White Lie


03

「……んだよ。そんなに意外か」
「い、……いや」
 ソウルの不機嫌な声を受けてはじめて、自分が彼を凝視してしまっていたことに気付く。不躾を詫びようとして、微かに表情筋が引き攣れる。咄嗟に作った顔は、ぎこちない笑みのようになってしまい、キッドは彼の答えが自分に、少なからず動揺を与えているということを自覚した。

(……、何だというんだ)
 健全ではないか、と思う。
 死武専とは、戦闘員を養成する組織集団ではあるが、それはなにも、人間的感情を奪い去ろうというものではない。特に年頃の若者が集う、『学校』なのだ。ならばそこに、親密かつ情緒的な関係を希求する想いが生まれるのは、自然であると理解はできる。
 ならば。胸に蟠る、この感情は、なんだろうか。
 さざ波のようなざわつきは、徐々にうねりを強くして、キッドを落ち着かない気分にさせていた。
「――そうか。……同学年、なのか?」
 廊下を曲がり、階段にさしかかる。上の空で足を踏み出して、段差を踏み外しかけ辛うじて踏みとどまったことに、気付かれはしなかっただろうか。
「三日月組の、誰か、――とか」
 この話を、続けているべきではない。続けていたくない。そう思っているはずであるのに。口がひとりでに動き、同じ話題を、より深度を増して継続させるための言葉を繋ぐのを、止められない。
 それが本当に、知りたい事なのかどうか、よくわからないまま気付けば世間話のように、詮索めいた会話を続けようとしていた。

 暫しの無言があって、やがてソウルがゆっくりと、口を開く。
「それは」
 口調も、声音も常と変わらず、特に強い感情の動きが、見られたわけではない。
 むしろ、自身に向けられた赤い瞳が、凪のような静けさを見せることが、逆にキッドを怯ませた。
「……おまえに、関係あんの?」
 不自然なほどに平坦な物言いは、――つまり柔らかな拒絶だ。
 そう直感して、言葉に詰まる。否か応か、ただそれだけの単純な解を、答えあぐねてキッドは黙り込んだ。
 反応を待つ風でなく、歩を緩めないソウルの様子に、確信を強くする。その問いは線引きであり、干渉を排するための警告に過ぎない。
 胸中に、後悔に似た感情が沁みる。立ち入ったことを、聞くべきではなかった。踏み込まれることを厭う性質なのだと、分かっていたというのに。
 そのまま二人、無言のまま踊り場まで下りたところでふと、ソウルが足を止めた。
「まァでも、……」
 階下を睨むように見据えて、視線を合わせぬまま、独白のように言う。
「告白でもしてみっかと、思ったりはすんだけど、……俺も。……こう、場のノリで、………勢いで、…………なんとなく」
 およそクールとは言い難い、言い訳めいたその口ぶりに。
 訳もなく息苦しくなって、キッドは知らず、胸のあたりを押さえた。

「――……、そう、か」
 襟元のブローチを、なおす素振りをしながら、やっと声を絞り出す。
 常であれば、その言葉の不実を咎めたかもしれない。なんとなく、などといういい加減な心構えで、相対すべき事柄ではないだろうと。
 けれど、少し俯いたソウルの、肩越しの横顔が。良く見なければ分らない程度に、僅かに朱のさした頬が。彼の言葉が、額面通りのものではないという事を、暗に示している。
 それは普段あまり見せる事のない、素地の部分を垣間見ているようで。友として、互いをより深く知るという意味で、喜ばしく思えていい筈なのに。
「なら、いい機会ではないのか。今日などは」
 肋骨のあたりに、軋むような痛みがある。喋りながら、振り向かないでくれと、祈るような気持ちでいる。何も感じていないかのよう、声の調子は制御できても、顔に出さずにいられたかまでは、自信が無かった。
「…………、そうかね」
「……そうだ。想うだけでは、伝わらん」
 何故表情の作り方など考えなければならないのか、分からないままキッドは深く息を吸った。
 彼にとり、良き友人でありたいのだ。交わす言葉が、踏み出す勇気の一片となればいい、とも。
「伝えるという行為は、手段に過ぎない。……しかし言葉にし、想いを交わすことで互いの存在を認め合い、そしてそれこそが、互いの想いを導く出発点になる」
 しかし胸中に、言葉では表現できない拒絶感がある。魂の揺らぎから目を背けるよう、必要以上に饒舌になる。一般論を、口にしながら自分がそれを違えている。
 なんとも理に倣わぬことだという苛立ちを、治めるために調息を繰り返す。バラバラに機能する思考と感情とを一時的に抑えつける。振りかえったソウルに、キッドは『いつもの表情』で応えてみせた。

