01 『あまり、見ないで、くれ……恥ずかしくて、』 悲しげな、けれどどこか媚びるような響きでもって、その声は耳を誘惑する。 ゆるりと、誘うようにたくし上げられるシャツの裾。 透き通るほどに白い肌は、熱を帯びて朱に染まり、ほんのりと汗ばんでいる。 その光景から、目を逸らすことも出来ず、ただ釘付けになる。 晒された、薄い胸。腹部のくびれ。ほんの少しのぞく腰骨のライン。それら全てがいやに艶めかしく、目に焼き付く。 『……触って、みるか?』 手を取られる。導かれるまま、指先が肌に触れる。接触に敏感に反応し、皮膚の表面がひくりと震える。 もっと、触れたくて。 つ、と指先を滑らせる。白い咽喉が仰け反る。けれど何も言わず、ただされるままに、熱い吐息だけがその唇から零れる。 『…………っ、……ソ、…………ル、』 胸を掻き毟るような切ない声音が、僅かばかり残った理性を焼き切る―――― ――――ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!!! 夢と現実との境目を、無情に切り裂くベルの音。喧しく騒ぎ立てる目覚まし時計に、一発パンチをくれて黙らせ、ソウルはぱちりと瞼を開けた。 普段なら、そのままもそもそとシーツに潜り込み、マカが起こしにくるまでもう一寝入りするところだ。けれど今日の彼は、ここ数日そうであったように、がばと身を起こしたあと蒼白な顔で恐々とシーツを捲った。そして、やはりここ数日そうであったように、がくりと項垂れる。 「……マジか…………!」 丸めた背中、げっそりとした表情、魂の抜けたような声。窓の外で小鳥の囀る声が聞こえる、絵に描いたような爽やかな朝には、どれも実に不似合いなものではあった。 ・ ・ ・ 「――――で、何? ソソウしちゃいましたーっつー話?」 「してねェ! 断っ、じて、してねェ!!」 体育の授業終了後の更衣室。ブラック☆スターは、早々に着替え終え食堂へと走っていった。キッドはいつも、混雑するシャワールームを嫌い、生徒用の更衣室を使わない。男子数名でたらたらと、他愛もない話をするうち自然話題が『女子のいる場では話し辛い事』へとシフトしていく。それもいつものことではあった、のだが。 血相を変えたソウルにシャツの襟首を引っ掴まれ、ガクンガクンと揺さぶられてキリクは「ぐぇ」とカエルが潰れたような声を漏らした。 「ちょ、ギブギブ! ……わーった、わーったって!…………なに、必死になってんだよ。深刻なカオするほどのもんでもないだろ? そんな」 「『朝から元気だった』、ぐらいじゃあね」 キリクの言葉を継いで、さらりとハーバーが言う。優等生らしく堅物なのかと思いきや、意外に話題に乗ってくる武器仲間の至極冷静な発言に、ソウルは反論もできず、小さく唸ってキリクの襟を掴む手を離した。 首伸びんだろーが、と自らのシャツをしばらく気にしていたキリクが、「でもよ」とそんなソウルを怪訝な目で見る。 「ンなのマジで、全っ然珍しくもない話しだぜ。エロい夢で欲求不満ー、とか、…………」 言ったキリクが一瞬言葉を途切れらせ、その目にぴこんと閃きの電球が灯る。ハーバーにアイコンタクトを送ると、彼も何かを察し、ああなるほど、と頷いてみせた。 「よっぽどヤバい内容だった、ってことかぁ」 「自分の性癖を根幹から疑わなければいけないような夢だったのかい」 それがショックだったということかな、と。 髪を拭いたタオルを手早く畳みながら、キリクの言葉をハーバーが補足する。実に良いコンビネーションで、埋められていく欠けたピースに当の本人はといえば、ただただ奥歯を噛み締め無言で肯定を示すのみだった。 「おーう図星」 「なるほどね。そんな夢が連続すれば、不安にもなるだろうな。…………で? 