STAIRS


06

「……ったく。“俺も変わらねば”なんて言ってたのは、何処のどいつだ?」
 片眉を上げ、ソウルは少し呆れたように言って、もくもくとタルトを片づけるキッドを見遣る。
 規律は変わるのだと言った。死武専にも変化がなかったわけではない。けれど、その規律を司るところの死神はといえば、親は相変わらずのあの調子だし、子は子でやはり同様に思えるのだ。
 そんな疑問を呈するソウルに、「何を言うか」とキッドが即座に反論を返す。
「俺とて規律を担うもの、一度宣言したことを覆しはない。だからこれまでより柔軟に、自分を変える努力をしているのだぞ」
 心外だ、と言わんばかりのその調子に、「例えば?」と聞いてみる。正直、期待はしていなかった。
「……そうだな。蝋燭の長さも額縁の傾きも、0.8ミリまでなら誤差の範囲内だと思う事にしているし」
「………………」
「なんだ?」
「いや。そりゃ大した進歩だなァと」
 皮肉を込めて言ってみたが、恐らく伝わってはいないだろう。はは、と愛想笑いのようなものを浮かべたソウルに、応えるようにキッドも「うむ」と大きく頷いた。
「変わらぬものはない。何一つ」
 真っ直ぐにソウルを見据える、キッドの口調が抑えたものになる。
「規律もまた同じだ、時とともに、その在り方は変わる。変わらねば、ならない」
 いつしか真摯な表情で、呟く言葉は誓いのようでもある。 自らの奇妙な信条について、だけではなく。それは秩序を担う身としての誓いだ。
 世の規律たれと、自らに課してきたこの若き死神は、確かに変わった。いや、変わろうとしている、そのこと自体がすでに、大きな変革であると言える。
(――……、)
 眩しさを、覚えた気がして目を眇める。変われる、ということは即ち、強さの証明だ。変化を受け容れるものだけが、その先へと進むことを許される。自らが、喉を掻き毟りたくなるような葛藤と自己の否定とを、繰り返した末に掴んだ苦い真実を、彼は息を吸うように自然に身につけ成し遂げている。
「強いな、お前は」
「俺がか」
「ああ」
 身体的な能力の事ではない。流石にそれぐらいは伝わったようだった。確かな羨望と、僅かな畏怖とが、端的な言葉のなかに滲んでいた。そのまま口を噤んだソウルに、キッドのフォークを持つ手が止まる。
 金の双眸が、じっとソウルを見詰めている。少し居心地の悪い思いで、けれどソウルはそれを受け止めた。目を逸らすタイミングを逸した、というのもある。なんとなく、気押されるようで癪だという気もした。
 交差した視線は、やがてキッドの方からほどかれた。
「時代が人をつくり、人が時代を動かしていく。時の流れとともに“規律”を変化させるのはいつも、人の想いだ。“規律”が強くあれるのだとすればそれは、人と人とのあいだに確かな、“調和”、があるから、だろう、…………」
 言いながら、ふと言葉を切った、キッドの眦のあたりがほんのりと赤らんだように見えた。何か言いかけて、躊躇って止める。適切な言葉を探すような、キッドにしては珍しいそんな仕草を繰り返した後、彼はその視線を上げ、再びソウルを見据えた。
「変わらない自分でいるために、変わり続ける。……変わらぬことを、許容するものがあるから、変わることを恐れないでもいられる。そうではないのか」
「ん…………ああ」
「……」
「?」
 分かったような分からないような顔をして生返事をしたソウルを、しばらく緊張した面持ちで見詰めていたキッドの表情は、次第にじわじわと赤みを増し、やがてにわかに曇り、そして諦念を滲ませたものになった。斜めに目を伏せ、キッドは少し不機嫌に呟いた。
「………………、もう、いい」
「な、何が? …………え?」
 婉曲な言い回しに何を含ませたのか、分からぬまま動揺を募らせるソウルに、キッドはそれきり押し黙り、何も言わない。
 どうやら機嫌を損ねたらしい、ということは分かる。しかし今の会話の流れで、自分のどこに非があったのか、ソウルにはさっぱり理解ができなかった。
 妙な沈黙が場に流れる。原因もわからず結果だけを押しつけられ、しかしどう取り繕っていいか皆目見当がつかず、ソウルは視線を泳がせる。賑やかで明るい雰囲気の店内で、二人の座るテーブルだけが、どんよりと空気が重かった。

 所在なくストローを咥えてみるものの、中身は溶けた氷で薄まってしまっている。追加オーダーするような空気でもなく、しかし、帰るかと切りだすタイミングも失われ、どうしたものかとソウルが困惑気味に肘を突いたところで、は、とキッドが溜息のようなものをつくのが聞こえた。
「……言葉で伝えるのは、苦手だ」
 機嫌が悪いというよりは、気落ちしたような空気があった。何か伝えたいことがあり、そして上手く伝わらなかったことに落ち込んでいる。辛うじてそこまでを理解して、「あー……」とソウルは掛けるべき言葉を探した。
「言葉は……難しい、よな…………うん」
 今まさに、実感としてあるそんな感想をソウルは口にする。
 思えば、彼の父もまた、考えを言葉にして表すことが苦手な性質だ。親譲りなのかと思いつつ、いま掛ける言葉としては適切でないなと、ソウルはその考えを振り払い、可能な限り汎用的な慰めの言葉を探す。
「アレだ。口で言うのが難しけりゃさ、……態度で示すとか」
 ぴく、とキッドの眉が動いた気がした。ゆるりと顔をあげた、キッドの金色の瞳に、微かな疑念の色をみる。
「……どーすかね」
 もう地雷を踏み抜くのは勘弁だ。
 祈るような気持ちで、ソウルはキッドの反応を待った。