STAIRS


04

  被っていたシーツの端を、ひょいと持ち上げられて、思わずソウルは演奏する手を止めた。そのままキッドは自分もシーツの内側に潜り込む。驚いた様子のソウルには構わず、詰めろと言わんばかりに身を寄せてきた。
「?! ……キッド?」
「…………いや。どうだろうな。そんなものは、あくまで俺の主観に過ぎない。……死者は何も語らない。ジャスティン=ロウ、奴が何を望み、何を求め、何に絶望し死武専を、父上の元を離れたのかなど、俺には分からん。……けれど」
 けれど、父上は。
 呟く声には愁いがある。
 場を支配したしばしの沈黙が、何を意味しているものなのか、ソウルは考えようとして、やめた。
 ふと、デス・ルームでの伝達式を思い出す。
 新生デスサイズスの誕生とともに、告げられた離反者の除名。空席となった八番目に、新たに納まった魔鎌に祝福を授けた死神様は、いつもと同じに飄々とした風であったのだけれど。
 かつての先輩。かつての同胞。そして裏切者であり、仇敵であった男。ソウルにとり、そして他の多くにとってもそれまでの存在だった。しかし、――死神様にとっては。
 世の規律たる死神その人の、傍にありながら生まれおちた狂気。それは、最初の鬼神がそうであったように。
 背信を罪とし、断罪を命じたその胸中を、推し量ることはできぬように思われた。

 何を言うべきかも分からず、ただ無音の時間が過ぎた。やがて、互いの表情も見えぬ暗闇のなかで、ふ、と吐息だけでキッドが笑った、ような気配がした。
「季節は過ぎる。人は去る。全ての想いは過去に変わり、やがて失われゆくだろう。けれどこの場所は、――死武専は。去りし魂の残した想いを抱き、新たな魂を迎え入れ、いつまでもここに在り続ける」
 死武専、と言ったキッドが、けれど異なるものをその胸に描いているのは明らかだった。
「彼らが確かに、己の傍にあったという証を。どのような形であれ、褪せぬ記憶として人々のうちに留めるための『怪談噺』 、…………だったの、だろうかと。少し、思った」
 寄り添うように身を寄せてきたのは、感傷的になっているせいかもしれない。死神と、かつてその手にあった魔武器とを思いながら、いずれ必ず失われるであろう絆を、自らに重ねて見てもいるのだろうか。
「――……キッ、」
「! ……しっ。足音が」
 なにか言いかけたソウルの唇を人さし指で制して、キッドは近付いてくる音に耳を澄ました。聞こえるのは三つの靴音、どうやら女生徒の集団のようだ。暗闇を恐れているのか、怖々とした風な足音に混じって時折、“ひっ”だの“キャッ”だの悲鳴じみた声があがるところをみるに、課外活動棟を歩く事自体に不慣れな者であるらしい。
「……なんだァ? NOTの奴らが肝試しでもしに来たか?」
「ふむ。丁度いいではないか。彼女らには悪いが、怪談話の『証人』となってもらおう」
「…………へーいへい」
 ひそひそとした話声が、近付いてくるのを見計らって、ソウルは再び鍵盤に手を置いた。

“!!”
“いっ……いま、何か、聞こえました?”
“き、気のせいじゃ……ないよ、ね……”

