SWEET BABY, Full Scythe


01

 特に足音忍ばせていたわけでなく気配を消すでなく、注意していれば勘付く程度で歩いていたのだから、それは直前まで気付かなかった方が悪い。

 そんな無言の主張を込め、バタン、といつもより勢いよく、派手な音を立ててダイニングの扉を開く。キッドがちらりとこちらを見て、少しだけ嫌な顔をした。
「扉はもう少し、静かに開けたらどうだ、リズ」
 変わり映えのしない小言をへいへいと適当に流しながら、視線をスライドさせる。
 キッドと向かい合って座っていた、ソウルの表情は予想通り、目だけこちらに向けたままぴしりと固まっていた。
 ばかみたいにぽかんと開けたままの口。見開いた目と収縮する瞳孔。
 あらぁー、こりゃまたお邪魔だったかしらぁー、なんてわざとらしく科を作ってウフフと笑ってみせれば、途端、一目でわかるほどに顔に血が集まってくるのが分かりやすくて面白い。……そうだよな、こっちのが正しい反応だろーよ。

 ふわりと広がる紅茶の湯気の向こう、キッドがフォークに突き刺したケーキをソウルに差し出しているのは所謂、『はい、あ〜〜ん』っていうあのポーズだろう。随分とまた、スイートなひと時をお過ごしになられていたようで。
 石像みたいに固まってしまった、彼の口癖を借りて言うなら『COOLじゃねェ!』……ってトコロだな。
 もうちょっと照れたり慌てたり取り乱したりっていう、年相応の可愛い反応はないもんなんだろうか。っとに、このボンボンの揶揄いがいのなさったらない。
 ……或いは単に、行為の醸し出す甘さと言うものを、自覚できないぐらいの救いようのない初心、なのかもしれないけれど。

「…………どうした? ソウル。食べないのか」
 そのボンボンの声で我に返ったソウルが、応とも否とも言う前に、開きっぱなしだった口に放り込まれたピースオブケイク。それは恐らく病的なまでの几帳面でもって八等分にされたうちの一つ、なのだろうけど、……ひとくちで頂くにはちょっとばかし大きいんじゃないのか?
 あいつも結構な大口だとは思うが、それでも今しがた口に詰め込まれたのは、いつも丸呑みしている魂のよう質感の無いものじゃない。圧倒的な存在感をもって彼を苦しめるカロリーの塊だ。
「む、…………ぐ」
 リスの如く頬を膨らませ、咽喉に絡まる甘ったるいクリームに胸を叩き、とにかく四苦八苦しながら口中の甘味をやり過ごそうと格闘するその様が可笑しくて腹抱えてげらげら笑ってると、未だ口をもごもごさせてるソウルにジト目で睨まれた。おー怖い。
「キッドー。ソウルが『おっきくて入んなぁい』って言ってんぞ」
 途端、ゲホっと派手にむせる。
 うむ、期待を裏切らないグッドな反応。健全な青少年ってのは、こうでなくっちゃいかんだろう。ほんと面白いったらありゃしない。
「……、……変な、脚色すん、じゃねェ、ボケっ」
「大丈夫か? ……随分顔が赤いが、ソウル」
「ナンか想像しちゃったんじゃねーの?」
「アホか……!」
 軽く咳込みながら、耳馴染みのない(やたらと高い、という事だけは覚えている)銘柄の葉っぱで淹れた紅茶を、ぐっとあおって一息ついたソウルが長い溜息を吐く。そのままやや乱暴にカップをソーサーへ戻すと、肘をつき未だ赤みの退かない頬を隠すよう、ふいと顔を背けてしまった。
 それなりに知識だけはあんだろうなあ、青少年。
 けどまぁ、見てりゃわかる。こいつらきっとまだ、あーんなこともそーんなこともしてないに違いない。
 なぁんてことを思うとその遅々として進展をみせない甘酸っぱい関係性が、微笑ましいような、もどかしいような、苛立たしいような、……よくわからない気分になる。

「こら、行儀が悪い」
「いーじゃん。固いこと言うなって」
「食べるならちゃんと皿を……」
 キッドの制止をかわして、まだ手をつけられていない1/8切れを頂戴する。
 砕いたビスケットを敷きつめたタルト風生地のざくざくした触感に、レアチーズの滑らかな口当たりの妙。ショーケースに並んでるようなやつに比べりゃ作りは荒いが、手造りならではの素朴な、優しい味なのがイイ。
 甘いモノは好きだ。パティも、私も、そしてキッドも。
「相変わらず、器用なー」
 褒めてやったってのに、作った本人は不貞腐れたみたいに向こうを向いたままだ。気恥かしいんだろう、ということは何となく分かる。
 今更だってのに、と思いながらもう一口齧る。爽やかな酸味と、濃密な甘さが後をひく。……ん、今日のはちっと、砂糖多目だな。
 こないだは無花果のタルトで、その前は確かアップルパイだったっけ?
 雑誌をめくって作りもしないレシピを開き、あぁこれ美味しそう、とキッドにそれとなく吹き込んでおくと、忘れた頃にソウルが(若干不本意な顔で)手土産片手に死刑台邸を訪れる、そんなサイクル。
 二人で食べきらない残りはいつも、私とパティの腹に収まるのが常だ。それで奴らは甘ーいひと時を、私らは甘ーいスイーツを頂ける訳だからまぁ、ギブアンドテイクってとこだわな。

