White Lie


02

「……立ち聞き?」

 テラスと廊下をつなぐ扉の脇、待ち構えるようにして壁に凭れ、腕を組み床に視線を落としていた死神の一人息子に一瞥をくれて、「趣味悪ィぞ」と言いながらソウルは後ろ手に扉を閉めた。
「…………偶然、通りがかってな」
「ホントかよ」
 疑わしげに言って片眉を上げる。しかし問い詰めるほどのものでもないと判断したか、まあいいけど、と軽く肩を竦める。
「戻ろうぜ……寒ィわ」
 呼びかけに応えて無言で身を起こし、軽く背を払ったキッドが、ソウルに並ぶ。
 死武専全体に流れる、ふわふわとした落ち着かない雰囲気は丁度、一か月ほど前に感じた空気と似通ったものがある。教室へと戻る道すがら、話題になるのはやはりというか、今日の『イベント』のことだった。
「なんというか、……出入りの忙しいことだな」
「あー……まあ、そうな」
「これで七人目か」
「……なんで数えてんの?」
「先月あれだけチョコレートの山を築いておきながらその結果なら、寧ろ少ないと言える」
「無視かよ」
 問いかけをスルーして、統計の妙に首を捻るキッドに、「そうかね」とソウルは軽く溜息をついた。
「……ほとんどがイベント気分だろ、あんなの。本気の奴なんか、そうそういねェよ」
「そういうものか」
「っつーかさ……、ホワイトデーとか。どーー考えてもあのオッサンの、個人的な都合だろ」
 勘弁してくれよな、とソウルが心底迷惑そうに眉を寄せる。当日朝、死武専に登校直後に父からのプレゼント攻撃を受けた彼のパートナーは、勿論周囲にそれを冷やかされ、おかげで朝からずっと機嫌が悪いままだ。
「公私混同もいいとこじゃね?」
「……まあ、俺からも父上に、それとなく注意するよう進言しておこう」
 級友を、宥めるように言って「しかし」とキッドは続けた。
「たとえ祭りごとにかこつけたものだとしても。人から人へ想いを伝えるという行為そのものは、決して軽んじられるものではないだろ」
「…………まあ、」
「他者からの好意、評価、選択を得ることができるというのもまた、希有な才能の一つだぞ」
「はァ」
「パートナーが異性の場合は特に。それぞれが別に恋愛対象を持つことを、厭うものも確かにいる。色恋に現を抜かすことで、互いの波長にずれを生じる場合もままあると聞く」
「……へェ」
「しかし、だ。規範意識というものは、職人と武器、という閉ざされた関係だけでは醸成し得ない。他者との関わりは同時に、自身に自己の存在を強く認識させ発達させ得るものでもある。より深く人を知り、そして己を知ることの深まりに伴って、自己と言う存在を、それを支えるものとの根源的な関わりをも知るといえるだろう」
「…………えっと、」
「周囲との摩擦を回避し、一定の安定した関係を築き、その関係から如何にして自己の生存と繁栄という結果を引き出すか、ということを考える上ではだな、」
「――…………」
 生物の生存戦略にまで発展しそうな話を、当事者はと言えば微妙に目を逸らし眠たげな眼で聞き流している。こそりと欠伸を噛み殺すソウルに気付いたところで、キッドの弁舌は途切れた。
「聞いているのか?」
「聞いてない」
「……」
 本音を包み隠さぬ回答を受けて、むっとして黙り込んだキッドに、ソウルはやれやれと言った風で小さく息を吐いた。
「……あのさ。そんな大層な話じゃねェよな」
「そうだったか」
「だった。……その時々のノリだ、あんなのは」
「ふむ」
 組んだ腕の、片手の指先は顎のあたりに添えて、少しばかり考え込むようにして首を傾げたキッドは、疲れたような顔をした友人の横顔を眺め、先程よりほんの少しだけ、語調を抑えた。
「そもそも興味がない、というのか。そういった形での、他者との関わり合いには」
「……人をコミュニケーション不全呼ばわりデスカ」
 ひでーの、と本気とも冗談ともつかない口調で言って、顔を顰めたソウルに、キッドは自分の選んだ言葉が不適切であったことを知り、「いや、」と取り繕うように言って、僅かに視線を泳がせた。
「そこまでは言ってないだろう……そうではなく。なんというのか、……所謂、恋愛ごとというもの自体に、だ」
「…………、別に。そーいうワケじゃ、……ねェけど」
「ならば、なにか断らねばならない理由でもあるのか。誰かから、好意を持たれるということは、率直に言って嬉しいものだろ」
「まあ……、」
 肯定とも否定ともとれない曖昧な答えに、そういえば、いつもそうだな、とキッドはふと思う。男子数人寄り集まってやれ誰が好きだの好みのタイプだの、といった他愛もない話題を口にしていることもあるが、話が自分の事に及ぶと、途端に歯切れが悪くなる。
 そうやって、地を晒すことを意図的に避けている彼に対して踏み込むことへの、躊躇があるのかもしれない。
 ソウルと対峙する時いつも、自分が微妙に言葉を選んでしまう訳を、やや疑問は残るながらもキッドはそのように結論付けた。