 靴音がぴたりと止まる。部屋の近くで交わされる声が、反響して聞こえてくる。
 あとは彼女らが、ピアノを弾く珍妙なシーツオバケ……もとい、『幽霊』を目撃してくれれば任務完了だ。
 しかし、部屋の中まで確かめに入ってこられたら面倒だな、と考えながら手を動かしていたソウルは、「これで九個目の怪談完成か」と、傍らに座るキッドにこそりと囁いたのだが。
「…………!! いかん!」
「?! ちょっ、なんだよ急に……!」
「そうだ……そうだ! 何故気付かなかった……このままでは、『死武専八不思議』ではなく……『死武専九不思議』になってしまうではないか! …………いかん、いかんぞ、許されん! 完璧なる調和、完璧なる対称性をもった『八』を崩すことは、たとえ父上が許しても俺が許さん!! ええい、なにをしている、この計画は中止だ! いますぐ退室するぞ、ソウル!」
 べらべらと訳のわからない主張を早口でまくしたてた挙句、がばと椅子を立ったキッドは、来た時と同じよう半ば引き摺るようにして強引に、ソウルをピアノから引き剥がす。
「落ちつけ! わっ、待て、シーツ踏んでるし! ひ、引っ張んなって! オイ……!」
 そして大股に扉の方へ向かう途中、頭から被ったままだったシーツを、引っ掛け踏ん付け巻き込んで、――その悲劇は起こった。

“ガシャン!”
 まずアップライトピアノの上にあった携帯ライトが落下した。
“バタン!”
 次いで鍵盤蓋が勢いよく落ちた。
“ガタガタガタン!”
 と派手な音がして椅子が二脚とも倒れた。
「あがっ!!」
 キッドに引き摺られるようにしていたソウルが、絡まるシーツに足を取られ、バランスを崩して頭から扉に激突し、
“ガゴン!”
 と鈍い音を響かせた。


「 ひぃぃぃやぁぁぁぁぁぁっっ!!!」


 狭い練習室が騒音でわやくちゃになったのと、部屋の外で女生徒の悲鳴があがったのは、ほぼ同時だった。
 鉄製の扉に顔面から突っ込んだソウルと、勇気を出し部屋の様子を確かめようと窓を覗きこんだ女生徒とが、これ以上にないタイミングで、かち合ってしまったのだ。
 小窓から覗いた、ぎょろりと光る、赤い目。
 ホラー映像以外の何物でもなかったろう。目が合った瞬間、身も凍るような絶叫をあげた三人の女生徒は、転げるようにして我先にと暗い通路を駆けていった。
「……大成功、ってとこか」
 少し開いた扉から半分だけ顔を出したソウルは、どこかで見覚えのある黒いツインテールが暗闇に消えてゆくのを見送ったあと、「痛って」と強かにぶつけた額を撫でさすった。
 ともかく、あとは彼女らが、好き勝手に噂話を広げてくれることを期待するだけだ。形式的に報告書でも書いて、提出すればこのくだらない『任務』も万事終了、のはずだった。

 じゃ帰るか、と振り返ったそこに、ムンクの『叫び』のような表情で頬に手を当て、「あああ……」と絶望に沈むキッドの姿がある。
「キッド」
「ああああ……」
「…………おい」
「ああぁあああぁぁ…………」
 へなへなとその場に崩れ落ち、鬱だなんだと言い始める。これまで八であったものが、一つ数を増やして九になった、ただそれだけのことが、彼にとっては耐えがたき苦痛に思えるのだろう。がっくりと項垂れたキッドに、ソウルはその日何度目かの溜息をついた。こうなると長いのは、これまでの経験でよく知っている。
 正直かなり面倒くさい。いっそ放置して帰ろうか。
 これまでなら、そう考えたかもしれない。けれど、何かが、彼の足を引きとめた。――それは、先程この死神が、垣間見せた憂愁のせいかもしれなかった。
 やや躊躇った後、キッドの傍らにしゃがみこみ、子供をあやすような仕草で、ソウルはその黒髪をポンポンと軽く叩く。
「わかったわかった……じゃ、今ある怪談を一個減らせばいんだろ」
「!」
 途端、がば、と顔を上げたキッドの金の瞳が、悲歎の涙ではなく新たな希望を宿して輝いている。ああ面倒な提案をしてしまった、と頭の片隅で思いながらも、ソウルは苦笑を浮かべ、「とりあえず」と膝をついたままのキッドに手を差し伸べた。
「デスロビでも寄って、作成会議するか」