STAIRS


05

「本当なんですーって!」
「ええぇ……? でも……」
「見たんです! 聞いたんです!! しかもバッチリ目があったんですよ!!!」

 午後の授業も終わり、死武専の食堂で優雅にケーキセットをつつきながら、いつものようにかしましい後輩三人組の話を聞いていたエターナルフェザーは、流石に信じられない、といった顔をした。
 アーニャ・ヘプバーンと多々音めめ、そして春鳥つぐみ。いつもと変わらぬ顔ぶれで、未だに暇をみつけては『休日の死武専探検ツアー』を敢行しているらしい三人が、今回は前例のない新たな怪異に遭遇したというのだ。
「めめさんが先導すると、いっつも得体のしれない所へ迷い込むんですから!」
「そう、なんだか怖ぁい雰囲気で、……ええと。ブルっちゃって、どんなところだったか、忘れちゃいました」
「ずらーーっと鉄の扉が並んでいて、それぞれに小さな窓がついてる、そう、あれはまるで、監獄のような、」
「……多分、ピアノの練習室、だと思うんですケド」
 二人の話を纏めるように、つぐみが話を繋ぐ。たまたま迷い込んだ死武専課外活動棟を、うろうろするうちに何か、おかしな気配を感じたというのだ。
「お休みの日でも、予め申請してさえいれば誰でも練習室は使えるのよ?」
 宥めるように言う先輩に、「でも」と食ってかかるようにアーニャが反論する。
「そう思って後で調べたんです。けれど、あの日、練習室の使用申請届は出てなかったんですよ?」
「なのに、三百三十三番目の部屋から薄ぼんやりした明りが漏れてて」
「多すぎるって、めめちゃん……十三番目だよ。それでなんか、不気味なメロディーも聞こえてきたし」
「……で、確かめてみたの?」
 こくこくこく、と大きく頷いた三人娘は、「それで?」と続いた先輩の言葉に、『よくぞ聞いてくれた』と言った風で口々に語りだした。
「暗くてよく見えなかったのですけど、なにか白いものがピアノを弾いているのが見えましたの」
「私がそお〜っと覗きこんだら、モコモコした物体がもぞもぞしてました」
「……ドガドガガゴン! ってすっごい音がして、びっくりして小窓を見たら、暗闇の中で赤い目が光って! こっちをぎょろっと睨んだんです!!」
 ふむふむ、と三人の言葉を聞いていたエターナルフェザーは、「つまり、その十三番目の練習室で、」と眼鏡のブリッジを軽く押し上げる。
「ピアノを弾いてたわけよね。ええっと、なんだっけ」

