ョコレートジョーク


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「『お世話になったあの人へ、いつも頑張るお父さんへ。バレンタインデーに贈る、スィートなギフト特集♪』……なんだこりゃ」
 ダイニングテーブルの上、置かれていたフライヤーを手にしたソウルは、その文面を読み上げて眉を顰めた。
 セントバレンタインズデー、といえば『恋人たちの日』であるはずなのにそこには恋人のコの字も無く、そして何故か『お父さんへ』の部分が若干強調されたように見えなくもない。
 どこぞの業者とタイアップでもしたのか、その不可思議な煽り文句の下には見慣れた赤毛の死武専講師が、とびっきりの営業スマイルを浮かべて数多のチョコレートを手にした写真。
 誰が企画したものなのか、そしてその目的は、……言うまでもない。
「………………ばっかじゃないの」
 ターゲットであるはずの彼の娘は、父親の涙ぐましいまでのアピールを一言で切り捨てた。
 俯いた拍子に亜麻色のツインテールが揺れる。唇を少しだけ尖らせて、ばかじゃないの、と再び小さく呟く。声の調子は多分に呆れを含んではいたが、冷淡ではない。反発してはいるものの、けして父親の事が嫌いなわけではないのだろう。
 男勝りに鎌を振り回す相棒も、平時は年頃の少女にすぎない。その繊細かつ微妙な心境を思い、ソウルは曖昧な笑みで肩を竦めてみせた。
「しっかし……バレンタイン、ねぇ」
 しかもアジアの島国のチョコレート祭りの方かよと、華美なパッケージを手にしたデスサイズを眺める。どこの国の習慣でも、楽しいと思えば節操なく取り入れるあたりデス・シティー、というか死神様の懐の広大さだなと、ソウルは小さく溜息を吐いた。
 死武専には日系も少なくは無い。去年も結構な数のチョコにロッカーを蹂躙されたものだったが、 今年はデスサイズのおかげでまた、大々的に校内にチョコが飛び交うことだろう。恐らくはハートマークの付いた、パートナー申し込みレターを伴って。
 大体、パートナー申し込みがしたいのか、愛の告白がしたいのか、只イベント気分を楽しみたいだけなのか。思惑は色々あれど、それに付き合ってやらねばならない理由は無い。とりあえず自分を巻き込まないで欲しいもんだ、とソウルはげんなりした気分でフライヤーを丸め、ダストボックスへ放り投げた。

 しばらく機嫌の悪い顔をしていたマカが、ふと何か思いついたように顔を上げ、「ねぇソウル」とパートナーに向き直る。先程と打って変わった調子の猫撫で声に、若干嫌な予感を覚えつつ、ソウルは片眉を上げ視線だけで答えた。
「私、蜂蜜風味の生チョコが食べたい」
「……ああそう」
「作ってよ」
「意味わかんねェし。何で俺が?」
「バレンタインでしょ」
「ついさっき、馬鹿みてェ、っつってたばっかだろ」
「それはそれ、これはこれなの。……いいじゃない、どうせ作るんでしょ?」
 喜ぶと思うけど、とさらりと言ったマカの翠の瞳が、からかうような色を浮かべている。
 誰が喜ぶと言うのか。
 そんな事を聞いて自分の首を絞めるほど馬鹿ではなく、口を噤み黙秘権を行使したソウルに、彼の相棒はレシピブックを投げて寄越した。
「期待してるから」と言い残して自室へと引き上げた、マカの背を見送ってやれやれと肩を落とし、レシピブックをぱらぱらと捲る。トリュフ、ブラウニー、ガトーショコラ。手作りの王道ともいえるそれらを眺めながらぼんやりと、確かにマカの言うよう、ガナッシュという選択肢はアリかもしれない、と思う。そこまで手間がかからなくて、何より成形に拘らなくていい。シンメトリーじゃないとまた、あいつは煩いだろうから――

「…………馬鹿みてェ」
 マカに指摘されるまでもない。もう既に、贈る相手の事を考えてしまっている自分に気付き、ソウルは軽く苦笑した。
――蜂蜜、か)
 蜂蜜色の瞳を持つ友人の事を思い浮かべる。勿論パートナー申し込みがしたい訳じゃない。かといって、未だ友人の域を出ない相手に、愛の告白などできよう筈も無い。ただちょっと、実は意外に甘党だったりするあの死神Jr.の反応が気になるだけ、願わくばその顔が綻ぶ様が見てみたいだけ、――そうつまり、自分も只イベント気分を楽しみたいだけ、なのだ。
 ほんの少しだけ自分を誤魔化して、そう結論付けたソウルの脳裡に、ふと他愛無い考えが過る。
 死神様が本来の行事の方ではなく、遠く日本のチョコ祭りの宣布を許可した理由。その方が楽しいから、盛り上がるから、……キッドも喜ぶ、から?
 「まさか、な」
 死神様もやっぱりチョコ欲しかったりするのかねェ、などと。
 ひとりごち、ぺらりとページを捲ったソウルはそこで手をとめ、しばしレシピブックを凝視する。
 赤ペンで小さく丸の付けられたページは、基礎の基礎、一番基本のハート型チョコレート。
「……なんだよ。自分はずいぶんシンプルじゃねーか」
 ついでなんだからと、先程のように唇を尖らせるマカと、狂喜する彼女の父親とを想像して、ソウルは再び呆れたような笑みを浮かべた。