02 痺れの原因は血流が滞っているからだ、マッサージでもしてやろうかと親切心だか嫌がらせだか判別しかねるキッドの申し出を丁重にお断りしてしばらく独り格闘した挙句、俺はようやく痺れから解放され、しかし身体を起こすのも億劫で、そのまま大の字になって芝生に寝そべり空を仰いだ。雲の流れは穏やかで、広がる空は青く高い。このうららかな陽気に誘われてどこか遠くへ出かけたい気もするし、このままここでまどろんでいたいような気もするな。 「午後の授業に出る、という選択肢は無いのか」 仰向けに寝転んだまま顎を上げ、俺の呟きに呆れたように応えたその声のほうに目をやると、近くの木陰に腰を下ろしてこちらを見ているキッドの姿が逆さに映る。 約一メートル、か。 目算で距離を測ると頭を戻し、よっこらしょと年寄りじみたかけ声とともに寝転んだまま身体をずりずりと移動させて目的の場所にぼすっと頭を落とした。 見上げると、視界に広がるのは青い空、ではなく呆気に取られたような恋人の顔。 「……なんの真似だ?」 「世間一般で言うところの、膝枕ってやつで」 「その行為の名称について聞いてるんじゃない」 「あんま動くなよ、安定が悪い」 「だったら退け!」 憮然として言うキッドの顔を、そのままじっと見つめると、見下ろす金色の瞳が少し困惑したように揺れた。無理矢理退かせる気は今のところ無いようだ。 我ながら、なかなか恥ずかしい真似をしているなとは思うが、まあこの辺はあまり人が来る事もないし、来たところで適当に誤魔化せばいいだろう。そんな風にある意味投げやりに考えるのは、マカにバレたあたりでもう色々と諦めがついたせいか。あいつはあれで意外に細やかなところのある奴だが、如何せん女ってのは、こと恋愛話となると人に話さずにはいられない性分だからな。リズやパティの耳に入るのも時間の問題だろう。 そうすると当然死神様のとこにも話が行くんだろうなあ、いやもう既に行ってるんじゃないだろうか。いつかデスルームに呼び出しを食らった時には覚悟しないといけないかもしれない、とあまり楽しくはない未来に思いを馳せる。そんな事になったら、なんて言やいいんだろうな。アレか。息子さんを僕に下さい、とかを俺にやれっていうのか。冗談じゃねーな。いや、交際を認める認めないとか、問題はそんなところじゃないだろう。呼ばれるとしたら可愛い一人息子を誑かした不届き者を断罪するためか。死神チョップか、退学か?それ以上の処分については、ちょっと恐ろしくて考えたくない。 そんな不吉な未来予想図に頭を悩ませつつも膝を降りようとはしない俺に、何を考えている、とキッドが問いかける。それは膝枕についてではなくて、今俺の頭を掠めた内容についてだろう。そうだなあ、もしそんな展開になったらどうしようか。 「……逃避行とかな」 「は?」 脈絡の無い言葉に眉を寄せるキッドに、なんでもねーよと誤魔化して、想像の中の厳つい死神様を塗りつぶした。まあ、なるようになるだろ。先の事なんか考えても仕方がない、何かあったらその時考えよう。世の中は何時だって、なるようにしかならないものだ。 キッドは相変らず怪訝な顔をしているが、話題を変えるのにうってつけの物を俺は所持している。ごそごそとポケットに手を突っ込み、やがて目的の物を探り当てるとキッドの目の前に差し出してみせた。 「土産。渡そうと思って忘れてた」 「マトリョーシカか?」 「……アレはシンメトリーなのが無かったからやめた」 一応努力はしたのだ。形はどれも概ねシンメトリーなんだが、シンメトリーな顔の奴を探すのが難しい。どいつもこいつも七三分けにしているか、あるいは目が正面を向いていないか、でなければ服の柄が左右対称ではない奴で、探すうちにげんなりとしてきたのでいっそ別の物にしようと思い到った。 キッドは差し出された小さな袋を受け取ると中身を取り出し、陽にかざす様に目の高さに掲げる。陽光をきらりと反射した銀製のブックマーク。羽のような優美な曲線を描いていてデザインが美しいだけでなく、ペーパーナイフとしての機能も備えている実用的なやつだ。 シンプルながらも繊細な細工を施されたそれはキッドの最も好むシンメトリーからは少しばかり外れているが、それでも彼に相応しいと思ったのは、先端に飾られた琥珀のせいかもしれない。透明感のある甘い蜂蜜色は彼の瞳の色そのもので、もしキッドが気に入らないというなら俺が貰っておこうと思えるぐらいには気に入っている。 「若干シンメトリーではないが」 「お前ならそう言うと思ったよ……」 そうは言いながらも角度を変えてしげしげと手の中のブックマークを眺めるその表情はどことなく嬉しそうで、キッドのお眼鏡には一応適ったのかと胸を撫で下ろす。視線に気がついたのか、キッドは手にしたそれをジャケットの内ポケットに仕舞った。 「しかし、綺麗だ。……ありがとう」 大事にする、と付け加えて、少しはにかんだように笑う。そんな笑顔ひとつで、なんとも言い難い感情が胸を満たす。幸福感、というやつだろうか。こういうふとした瞬間に、やっぱり俺はこいつの事が好きなんだなと再認識して、ああなんて面倒な奴を好きになっちまったのかとも思う。キス一つ満足にできないどころかこんな風に笑うことさえごく稀なのに、それでもその笑顔は彼の確かな好意を伝えてくるから、結局俺は全てを投げ出す事が出来ないでいる。まったくもって恋というのは厄介なものだ。 昼休みの終わりを告げる鐘と生徒達のざわめきを遠くに聞きながら、キッドを見上げる。午後からの授業に出るつもりなら、そろそろ行かなければならないのだが。 「……行かねぇの」 「お前が乗っているから動けんのだろうが」 その言い分だと、俺がこのままこうしていたら、いつまででもここに居るつもりなんだろうか。その気になれば退かす事など容易いだろうにそんな風に嘯いて、そのくせまるで引き止めるかのように俺の髪をさらりと撫でる。髪を梳くその手が彼なりの意思表示なのだとしたら、恋人としては応えざるを得ないよな、と頭を上げかけて止めた。 遠くの喧騒も過ぎ去り、木々を揺らす風の音だけが通り抜ける。自由で、退屈で、この上なく穏やかな昼下がり。そういえば昼飯食ってない。けど流石に今から街を出歩くのは目立つから、授業が終わったら放課後、何食わぬ顔で皆と合流して、それで。そんなことを考えているうちに、徐々に瞼が重くなる。やたらと眠くなるのは陽気のせいか、それともまだ体力が完全に回復していないからだろうか。このまま眠りに落ちるのは惜しい気もするが、この心地よさに抗うほどの精神力も持ち合わせてはおらず。髪を梳くキッドの手を取る。放課後の予定とか、そんなことを話そうとして、まあいいや、起きてからにしようと思い直し、目を閉じる。少し驚いたように見開かれたキッドの瞳を瞼に映したのを最後に、俺は穏やかなまどろみの中へと落ちた。 |