03 するすると器用にリンゴを剥くキッドの手元を、飽きずじっと眺めているソウルに、キッドは怪訝な目を向けた。 「摩り下ろした方がいいか?」 「いや別に、っていうか、食いにくいし、第一めんどくさいだろ」 「…では何か要望でもあるのか。じっと見られるとやりにくいのだが」 「ああ…リンゴの皮、剥けるんだなぁとか思っただけ」 家事の類はできないものだと思っていた、というソウルの言葉を聞いて、何だそんなことか、とキッドは手にした果物ナイフを置いた。 「ナイフぐらいは使えるが、料理をする事はないな」 今度は剥いたリンゴをキッチリと8等分にするために綿密な角度計算を始める。 「以前に、朝食を作ろうとして食材の分量を測っているうちに、夜になってしまった事があってだな」 「…なるほどね」 それ以来キッチンに立つ事を厳重に禁止されているのだとか。そんな厄介な性分でも、自分の為に発揮されている時は悪い気はしないものだ。慎重にリンゴにナイフを入れるキッドを、ソウルは若干緩んだ顔で眺めた。 かなりの時間を要しはしたが、綺麗に8等分されたリンゴに、キッドは満足げに頷いた。一つをフォークに刺し、ソウルに渡してやりながら、ふと何かを思い出したような顔になる。 「ソウル。お前の好きなものは、何だ?」 「なんだよ、突然……好きなもの?え〜…」 ソウルはベッドから身を起こし、受け取ったフォークをくるくると回しながら少し考えた後、口を開く。 「デス・ザ・キッド」 「…………」 ここは照れたら負けだ、と、真っ直ぐに見つめ返してやるも、返ってきたのは、沈黙。 「…あれ?外した?」 なんかそういう空気じゃなかったか、今? なんだ俺、ただの恥ずかしい奴じゃないか。 読み違えたかと頭を掻くソウルに、呆気に取られたような顔で固まっていたキッドが、漸く一言発した。 「…戯け!」 そういう事ではない、と呆れたように言いつつも、隠しようもなく朱に染まる頬。そんな恋人を可愛いなと思いながら、その赤さから、ソウルはたった今手にしている果物を連想する。 「リンゴは好きだぜ」 言って、渡されたリンゴをしゃくしゃくと咀嚼した。 ウサギ型にされると少し嬉しいのは、なんでなんだろうな。子供じみてるなと思いながらもそう伝えてみると、キッドは金色の目をぱちくりとさせて首を微かに傾げた。どうやらリンゴの皮をウサギの耳に見立てるという手法自体を知らないと見える。 つまり幼少時代のキッドにはウサギリンゴを剥いてくれるような人が周りにいなかった、って事か。彼と彼を取り巻く特殊な環境に思い至り、少しばかり胸が痛む。 「…今度剥いてやるよ」 だったら何だ、そんなのは関係ない。今は俺が居る、それでいいじゃないか。そう思い直して、ソウルはニッと笑ってみせた。 それよりも、その質問で思い出したことがある。 「なーキッド」 二つ目のリンゴを受け取りながら、キッドに問いかける。 さっき起きる間際に聞こえた言葉は、何だったのか。どこまでが夢だったのか。あまり蒸し返してまた機嫌を損ねられても困るので、何とか遠まわしに聞いてみようと試みる。 「何か俺に言いたい事とか、言わなきゃならない事とか、無いか?」 「……ああ、そういえば、失念していた。…マカが、だな」 おいおいちょっと待て、なんでそこでマカが出てくるんだと不穏な空気を感じるソウルに、キッドの言葉は無慈悲に続く。 「食事当番1週間でいい、と伝えてくれと」 「………マジかよ」 そういえばマカの姿が見えない事に気付かなかった。買出しに行くとかキッドに言ったそうだが、1時間も帰ってこないはずがない。おそらくどこかで適当に時間を潰しているんだろう。 ああもう何もかもお見通しかよ。ロシアでマカが見せた良い笑顔が脳裏をちらついて、ソウルはただでさえ重い頭がさらに重くなるのを感じた。 「…どうした?」 「いや、なんでもない…」 なんとか3日分ぐらいにならねぇかな、と眉間を押さえて項垂れるソウルに、それと、とキッドが付け加える。 言うべき事は、もう一つ。 「好きだ、ソウル」 弾かれたように顔を上げたソウルの耳に届く、アパートの扉の開く音。マカが帰ってきたようだ、と掛けていた椅子から立ち上がるキッドに、返すべき言葉が見つからず、ただ呆然とその背中を見送る。 部屋を出る間際、振り返って少しだけ細められた金色の瞳。マカとキッドの声を遠くに聞きながら、治まりかけた熱が再び上がってきそうな気配がして、ソウルは力なくシーツに突っ伏した。 |