ョコレートジョーク


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「……へぇ〜〜〜! これをキッドが、……私のために?」
 感慨深げに言って、しげしげと手の中の包みを眺める父に、キッドは少し面映ゆい顔で、しかしきっちりと背筋を伸ばしてその声に応え頷いた。
 死神の手にある包みは、息子であるキッドから渡されたばかりのものだ。
 どうやらデスサイズの宣伝活動は功を奏し、彼の思惑通り死武専内にもバレンタインは浸透したらしい。
 日本式のバレンタインなら『女の子から男の子へ』じゃぁなかったかしらん、と僅かに疑問に思わないでもないが、元々が親しい人に贈り物をする日なのだ、別に間違いではないだろう。
 規格外な広い掌に、ジャストフィットするサイズのハート形。直径はかなり大きく、故に既製品ではないのだろうと容易に推察された。
「ひょっとして、手作りだったり?」
「はい、マカ達に教わって」
 キッチリカッチリ、シンメトリーな形にできているんだと目を輝かせ語るキッドに、父である死神は「そーなの」と彼の拘りをあまり刺戟しない程度に受け流した。
「凄いねぇ! 嬉しいよ、キッド。ありがと〜」
「いいえ、どういたしまして」
「早速開けてみても良い?」
「勿論!」
 恐らくシンメトリーに拘った故だろう、若干妙な形のリボンがけを、太い指先が器用に解き、丁寧に包装を剥していく。
「………………わーー……」
 一瞬言葉を途切らせ、次いで首を傾げた父の様子に、「どうしたんだい」とキッドはその面を不思議そうに見上げた。
「キッドくん。この、チョコの上の文面は」
「うん。マカから『この文字を刻むことが伝統的に決まっている』と教わったんだ」
 にこにこと邪気のない笑顔で言う息子に「そう、なの」と返した死神の視線が、再び手元に落ちる。
 特大ハート形、しかも手作りでありながら “義理” の二文字を大きくレタリングされたチョコレート。それがジョークなのか、或る種のアイロニーなのか判断に迷う死神をよそに、キッドはどこか感慨深げに腕を組んだ。
「人に受けた恩義に報いるという、人間関係の規範を意味する日本語だそうだよ、父上。日頃の感謝を込めた贈り物に、『護るべき道理』を文字として刻む……少し堅苦しい気もするけど、素晴らしい文化だね」
「あーー……うん。そーだね。私もそう、思うよ」
 心からそう信じているのだろう。息子の曇りなき瞳に、父は内心複雑な思いを抱きつつ、似た想いを味わうであろうデスサイズの事に思いを馳せる。
(いや、……彼なら、マカちゃんから貰ったものなら何だって、飛び跳ねて喜んじゃうんだろうねぇ)
 義理なんだからねと不機嫌な表情を作って見せる彼の愛娘と、喜びを身体中で表現するデスサイズ。二人のちぐはぐなやりとりを想像し、今の自分達に重ね、死神は少しだけその表情を綻ばせた。
 どんな形であろうと、我が子からの贈り物は嬉しいものなのだ。そしてそれは、神と呼ばれる彼らでさえ、例外ではなかった。
「ありがと、キッド。大事にするよ」
「父上。チョコレートなんだから、食べてくれなくては」
「あー、ゴメンゴメン。大事に食べるね〜」
「うん」
 晴れやかな顔で頷いたキッドに、「ところでさ」と彼の父は続けた。
「私の他にも、誰かにあげたのかな?」
「! ……ええと。その、世話になった、……友人達に」
 マカとか、と先程までとはうって変わって歯切れ悪く答えを返したキッドが、無意識か、左のポケットに手をやる。躊躇いがちな指先が、その微妙な膨らみに触れ、先程まで明るく輝いていた筈の瞳が僅かに翳った。

 思春期、ってヤツかしらん。
 そんなものが自分に在っただろうか、などとあまりに遠い記憶はもはや不鮮明だが、目の前の息子がおそらくそう呼ばれる時期にあるのだろう、という事は何とはなしに見当がついた。
 それを成長と捉え喜ぶべきなのか否か。仮面の表情は変えず、しかし穏やかならぬ思いで死神は我が子のらしからぬ様子をただ見守る。
 姉妹をパートナーにして以来、そして死武専に入学して以来。キッドの変化は如実に表れている。それ自体は欣喜すべきことであると分かっていながら同時に、寂寞を感じずにはいられない。可愛い子には旅をさせろと、口ではいいながらも本心では拒んでいる、そんな自分をまるで人の親のようだと思い、やはり自分もまた短くは無い人の子との交わりの中で、得たもの失われたものがあるのだろうと自覚する。
――それにしたって、ねぇ)
 その交わりが齎すものが、総じて良いものばかりであるとは言い切れない。
 渡さなかったのか、渡せなかったのか。……いずれにせよ、それが拒絶されることに対する不安からくるものだと、本人が気付いているかどうかは定かではない。彼らしくない行動に、何より彼自身が戸惑っていることが分かる。
 左右のポケットのバランスを保つことさえ忘れさせてしまうほどの相手、精神のバランスさえ不安定にしてしまうほどの強い感情。それが果たして彼にとって有益なものとなるのかどうか。

 ってか、ぶっちゃけキッドにはまだ早いんじゃないの〜、と親のエゴを丸出しにして言ってしまおうか。いずれ彼を苛むものとなるのなら、今のうちにその芽を摘んでしまうべきか――
 そんな考えを口にすることは無く、死神はその広い掌を我が子の頭に乗せる。
 ぽん、ぽん、と優しく二回。愛しむように頭を撫でられて、キッドは俯きがちな顔を上げる。見上げた死神の面、底の見えないその瞳が、確かに笑んだように彼には見えた。
「父上」
「渡してきなさい。君の気持ちをきっと、喜んでくれるだろうから」
「…………」
 じっと死神を見上げた金色の瞳から、翳りが消える。力強く頷いて、「ありがとう、父上」と背を向けたキッドが足早にデスルームを出てゆく。その靴音は軽く弾むようで、彼の心からいくらかの不安が拭われたことを示していた。



「ま、止める事で変に自覚が芽生えちゃったら困るしネェ……」
 良かったのかなァ、コレで。
 小さくなっていく我が子の背を見送りながら、彼の父は小さく溜息を付く。
 そして入れ替わりに、浮かれ調子でスキップなどしながらデスルームへと推参したデスサイズに、脳天直撃死神チョップを喰らわせたのだった。