01 図書館なんて普段めったに来ることはなく、なんにもやる気がしないとき涼しくて居心地がいいそこで昼寝をするか、あるいは熱心に小難しい資料をめくっているキッド君に付き合って、その横で昼寝をするかの二択なわけだけど。 待ち合わせもしてないはずの相手と鉢合わせたことで、どうやらそれはわたしだけの習慣ではないらしいという事を知ることになった。 「よー」 ぺたりと頬をつけ上体を机に預けたまま、目線だけを上げて声を掛ける。なんでお前がいんだよ、とでも言いたげな目をして、でも何も言わずソウルは静かに椅子を引いた。 (……ふーん) かったるそうに腰掛けて頬杖をつき背を向ける、ソウルとわたしの間に空席がひとつ。 そこは、キッド君の指定席だ。 だとするとこいつも、安っぽいセンチメンタリズムに浸りに来たのか。 今のわたしと同じように。 キッド君を挟んで左にわたし、右にソウル。 実際ここに彼がいたなら決して実現しないだろうその図式。 だって普段なら、彼の両端はわたしとお姉ちゃんの場所だから。 「ソウルって右利きだったっけ?」 「……そーだけど」 ちらとこちらへ流した視線が、それがどうしたと問いかけているのを無視して顔を背ける。ぺたりと右頬を付けた机はわたしの体温で既に少しぬるい。 (カッコつけめ) 心の中だけで毒づく。 こいつが意識的にか無意識的にか、自分をキッド君の右隣に置く理由を、たぶんわたしは知っているから。 キッド君は両利きだ。 それは彼の美学をより完璧なものにするための努力の賜物であり、わたしたち二人は彼のどちらの手に納まっても違和感はない。いつだって100%以上の力を発揮できるキッド君の手の中はとても居心地が良くて、だからわたしは強くなりたかった。その素敵な場所を、誰にも渡したくなくて。 わたしたちがまだ出会って間もないころ。 シンメトリーなポージングとやらの考案中、わたしとお姉ちゃんの左右の立ち位置についての話をしていた時、だったろうか。 ――守るべきものは、利き手とは逆の位置に置くものだ。 何気なくそんなことを言ったキッド君が、わたしとお姉ちゃんをじっと見据えて。 『俺は両利きだ』 だからお前達は俺のどちらに居ても大丈夫だ、と、言ってにこりと笑った。 左右対称がどうとかバランスがなんだとかのくだらない拘りに延々付き合わされて、いい加減嫌気の差してきた頃だったけど。 その邪気のカケラもない笑顔に完全に毒気を抜かれ、お姉ちゃんと二人して顔を見合わせる。 守る、だって。 確かに彼は死神Jr、腕は一流かもしれないが。一歩外に出ればただの世間知らずのボンボンに過ぎないこいつが? ブルックリンの悪魔、なんて呼ばれるまでに恐れられた、わたし達を? 『……ぷっ』 同時に吹き出して、腹を抱えて笑うわたしたちと、何がおかしいのかと困惑した様子のキッド君と。窓から沈みかけた夕陽の光が差し込む死刑台邸に、二人分の笑い声が響く。 おまえはどこの王子様だと、お前みたいな坊やに守られる程か弱くはねぇよと、その有難い提案を笑いとばして。 だけどこの奇特なボンボンの、左右を守るぐらいならしてやってもいい、そう誓ったのだ。 (……クソったれ) 今ならわかる。 わたしとお姉ちゃんはキッド君を守っていたつもりで、その実、彼の後ろで守られていたに過ぎなかったんだと。 いままでも、……あの時も。 「ねぇ」 「……なんだよ」 顔を背けたまま、呼びかけると律儀に返事が返ってきたから。 わたしは首だけを動かして、再びソウルに向き直る。 「ソウルなら、…………どーしてた?」 圧倒的に説明の足りないその唐突な問いかけに、ソウルは軽く眉を上げ、しかしすぐに言わんとするところを理解して、考え込むようにその視線を自分の手元に落とした。 それが何故だかはわからないし、なんとなくわかりたくない気もするけど。 ここ数週間、誰にも聞いたことのなかった問いは、自然に口から零れおちた。 キッド君をあの魔道師に奪われた時。あそこにいたのが、わたしたちではなかったら。 僅かな沈黙のあと、返ってきたのは毒にも薬にもならない平凡な回答。 「誰が居たって同じだ、……多分、な」 命を拾えただけ運が良かったんだと、付け足すソウルに軽い失望と苛立ちを覚える。 重々承知だよそんなことは。 お姉ちゃんではなくわたしなら。わたしではなくソウルなら。理屈ではわかっている、そんなifは無意味なんだと。 それがわたしでも、他の誰かでも。あの時はああするしかなかったとお姉ちゃんは言う。君たちが無事で良かったと死神様は言う。 誰もわたしたちを責めはしない。 確かにソウルが言うように、あの場にいたのがお姉ちゃんでなかったら、『か弱い少女』ではなかったら。それこそあのコウモリのように、あっけなく殺られて無駄死にに終わっていたのかもしれない、けど。 (――なんの慰めにもなりゃしねぇ) ふと頭を過ったそんな考えに吐き気がした。 敢えてソウルを選んで問いかけたその訳を、一番知りたくない形で知ることになったわたしは、ごつんと音がしそうなほど額を机に押し付けた。そのままガンガン頭を打ちつけたくなる衝動に襲われる。 ありえない。慰められたがってるってのか、わたしは! 詰られても仕方がないと思ったのだ。恋人を奪われたこいつには、その権利があるんだと。 同情混じりの視線さえ受けるような今のこの状態が既に、主を守れなかった役立たずに与えられた罰なんだというのに。 責められることで許されようだなんて腑抜けた考えを、よりにもよってソウルに晒すなんて! ああもう舌噛んで死んじまいたい、と思いながらそろりと見上げた視線が、ソウルと絡む。 「……らしくねぇな」 紅い瞳はただ静かにわたしを見下ろし、呟いたその声音には、憐憫も嘲笑もなかった。 それでもふと瞳を過った僅かな焦燥を、隠すかのようにその目を逸らす。 だからわたしには分かってしまうのだ。もしもあの場にいたのがこいつなら、皆が口を揃えて言うような、勇気ある撤退とやらを選び取れる筈がないということを。 (カッコつけめ) もう一度、心の中だけで毒づいた。 |