GIRLS WANNA BE

01

 エイボンの書・第二章は『暴食』だと、あの“目次”が言ったのは確か、ついさっきの事だったかとリズは思う。
 この章の、恐らく山場と言えるであろう、巨大な豚の出現に緊張を覚える間もなく、戦闘は拍子抜けするほどにアッサリとカタがついた。ボスらしく名を名乗る暇さえ与えられずにそいつは、コマ切れにされたうえでキリクの炎によって美味しく調理され、そのまま調理した奴らの腹に収まりつつある。

(『健全なるお肌』のためにはコラーゲン摂取……だっけ?)
 食欲を刺激する芳ばしい香りがあたりに漂い、そんな誘惑に流されそうになる。
 自制のきかない奴らが我先にと豚足に飛びつくのを横目で見つつ、いやいやしかしカロリー過剰だろ、と内なる天秤の揺らぎを感じながら、リズは武器形態を解いた。

「……ん? コゲた?」

 一心不乱に豚足に食らいつく『弟』、いや『妹』の手から離れたリズは、隣に立つ白銀髪の少女に視線を流し、その発見に少し驚いたような声を上げた。
 先程の戦闘では完全に傍観者でしかなかった、長い髪の少女が軽く眉を上げる。見上げる視線が先程の発言についての解説を促していたから、百聞一見に如かずとばかりにリズはポケットを探り、取り出したコンパクトを開いて見せた。先程まで透けるように白かった彼女の肌が、日焼けでもしたかのように、ややくすんだオークルへと変化しているのだ。
 一瞬、キリクの炎の巻き添えでも食ったか、なんて思ったが、なワケないなと自身で突っ込みを入れる。仮にあの炎を食らったのだとしたら、その程度で済むはずがない。
 彼女をよくよく見てみれば、その変化は肌の色だけではなく、背中の中ほどまであった髪も僅かではあるが短くなっている。『戻って』きているのだ、『彼女』が『彼』へと。

「ホントだ」と短く呟き、確かめるように『彼女』、ソウルは自分の頬に触れている。
「……ビミョーだな」
 しげしげと鏡を見つめた後、肢体の変化を確認するように軽く身を翻す。長いスカートがふわりと広がり、流れた髪からは仄かにシャボンのような清潔な香りがした。

