White Lie


01

「……へっ。ホワイトデー? ……あーーー、うん。デスサイズのオッサンが流行らそうとしてた、アレ? っとにあいつ、そういう系のイベントごと好きな……っていうか、ごめん、何だっけ? ……ああ、ホワイトデーね、うん。……いや、俺そういうの詳しくなくてさー……悪ィけどお返しとか何も、……え、違う? …………話?」



 席を立つ間際、相手に気付かれぬよう密かに溜息をつくソウルの横顔に、『それが一番厄介だ』と書いてあるのがありありと見て取れた。
「……さすがに六回もやると、みんな無反応になるよねぇ」
 ソウルの背中に向けて、ひらひらと手を振ったマカが半ば感心したように呟く。テラスへと連れ出されていった彼に、注がれる好奇の視線は確かに、さほど多くはなかった。
「慣れってこわい」
「てか、数えてたん?」
 驚きか呆れか判別の困難な顔で、問うリズにマカはやや仏頂面を作って答える。
「……受け取ったチョコの数だけ来るのかなぁーって、気になっただけ」
「へー。ほー。それってもしか、ジェラシー?」
「ジェラ嫉妬?」
 にひひ、と左右でそれぞれ含み笑いをする拳銃姉妹に、「べっつに」とそっけなく返して、マカは机に頬杖をついた。
「っていうか、変じゃない。ホワイトデー、って言ったら普通、バレンタインデーのお返しするだけの日なんでしょ?」
 先程から、彼女のパートナーを指名し連れ出していく女子生徒達の目的は、共通だ。
「『返事』もお返しに含まれんじゃん?」
「……成程ねー」
 好意の告白に対する、返答の要求。バレンタインデーにはロッカーを散々チョコレートに蹂躙されていたソウルだったが、その山の中には確かに、そういった意味合いの手紙を添えてあるものも、あったように思う。


 『あなたの愛する大切な方へ。大好きなお父さんへ』という、微妙にターゲットを絞られた煽り文句のフライヤーがばら巻かれ、死武専を、どころか街中をチョコレート色に染め上げた、セント・バレンタインズデイ。
 欧米ではメジャーな祭日であるが、そこは多民族国家の様相を呈するデス・シティだ。日本のチョコ祭りのよう、宗教色を薄めイベントごととしての側面を強調すべき理由が、あったのかもしれないが。
「ちょーどいい時期なのかもなぁ。お返事ください、って切り出すのに」
 同じノリで、デスサイズが持ちこんできた『ホワイトデー』なるイベント、日取りはバレンタインから丁度一ヶ月。一時の熱病から冷めるものと、思いをより蓄積させるものを、篩にかけるには適した長さとも、言えなくはない。
「女子からしたらさ。イベントに乗じて踏みきっちゃえるしー、じゃなくてもお返し貰えるしでさ、割と評判悪くないみたいだけど? マカのとーちゃん、株上がってるって」
「…………はぁ……」
 教科書を鞄に収納するマカの手が止まり、唇からため息が毀れる。
 まさかあの父が、数多の女子生徒達の背を押すため、若き学生たちの仲を取り持つために、こんなイベントを企画立案したとでもいうのだろうか。
 そんなわけはない、と学生鞄の内側ポケットに、刺さっている洋封筒に視線を落とす。中身は有名劇団のミュージカルのチケットが一枚。それは彼女が父であるデスサイズから、『バレンタインデーのお返し』という名目で贈られたもので、……もう一枚は当然、デスサイズ自身が持っている。
「……ま、ぶっちゃけ自分が娘にプレゼントするための、口実欲しかっただけだろーけどさ」
「だよねー」
「……」
 姉妹の言葉を、無言でもって肯定する。チケットだけではない。彼女のロッカーには今、鞄に入りきらなかったプレゼントが、大量に詰め込まれている。
 可愛らしいぬいぐるみ、季節の花を集めたブーケに、色とりどりのキャンディをいっぱいに詰めた籠。名前を刻印した万年筆は確か限定品だし、ハードカバーの小説は既に絶版の希少本だ。定番品から入手困難なものまで、とかく娘が喜びそうなものを集めてみました、という気概だけはひしひしと伝わってくる品々を、山と抱えて正面玄関前で娘を待ち構えていたデスサイズの姿を、目撃した時は流石に回れ右をして帰ろうかと考えた程だった。
「……もう。公演は行きたいけど、パパと一緒じゃ――……」
 チケットにしても、容易には手に入らないものだと聞いている。どのようなコネクションを使ったのだか、と溜息交じりに封筒を取り出し、ひらひらと弄ぶマカに「あの」と背後から声が掛かる。
「はい?」
 明らかにクラスメイトの声ではない。ああまたか、と思いながら精いっぱいの営業スマイルで振り向いた視線の先には、予想通り見慣れぬ女子が立っていた。
 やや俯きがちに、頬を染めもじもじと次の言葉を迷っている小柄な少女は、下級生のようにも見える。
「……もしかして、ソウル?」
 自分に声を掛けるということはつまり、そういう事なのだろう、と推測したマカの考えは正しかったようだ。はい、と消え入りそうな声で言って俯いた少女の頬が赤みを増した。
 見かけた覚えのない顔だ。NOTクラスかもしれないな、と思う。
 ただでさえ広大な死武専の敷地内、進学コースが違えば学科棟も離れ、当然接触の機会もさして多くはない。NOTクラスに所属する生徒からすれば、相手がEATクラス、というだけでそこそこの障壁であるに違いないというのに。
 その心境を慮り、安心させるためか声音が殊更優しげになる。
「なら、すぐ戻ると思うけど……あ、ホラ」
 マカが教室の扉の方を指差した、途端先程の不安げな様子が嘘のように、少女の顔がぱあっと明るくなる。対照的に、相棒の浮かべた張り付いたような笑顔は、見なかった事にしておいた。

「まるっきり、アイドル見る目だね」
「そのうち出待ちとかされんじゃねーの?」
「……やめてよ。冗談にもなんない」
 礼を言うのもそこそこに、扉の方へと小走りに向かった彼女の目はもはや『彼』しか見えていまい。恋する乙女にとって多少の距離の隔絶などは、恋のスパイスにさえなりはしない些細なものかもしれない、と考え直してマカは手にした封筒を鞄に仕舞った。
「先帰っとこっかなぁ」
「そうなー、後続まだいんのかもだし。長くなりそーだ」
「一緒にかえるー?」
「うーん……」
 姉妹の誘いに、どうしようかな、と考える仕草をしたマカはふと、周囲に彼女らの主が見当たらないことに気付いた。


「そういえば、キッドは?」