愛症候群(その発病及び傾向と対策に関する一考察)


05

 背後から、父の少し情けない声が彼を追いかけてきたが、聞こえないふりをしてキッドは足早にその場を去った。やや不機嫌な顔のままデスルームを退室した彼は、扉の閉まる音と同時に、短く吐息をついた。
 知らず眉間に寄っていた皺を伸ばすように、額に指を置く。かつかつと高い足音は、次第にトーンを落とし、平時と変わらぬものとなった。ひとけの無い廊下を歩きながら、キッドは自らの言動を省察する。いつまでも子供扱いなのだ、という思いからつい、意固地な受け答えをしてしまったような気がする。そのような態度こそが、若輩たる証明ではないかと。
 恋というもののことは、確かにまだよく分からない。けれど、父に告げた言葉はまるきり反発から来ただけのものでもなかった。パートナーそして友人に恵まれ、死武専で過ごす日々は、いつしかキッドにとって、何よりも大切なものになっている。今はそれだけで、十分ではないかとも思うのだ。
「……友人、か」
 呟いて、ふっとキッドは小さく笑んだ。少しの呆れを見せながら、それでもソウルは誠意をもって最後まで向かい合い、話を聞いてくれた。普段あまり積極的に見せることは無いが、ソウルには意外に情に厚い、面倒見の良いところがある。他者を受け止める懐の深さというものは、武器であるが故の特性か、それとも彼自身の資質であろうか。そのどちらも、あるような気がする。
「あいつは、良い奴だ」
 リズやパティとは違った形で、彼もまた、自らの支えであるのだと。
 とりとめもなくそんな事を考えていると、ふわりと胸の奥が温かくなるような想いがした。
 いつまでもこんな日々が、続くのなら。
 柄にもなく、感傷的な事を思う。手にしたこの絆を、守りたいと強く願う。そう、たとえいつか、道を分かつ日が、来るのだとしても――
「――…………?」
 不意に、きゅうっと心臓のあたりを締め付けられたような気がして、キッドはぴたりと足を止めた。
 そっと左胸に手を置く。身体的な不調ではない。けれど、何故だろうか。先程まで、かけがえのない友情を思い、やわらかな思いでいたはずが、――今は、なんだか。
(時に温かく、…………そして時に、苦しい、)
 ふと浮かんだ考えを、打ち消すようにキッドは首を振った。短絡的思考で行動すれば、同じ轍を踏むことになるのは明白だ。それぐらいのことは、言われずとも理解しているつもりだった。
 しかし、と思いながら再び歩き始める。およそ今まで感じたことのない、言葉にし難い感情が、もやもやと胸の奥に澱んでいるような気がしてならない。常日頃、『キッチリカッチリ』を信条とするキッドにとり、不明瞭なものをそのままにしておくことは、耐えがたい苦痛でもあった。
「どうしたものか……」
 誰かに話を、してみるべきか。そう考え、キッドは少し困ったように首を捻った。あれから何日も経ってはいない。間をおかず、同じような内容の相談を繰り返しては、ソウルもきっと、取り合ってはくれまい。
 あの相談を持ちかけた時に。確かに彼は別れ際、『聞くだけでいいならいつでも』と、言ってはくれたが。
 けれど、今度は、なんと言って?



「……………………どうしたものか」

 ただの相談相手ならば、心当たりはいくらもあるはずだのに。
 最終的に残る選択肢がいつも『彼』であることに、気付かぬまま同じ台詞を繰り返して、キッドはふうっと憂鬱な溜息をついたのだった。