「白くて……」
「モコモコしてて……」
「目が赤い……」

 目撃証言を総合し、しばし黙考した後、彼女はお下げ髪を揺らして可愛らしく首を傾げた。


「――――ウサギ??」


 ・

 ・

 ・


「『真夜中の課外活動棟、十三番目の個人練習室で、死の旋律を奏でる怪人ウサギ男』…………だそうだ」
「…………」
 死の旋律、あたりまではどこにでもある話だった。実際には昼間だったはずが、真夜中になっていたりするあたり、怪談とはやはり定型化するように出来ているものなのだろう。
 が、しかし。
 明らかに想定外なオリジナリティが加わった完成形に言葉を失い、二、三度ゆっくり瞬きしたソウルの、テーブルについた片肘がずるると滑った。
「なにがどうしてそうなった」
「白くて目の赤い品種といえば、ジャパニーズホワイトだろうかな」
 そんな事を嘯くキッドの横顔は、どこか楽しそうでもある。
「いいじゃないか。兎といえば献身のシンボル、生命と復活の象徴でもあるとされる動物だぞ?」
そう考えれば、生死を司る神に仕える身には、相応しい呼称と言えるのかもしれない。だからこの死神は、妙に機嫌のいい顔をしているのだろうか? ――そんなようなことをちらと考え、ははは、とソウルは乾いた笑い声をたてた。
「光栄なこった」
 キッドが最初に推測した通り、噂が怪談として定着するまでだいたい一カ月程度かかった。その間、デス・ロビンスからデス・バックスカフェへと場所を移し、何度か行われた『作戦会議』はといえば、相変わらず何の進展もみせてはいない。一度広まってしまったものを消し去る方が、新たな事例を根付かせるより、どう考えても難しいものだ。
「しかし、これでお前も、死武専の伝承のひとつとなった訳だな」
「ん」
「友人として、誇らしく思うぞ!」
「……ああ、そーかい」
 なにがそこまで嬉しいのか、にこにこと邪気のない笑顔で言われ、つられるようにしてソウルも曖昧な笑みで応えた。無意識なのかは分からないが、この死神はどうにも、するりと人の懐に入り込んでしまうのが上手い。計算などではなく、天性のものなのだろう。
 屈託なく笑ったかと思えば、子供のように泣く。かと思えば、あの暗闇の中で見せたような、憂いを含んだ顔をする。どれが本当のキッドなのだろうか、などと思ってしまってから、その考えがばからしいものであることに気付いて、ソウルはストローを噛むようにしてアイスラテを啜った。どれもが、有りのままのキッドだ。そうと分かる程度には、同じ時間を共有してきたはずだった。
「いっそ、八十八に増やしてしまえばいいのではないか?」
 相変わらず実現性に乏しい提案をするキッドに、「無茶言うな」とソウルが返す。実の無い『会議』と、雑談とを交えながら、パンプキンタルトにフォークを入れたキッドは、一口食べたあと目を瞬かせた。
「む。美味いな」
「期間限定のやつ? ソレ」
「うむ。パンプキンペーストのほどよい甘みとチーズフィリングの滑らかさ、そしてこの二つの配合が絶妙で、――……」
 味の良さを評していたはずがいつのまにか、南瓜の薀蓄にすり替っていく。肌荒れ予防や冷え性改善等の効能をつらつらと挙げたキッドの、結論としては「テイクアウトしてリズとパティへの土産にしよう」というものだった。
 死神様の御子息は、どちらかといえば甘党のようなのだが、それはもしかして、彼のパートナーであるところの拳銃姉妹の影響なのだろうか、とソウルは思っている。
「律儀だな」と何気なく言ったソウルに、キッドは小さく肩を竦めてみせた。
「……そうしないと、後で恨まれる。『デスバの新作は絶対買って帰れ』と常々言われているからな。こと食べ物の恨みは恐ろしい」
「あーあー。マカも時々そういうトコあんな」
 他愛のない雑談を重ね、笑いあう。作戦会議と称していながら、そういった時間の方が割合を増やしていく。ソウルにとり、正直なところ、死武専九不思議を八不思議にすること自体には、もうあまり興味はない。それはキッドにしても同じなのではないだろうか、と思う時もあったが、なんとなく、言いだせないままでいる。
「それ、一口くれよ」
 言いながら、ソウルがフォークに手を伸ばすと、すすっと皿ごと遠ざけられた。
「……。ケチ」
「失礼だな。俺は物惜しみをしている訳ではない」
 そう反論しながらも、やはりタルトの載った皿はすすすとテーブルの上を移動し、再び伸ばされたソウルの手は空を切った。
「ケチじゃなけりゃ、なんだってんだ?」
「忘れたか! 先日も同じように『一口くれ』と言って、」
 金色の瞳が恨めしげな色を宿してソウルを見据えている。ことシンメトリーに関する事以外で、こう感情的になるのも珍しい、そんな事を考えていたソウルに、キッドは強い口調で言い放った。
「…………一口で、半分以上持っていったろうが!」
「あー……ああ。……なんだ、まだ根に持ってんのか」
 あー悪ィ悪ィ、と口だけで謝罪を述べながら、しかしソウルは堪え切れない笑いに唇を歪める。確かにキッドが言うよう、数週間ほど前にもこうして、無心してみたことがあった。どうぞ、と厚意から差し出された皿に、半分以上残っていたケーキをまるごと一口で頂いたのは、ちょっとした悪戯心が働いてのことだったのだが。
 驚愕、呆気、次いで怒りへと、短時間でくるくる変化していったキッドの表情を思い出し、笑いを収めるのに苦労しているソウルに、むっとした様子でキッドは唇を尖らせた。
「誠意が一切感じられん」
「悪かったって、マジで……お前がそんなにケーキ好きだったなんてさ、知らなかったしよ」
「そうではない!」
 ダン、と拳を作ってテーブルを叩いた、キッドの肩がぷるぷると震えている。そのただならぬ様子に圧倒され、ソウルは思わず笑いを飲みこんだ。
「いや、……菓子は好きだが。そうじゃない。お前はもっと重要なことを忘れている」
「……? もっと重要なコト、って?」
 笑みを収め、代わりに疑問符を浮かべたソウルに、「そう、最も重要な事だ!」とキッドは皿に残ったタルトをフォークで切り分けながら続けた。
「一口あたりのサイズ、というものに個人差があるのは認めよう。しかし、この程度のサイズのケーキならば、便宜的に『八等分したもの』を一口と仮定するのが妥当ではないか? ……つまり、このタルトを例にとって考えると、形状質量グラムあたりの脂質含有量その他を考慮し、…………正確に八分の一とするなら、」
 さく、とフォークが最後の一片を切りだす。長い長い前置きの末、綺麗に等分されたパンプキンタルトの、一切れをフォークに突き刺して、キッドは「これが『一口』と言って良いサイズだ!」と、ソウルに示すよう突きつけた。

「…………そうか」

  突きつけられたソウルはといえば。
 ああ、店内隅の目立たない席を選んでおいて良かった、と思いながら、取り敢えず憤慨した様子のキッドの手をそっと下ろさせる。
「そりゃ本っ当に悪かった、心の底から反省してる」
 悄然とした表情で疲れた吐息をついたソウルの様子が、よほど落ち込んでいるように見えたのだろうか。「分かれば、いいんだ」とキッドは語調を弱め、フォークに突き刺した一欠片を口に運んだ。