 紅茶のお代わりを淹れにキッドが席を立ったから。
 ゲスト一人にすんのもアレだしなと、長居するつもりはなかったのになんとなく、椅子二つ分離れた席に浅く腰掛ける。と、漸く赤みの退いた顔を、こちらに向けたソウルと目が合った。
 変な間。
 ここが死武専ではなく死刑台邸だというだけ、二人の間にキッドがいないというただそれだけで、流れる空気が奇妙に重くなったような気がする。
「……はは」
 舌が滑らかに回らず、二つの微妙な愛想笑いが重なる。ソウルはどこか座りの悪い、変な表情をしていたからきっと私もそうなんだろう。どんな顔を作るべきか決めかねて、浮かべた笑みは二人とも微妙に引き攣っていた。
 それはソウルから見た私が、特にこの死刑台邸に於いては、単なるクラスメイト単なる友人としてではなく別の意味を持って映っている証拠だ。逆もまた然り。
『恋人の家族』ってのはホント、やりにくいもんだよなぁ。うん分かる分かる……

「……うっわ」
 思わず口に出していた。
 家族だってよ。誰が。私が? 私らが? キッドの?
 なに恥ずかしいことさらっと言っちゃってんだろうかと、ごく自然に流れた思考に少し照れる。そりゃぁたしかにあいつは大事なご主人様だし、手のかかる弟みたいなもんだなと思う事は度々あったけど。疑似家族のような絆が、心地よく思う時はあったのだけど。
 それでも無意識レベルで自分があのボンボンに絆されちゃってるっていう事実、目の当たりにしちまうとなんだかもう、な。おぉ恥ずかしい!
「…………なんだよ?」
 ソウルが怪訝な声で問う。そりゃあそうだろう。目が合って、にへらっと笑いあった相手が次の瞬間苦ーい表情で変に顔赤くしてりゃ、不審にも思うわな。
 てか、おかしな誤解を受けたら困る。ちょっと火照った頬を冷ますよう、ぱたぱたと手で扇いで風を送り、ああもう空気吸うだけで胸やけするわ、とソウルをつつく事にした。
「……誰かさんが人ん家でイチャコライチャコラしてっからな、家主の目ぇ盗んでなに不純同性交友やってんだかこの」
「イ、……」
 イチャコラって。
 一瞬ぽかんとして、その表情はすぐに「誰がいつ、んなことしたよ」と不機嫌に顰められる。
「してないんだ?」
「してねェよ」
「……できないんだ?」
――……、」
 むぐ、とケーキを咽喉に詰まらせた時みたいに、小さく唸って黙り込む。
 あーやっぱりなーと思いつつ、それを面白がる自分と、僅かに苛立ちを感じる自分とを意識する。
 基本、人の恋路なんざ『面白けりゃいい』はずなんだけど、……なんだろうねぇこのモヤモヤは。
「あいつのペースに合わせてたら、あっちゅーまに爺ィになっちまうよ?」
 少年老い易く、……なんとかっていう。続きは忘れたけど。
 楽しい事愉快な事が、若いうちしかできないってワケじゃあない。
 けど良きにつけ悪しきにつけ、若さゆえの勢いがなけりゃできないこと、ってのは確かにあって、そして子供の傷は治りが早いものだ。お肌が曲がっちまってからの傷が、痕になったりしたら目も当てられないじゃないかと、思う私もこいつらと二つ三つしか違わないのだけど。
「……ま、相手は神サマだしな」
 しょーがねーわ、と零してソウルの浮かべた苦笑は年に見合わない諦めさえ感じさせる。
 ティーンエイジャーなんていう人生の内で一番せっかちで、見境のない世代が、死神だなんて時間が無尽蔵にある相手に歩幅合わせるってのは、それなりに疲れることなんだろう。……それは実感としてよーく分かる。
「引き摺ってでも引っ張ってってやりゃいいじゃん」
「それはお前らの仕事だろ?」
 指摘に怯む。
 そうだ。どうでもいいことに気を取られ、頻繁に足を止めてしまうキッドを宥めてすかして時に担いででも立ち上がらせる、それは確かに私達姉妹の役目だろう。
「……まァ、そういう強引なのも――
 言いかけたソウルが口を噤んだのは、家主のご子息がティーポットを持って戻ってきたからだ。
 ご丁寧に私と、もうすぐ帰ってくるだろうパティの分のティーセットまで。……つまり今日のおデートは終了、ってことか。
 椅子二つ分の距離を詰め、ご愁傷様、と目でソウルに伝えると、彼は無言で軽く肩を竦めてみせた。