「というか、自分で、そう言っていたではないか」
「? ……俺が? いつ」
「『気持ちは嬉しい』、と。先程」
「……よく聞いてんね」
「…………偶々、耳に入った」
「『偶々』に『偶然』――、」
「細かいことを気にするな」
「ソレおまえが言うかァ……」
 呆れたように言って、「まあ、な」とやはり曖昧な答えを返す。何かを誤魔化すよう、軽く銀髪を掻き上げ、ソウルは視線を窓側へと流した。
 人と目を合わせようとしない時は、ナーバスになっている時だともいう。
 向けられる好意をやんわりと、しかし結果的に切り捨てることで生まれる罪悪感。それを否応なく背負わされることの理不尽。様々の煩わしさが、彼をそうさせるのだろうかと、キッドは思う。
 少しだけ開いていた硝子戸の向こうから、漏れ聞こえてきた会話を思う。 『学科が忙しくてそれどころではない』とも、『デスサイズという目標だけで精一杯だ』とも。いくつかの理由を並べてはいたが総じて、『恋愛など考える余裕がない』という結論に収束するものであり、そしてそれが最も相手を傷つけずに済む模範解答だ、という意識も少なからずあったのだろう。

「優しいことだ」
 何気なく発した言葉が、存外に皮肉げな響きを持った気がして、当惑する。
 自覚するほどだ、当然、人の機微に聡いソウルには勘付かれたろう。隣を歩く彼が、怪訝な顔をして自分の方を見たのが分かる。
 視線に気付かぬ振りをして、繋ぐ言葉を探したキッドの頭に、ふとこのイベントを広めた人物の面影が過る。
「……そういう類の細やかな心配りが、異性の関心を惹きよせるのだろうかな。人心の掌握というか、……『女泣かせ』もまた、優秀な魔武器たるための資質の一つなのだろうか、と」
 少し取ってつけたような言い方に、なってしまった気はした。そのような方向で現デスサイズとの対比をみるのもまた、興味深いのは本当だったが、比較された本人としては随分と心外なようで、ソウルはあからさまに嫌な顔をしてみせた。
「さっきからなにげに人聞き悪ィよな? ……ってか、泣かせてねーし。誰も」
「そうなのか?」
 さりげなく周囲に女生徒の姿が無いことを確認したソウルが、泣かれると面倒臭ェから、とぼやく。
「経験則か」
「ノーコメント」
 黙秘権の行使はつまり『YES』を表すものでしかない。
 その事に何故か、胸がざわつく。妙な苛立ちを覚える。その理由が、己の中に見当たらない。
「……誰か、」
 狼狽を、隠すための問いかけは、半ば無意識的なものだ。
「誰か意中の相手でも、いるのか」
「……、」
 いない、という返答を、何故か想定していたように思う。
 それが期待、と言い換えられるようなものであることに、否応なく気付かされたのは、

「いるけど」

 ――さして間を置かず返ってきた、彼の言葉のせい、だった。