一体どんな内容だったんだい」 「鬼か、おまえら!」 「聞いてほしいから、話したんだろ?」 心からの叫びは極めてクールに一蹴された。もう何度目か、言葉を詰まらせたソウルは、しかし好奇の視線と無言のプレッシャーとに耐えきれず、はあっと諦めの溜息をつき、伏目がちにぼそぼそと語りだした。 「…………内容は、まあ別に、フツー」 吐露する場が欲しかったのだろう、というハーバーの言葉は、間違ってはいなかった。ただの夢、ただの生理現象だとはいえ、それは確かに、不可解なものではあったのだ。 「けど、…………相手がな……」 「性的対象として捉えてはいけない相手だった、ということ?」 「えーっ、やだーっ、ソウルったらインモラルー」 「だっ! ――――ばっ! ……違っ!!」 先読みしたハーバーの指摘に、ほんのりと赤らんでさえいたソウルの顔は、一転してさあっと青ざめる。誰も聞いてはいないだろうに、それでも慌てて遮るようキリクの口を塞ぐソウルの様子を冷静に観察し、ふむ、とハーバーは、少し考え込むような仕草をした。 「…………それとも、『捉えたくない相手』、だったのかな」 キリクにヘッドロックをかけていた、ソウルの動きがぴたりと止まる。ぎぎぎ、と音がしそうなほどに、不自然に固い動きでハーバーを振り返った、表情にはありありと『YES』と描かれている。 なるほどこちらの方向か、と察してハーバーは、間髪をいれず追撃をかけた。 「例えば、パートナーだとか」 異性のパートナーを持つと、そういうことはよくあるらしいと。 慰めるというでもなく、淡々と語る。健全な年頃の男女なのだ。そういった感情の発露を遠因にして、魂の波長がずれてしまうというケースも、事実、そう珍しくは無い。 「だからこそ、『そうじゃない』ものを軸に構築される、希有な関係こそを死武専は尊ぶわけだけどさ」 「……や、そういう話じゃ、」 「まあでも、簡単な事だよ。そんなに悩むなら、一度やってみればいいんじゃない?」 「……、…………はァ?!」 やるって、何を。 恐る恐る聞き返したソウルに、ハーバーはしれっと応える。 「セックスだろ」 「ぬ、なっ……」 「うお、ハーバーせんせー超クール」 ソウルの腕から抜け出したキリクが、半ば呆れ半ば感心した様子で、友人の冷静な物言いを称えひゅうっと口笛を吹く。 「は、は、ハーバーくんっ!!」 その横から、それまで聞こえないふりをして聞き耳だけは立てていたオックスが、頭頂部まで真っ赤にして会話に乱入してきた。 「オックス君」 「そんな、ことを、軽々しく! ……神聖な学び舎で! 口にする、もんじゃあないだろうっ!」 「ハハッ。相変わらず真面目っつーか、お堅いよなァー。オックス君だってさ、ちょろっとぐらい考えたりすんだろ?」 「ぼぼぼ僕は! 一度たりとも! 彼女を、キムを、せ、セ、せ、……そんな欲望にまみれた眼差しでもって、見たことなどっっ」 決して広くはない更衣室で、ぎゃんぎゃんと大声を上げるオックスに、何事かと周囲の視線が集まる。 「……はいはいはい、わーったわーった。いまキムの話はしてないからねー。大丈夫だからねーあっちいこーねー」 「がっ! 学生の本分とは学業だっ! 学問に、技芸に、本気で取り組んでいるなら、そんな邪な思いなど、抱く暇は……っ!」 あわあわと取り乱す程に言葉は胡乱になってゆく。キリクに宥められ、背を押されて更衣室を出ていくオックスを、他人事ではない気分で見送ったソウルに、ハーバーが「キム、じゃないよね? 相手」と確認のためにか問うた。 「絶対に違う」 「そう」 ならいいや、と話を切り上げる。 もしキムだったら、どうするつもりなのか。 気にならないではなったが、そこに触れるのも全く得策でない気がして、ソウルは黙って疲れた溜息をついた。 |