STAIRS


07

「なるほどな」

 得心した、といった調子でキッドが頷いた。その表情にはもう、何かに対する憤りも、自責の念も見られなかった。ごく平静な、いつものキッドだ。
「確かに、言葉のうえだけではなく行動で示すことは重要だ」
 そう思えて、ソウルがほっと胸を撫で下ろしたのは、つかの間のことだった。
「意思と行動、双方のバランスが大事だと、そう言いたいのだな。俺としたことが、何より大事なことを、見失っていた」
 そこに在るのは確かに、いつものキッドだった。自身にしか分からないようなことを呟き、一人うんうんと頷きながら、どんどんテンションを上げていく。それは頑ななまでに、いつものキッドだった。
「つまり、こういうことか」
 言いながら、キッドは自らの使うフォークをソウルに差し出す。
 偏執的と言っていい正確さでもって、八分割されたタルトの一片が刺さっている。
 零れ落ちぬよう、片手を添えて、相手に手ずから食べさせようと言う、――そのポーズは、つまり、
「……。なんのマネか、聞いてもいいか」
「? どうした。一口欲しいのではなかったか」
「いや、いやいやいや」
 首を振ってノーサンキューの意を示したソウルに、キッドは訝しげな顔で首を傾げた。
「遠慮しなくてもいいぞ?」
「いや、だから、そーいうコトじゃなく」
 確かに一口くれと言ったし、貰うこと自体は吝かではない。しかし間違っても『食べさせてくれ』などとは言っていない。というか、公衆の面前でそんな恥ずかしいマネができるわけがないだろうが。“あ〜ん”とかガキじゃあるまいに。
 そう、言いかけて、ソウルはたじろいだ。じとりと彼を睨む金色の瞳が、無言の圧力を掛けている。
「ほら」
「……マジで?」
「なにがだ。零れるだろう、いいから口をあけろ」
 ぐ、と身を乗り出すようにして、キッドはフォークを口元に近づけてくる。
 なんの意趣返しだ、とソウルはおぼろげに思った。そうとでも思わなければ、意味がわからない。
「ん」
「…………マジでか……」
 これで赦してやる、と言わんばかり、目で訴えられている気がして。
 神の眼力など反則ではないのかと、思っても到底言えなくて。
 “天の与うるを取らざれば反って其の咎めを受く”――――いつか授業で習ったような、そんな文言が頭を過ぎって。
「…あ〜……む」
 最終的には根負けした。
 ああ、店内隅の目立たない席を選んでおいて本当に良かった、と思いながらソウルは、観念して口を開け、差し出されたフォークをぱくりと咥えた。
 与えられたタルトを無言で咀嚼する。あーん、なんてされたのは何時ぶりだろうか。随分な子供扱いだと思うと、気恥かしさが募って、少し顔が熱い。
「いつも、ンなことやってんのか? 家で」
「? 何がだ?」
「や、その。食べさせたりとか」
 気を紛らわすための質問に、キッドは少し考えるように片手を顎に当て「いや……うむ、そうだな」と消極的に肯定した。
「リズとパティはよく、お互いの食べているものを交換しあっている。食料を分け合う、という利他行動は、最も原始的な仲間意識の現れ、もしくは愛情表現の行為だ。あの二人の仲のよさ、強い繋がりがそんなところにも垣間見えるようで」
 見習うべきだとでも思ったのだろうか。かろうじて理解はできても、おおよそ共感し辛い、つまりいつものキッドだった。「美味いか?」と小首を傾げ聞いてくる彼に、「……まあ、そりゃ」とソウルは引き攣った笑みを浮かべた。

「そうか。なら、良かった」
 ぱっとキッドの表情が明るく輝く。浮かべた笑みは極上で、機嫌の良さをあまりにも如実に物語っていた。
 分かんねェな、とソウルは思う。何がそんなに嬉しいのか。そもそも彼の感情の起伏は、微妙に常人離れしているところもあって、どこに機嫌のツボがあるのか、いつでもよく分からないのだが。
(――……でも、よく笑うよな)
 それは最近、なんとはなしに気付いたことだ。
 馴染みであるという空気がそうさせるのか。こうして二人でいる時、キッドはいつもより気を緩めた、幼い表情を見せることが多い。
 少しつつけばくるくると表情を変えるその様に、彼が『生死を司る神』などという悠遠な存在であるのだということを、忘れてしまいそうになる。
 なにを悲しみ、そして何を喜ぶのか。
 好奇心にも似た感情からつい、いらぬちょっかいを出してしまうのかもしれない、とソウルは思う。そんな自分もまた、他では見せぬ顔を晒しているような気がして、――なんだか。

「ソウル」
 名を呼ばれ、顔を上げれば再び、フォークに刺さったタルトが目の前にある。
「………………や、もう十分なんスけど」
「どうした。今日はやけに遠慮するんだな」
 嫌味ではなく純粋な疑問を含ませて、キッドは不思議そうな顔をする。答えに窮したのは、単に自分の後ろめたさからだ。
 分け与えるという行為にやけにご執心の死神様が、フォークを口元へ近づけてくる。どうしたものだろうかという思いで見遣って、ソウルは苦笑した。手を差し出す、キッドの表情は柔らかくほどかれている。いつか垣間見せたような憂いなど、欠片もないその笑顔の方が、よほど『キッドらしい』と思えた。

 どれだけ時を重ねようと、やはり神を理解するなんてことは、できないのかもしれない。
 それでもこの死神が、『らしく』あれるというのなら、……少しぐらいは気恥かしいのを我慢してやるかと。
 そんな事を考えてしまう自分もやはり、何かが変わったのだろう。


「ほら」
「…………へいへい」
 或いは、変えられてしまったのかもしれないなと、思いながらもソウルは再び口を開けたのだった。