何の気なしに眺めていて、青果店に並ぶ山盛りの果物のカゴに目が止まった。先ほどマカから聞いた、民間療法の話を思い出す。 …見舞いというからには、何か持参した方が良いのだろうか? 「…リンゴならうちに買い置きが沢山あってね、」 「あ、ああ、いや…、そう、なのか」 気を使わなくていいよと笑う。内心を見透かしたようなマカの言葉に多少の動揺を覚えながら、俺はもっと根本的な疑問に気がついた。 ソウルは、リンゴは好きだろうか? 自分がそんなことさえ知らないという事が、なにか妙に腹立たしく感じた。 買出しをして帰りたいから先に行ってて、とマカから渡された鍵で、アパートのドアを開ける。少し無用心だなと思わないでもないが、自分がそれだけ信頼されているという事なのだろう。それに、彼女のパートナーも一応在宅してはいる訳だし。 いつもながらキチンと整頓されたリビングを通り、ソウルの部屋の前に立つ。中にはよく知った魂反応が一つ。軽くノックして、扉を開ける。 「…邪魔するぞ」 それなりに片づけられた部屋に、少し安心する。 もしパティの部屋なみに散らかり放題だったらどうしようかと(ああ、思い出しただけで虫唾が走る)。しかし壁のポスターの配置が気になるが…いや、そうじゃない。軽く頭を振って、忘れるように努める。今日は整頓をしに来たわけじゃないんだ。 ベッドでは、部屋の主が寝息を立てていた。うなされている様子はなく、知らず安堵の溜息が漏れた。熱のせいか、シーツを胸の辺りまで下ろしてしまっていたので、キッチリと肩までかけなおしてやる。 「………〜〜〜…」 ソウルは喉の奥で何事か呟いて、また静かに寝息をたて始めた。 枕元に落ちた、既に温くなったタオルを拾い上げる。汗で額に張り付いた前髪を軽く払ってやったが、起きる様子は無い。どうやら眠りは深いタイプらしい。 そのまま、何とはなしに髪を梳く。 柔らかくて少し癖毛な、白に近い銀髪。赤い瞳とのコントラストが印象的だと、初めて見た時思った。 今は瞼に閉ざされている、血のように深い赤が、とても好きだ。 多分それは瞳だけではなくて、触れた手の暖かさも、自分の名を呼ぶ少し低い声も。 ソウルのことが、好きだ。 恋は人を弱くするのだというが、少し離れているだけで、ここまで変調をきたす程だとは。我が事ながら情けなく思うと同時に、いつのまにこんなに好きになってしまったのだろうかと、少し不思議にも思う。 ソウルの髪を梳く手を止める。熱を持った額に指を添えると、瞼がぴくりと震えた。 たった一言が何故か伝えられなくて、そんな自分に苛立っている。いつだって彼の隣は居心地が良くて、なのに、自分にはそれを享受する資格などないのではないか。そう思えて、苦しい。 「ソウル」 眠る恋人の名を、呼んでみる。 伝えられれば、この苦しさから解放されるだろうか? 「好きだ」 言葉が零れ落ちたのと、赤い瞳が薄く開かれたのはほぼ同時だった。 |