「……とにかく、言うだけ言ってみろ、って?」
「簡潔に言えば、そういうことだな」
「……」
「どうした、……」
 無言のまま、視線が交わる。紅玉のような赤を湛える瞳に、じっと見詰められると途端に落ち着きを失う。整えた筈の動悸が再び早まるのがわかる。
 瞳を通して、なにかを暴かれそうな気さえする。理由なき苛立ちを。声なき動揺を。胸の奥底に沈む、不明瞭な感情を。
 目を逸らすことも叶わず、その赤に魅入られるようにして場に立ち尽くす。どれほどそうしていたのか、やがて視線はソウルの方から解かれた。がしがしと落ち着きなく銀髪を掻いたソウルは、聞こえるか聞こえないかの呟きを漏らした。
「………………言ってもわかんねーかもなァと」
「……?」
「まァ、……いいか、もう」
 ジャケットの内ポケットを探ったソウルが、右の拳をキッドに向けてさし出す。
 トン、と胸のあたりを軽く突いた、彼の手の中に、華やかな赤。
 コサージュのような小さな、花束があった。
「これは」
「『お返し』、……先月の」
「……先月、」
「…………。忘れたんなら、もういいけど」
「待っ……」
 ん、と押しつけるようにしてキッドの手にそのブーケを握らせ、くるりと背を向け立ち去ろうとするソウルを、反射的に呼びとめる。
「…………返礼、など。何も、用意していないと!」
 違う、そんな事が聞きたいわけではない。
 分かっていても、咄嗟に適切な言葉は浮かばず、もう教室で何度も聞いた事実を、ただ口にしていた。
 呼びとめられ、一度は足を止めたソウルは、しばらく迷うような素振りをみせたあと、躊躇いがちにキッドを振りかえった。
「あのさ」
 努めて平静な顔で、何事かを言おうとして、止める。何度かそんな事を繰り返したあと、諦めたように長い溜息をついて、真っ直ぐにキッドを見据える。深紅の瞳の内に、溢れだそうとする感情と、それを見せまいとする理性との葛藤が見て取れた。
「……俺は別に、誰にでも優しいワケじゃねェの」
 そんぐらいは分かれよなと不機嫌に言い残し、呆然としたままのキッドに背を向ける。
 呼びとめたくとも、声にならない。咽喉はからからに渇いていて、金縛りにあったかのように身動きさえ取れず、彼の銀髪が階下へと消えていくのを、ただ見送る。
「ソ、――」
 漸く咽喉が正常に機能した時にはもう、階段を降り切ったソウルの姿は見えなくなっていた。
 一歩、踏み出そうとして軸足がよろめき、咄嗟に近くの手摺を掴む。そのまま壁に身を凭せかけ、人目のない場所で良かったと思いながら、キッドは項垂れ小さく息をつく。


(――訳が、わからない)
 忘れるはずなどない。
 折角だから一緒に、とマカに誘われて。完璧な正確さで、左右対称に作り上げたチョコレートのうちの一つを。
 渡したのだ、確かに。受け取ったのだ、彼は。
「何だと、いうんだ」
 体の緊張を、意識的に緩めた拍子に手にした花を取り落としそうになって、慌てて両手でしっかりと掴む。
 親愛の情だ、と思う。
 交換したチョコレートも、返礼として受け取った花束も。好意と親しみを目に見える形にして贈るというただそれだけの事、それ以上の意味など、必要無いというのに。
 不規則に胸を打つ鼓動。知らず熱を持つ頬。口中が渇きを覚え、指先が微かに震える。
 あの時も、同様に。諸症状はまるで同じで、その前例なき変調に今もまた、戸惑いを覚えている。
 息詰まるほどの緊張が、いまは言い知れぬ高揚となって表出することの、理由。



「クソ、……鬱だ」
 口にしてみた鬱積は、しかし偽りだと知っている。先ほどとは異なる鼓動の音が、そう告げている。
 そのことがさらに憂鬱を煽って、一人残された踊り場で、キッドは再び長い溜息をついた。