――何もつけてないのに何かいい香りがして、髪はさらさら柔らかくて、肌なんか透けるみたいに白くって、と)
 それは漠然とした理想の異性像、なのか。意外にクラシックだなと、思ったが言わなかった。
 微々たる変化に失望したのか、間違い探しに飽きたのか、今は手持無沙汰にコンパクトをぱかぱかと開閉しているソウルを眺めてみる。
 儚げで、どこか現実離れした美少女。
 対して、サキュバスに気を取られたマカへのスティッキーな反応。
 その外見が異性へ抱く憧憬の顕れなら、その中身からは『女なんてこんなものだ』という固定概念が透けて見えるようで。
(理想と現実かぁ……)
「……なんだよ」
 どこか憐みを含んで自分を見下ろす目に、ソウルは眉を顰めてみせる。女所帯で苦労してんのな、とストレートに言うのもなにか気が引けて、リズは適当に話を逸らした。
「いやあ。……ソウルって、おっぱい派かと思ってたけど、そーでも無いのな」
 二人の視線が同時に下がる。
 そこにある膨らみは、彼の相棒ほどにフルフラットではないが、お世辞にも豊満とは言い難い。同じく性別の反転してしまったブラック☆スターやキリクと比べても、その変化は実にささやかだ。
「そーゆーのが、タイプなわけ?」
「………」
 答えは返ってこない。俯いた拍子に銀糸のような長い髪がソウルの頬にかかり、その表情を隠したから、無言の意味は分からなかった。
 その横顔を見るともなしに見ているうちに、『彼』だった頃よりシンメトリーだな、なんてことをちらと考え、『あるいは誰のタイプなのか』なんて考えに行きついて。
 どれだけ恋人に苦い顔をされようと、彼はそのラフにまとめた髪を中央分けにはせず、ファッションをシンメトリーに改めるなんて事もなかったはずだ。そんな様々な左右非対称が、今は影を潜めている事からも、自然、疑惑の芽は育ってしまう。
(あながち間違いじゃぁないかもしれん……)
 キッドの理想の異性像など正直想像もつかないが、少なくとも人の胸を鷲掴みにして顔色一つ変えないぐらいだからおっぱい属性ではないのだろうし。『シンメトリー』という点においては今のソウルはイイ線行ってるんじゃなかろうか、などと。
 一人赤くなったり青くなったりを繰り返した後、気を落ちつかせるように軽く咳払いをして、リズは精一杯神妙な表情を作って見せた。
「ソウル。……別にあいつは、お前が男でも気にしてないと思うぞ? そんなには」
「………………はぁ?」
 何言ってんだ、という顔で眉を寄せたソウルの両肩に手を置き、リズは『何も言うな』と訳知り顔で頷く。
「そりゃ色々と悩むよなぁ。ホラキッドもそんなこと何も言わないもんだから、ごめんな気付いてやれなくて。でもそういうのはさ、もっとお互いよく話あったほうがいいと思、」
「ちょっと待て…………待ってくれ、頼むから」
 華奢な指が、なおも言葉を続けようとするリズの口を遮った。
「何の話してんだ?」
「え、いや。お前それ、願望の顕れ、とかそんなんじゃねーの? キッド好みの女のコになりたいなーみたいな」
 お前ら付き合ってんだろ? とリズが悪気なく首を傾げる。
 ものの二、三秒、無言で言葉の意味を咀嚼し、理解したソウルの瞳が大きく見開かれた。何を言おうとしてか、その桜色の唇をぱくぱくと数度開閉させたかと思うと、ふと考え込むように指先を唇に寄せる。そうして目まぐるしく表情と顔色を変化させたあと、漸く喉の奥から絞り出す様な声で呟きを漏らした。
「………………ねーよそんな深層心理」
「の割にはシンキングタイム超長いんだけど」
「いや……一体どんな風に伝え聞いてんのかと……」
 知りたいような恐ろしくて知りたくないような、とぼやいて落ち着き無く髪をガシガシ掻きむしる。およそ乙女とは言い難い仕草でありながら、朱が散った頬を隠すかのようにそっぽを向く様は軽いときめきさえ覚えさせる。全く、可愛いというのは得だ。
 つい、からかってしまいたくなるのは、そのせいかもしれない。
「聞いたっつーか、まぁ……諦めろ。職人と武器の間にプライバシーなんぞ存在しない」
「んな、馬鹿な……、」
 返したソウルがふと言葉を切り、まずい事でも思い出したかのように顔を顰めたのは、何か思い当たる節があるからなのだろう。
 確かに共鳴することでパートナーの思考を読むことは出来る。時として、互いに伝えたくはないことまで流れてしまうこともまぁ無いではない。けれど通常それは断片的な思考の切れ端でしかなく、ましてキッドの集中力なら尚更で、余計な情報は殆ど流れてはこない。
 だからこれは、概ね同居人としての観察眼と、あとは相棒としての勘、だったのだが。
「……なんだ。私ゃてっきり、その辺で悩んでっから未だに清らかなオツキアイなんかしてるのかと」
「…………うわぁ」
 絶句して頭を抱えたのは、リークされた情報の正確さ故だ。いま彼はきっと、どの範囲までの情報が共有され、そしてどこまで拡散しているのかを想像して、絶望的な気分に陥っているに違いない。
 脱力したようにへなへなとしゃがみこんだソウルに、取り敢えず彼が最も気にかけているであろう、『死神様に報告が行っているか否か』を教えてやるべきなのかと迷ったが。

(……ま、いいか。面白ぇし)

 結局胸の内に仕舞っておくことにした。可愛いコを苛めたくなるのはきっと、男子としてのどうしようもない習性なのだ。