02 「人事だと思って、……簡単に言うなよな、ンなこと」 食堂へと向かう道すがら、先程の話題を継いで、顔を顰めるソウルの言葉を「そうだね」とハーバーはあっさり認めた。 「意中の相手とセックスにまで至ろうと思うなら、色々と手続きが面倒だし」 手続きって。 あまりにドライな言い方に、ソウルが返す言葉に迷ううち、ハーバーはひとり先を続ける。 「けど、『一人で処理』する分には、例えそれがどんな歪んだ性癖だろうと、誰にも咎められることはないよ」 「……」 「歪んでるのか」 「…………歪んでない! 歪んでないからな、言っとくけど!」 「そうかい」 格別に関心もないといった風で、ハーバーはソウルの言葉を受け流した。ソウルの言葉は先程から、どれも要領を得ないものばかりだ。何が彼をそうさせるのか、興味があるとすれば、そこだけだった。 「相手が、問題なんだっけね」 「……まあ、そうな」 「マカ?」 「違ェよ」 「ふうん。じゃあ、誰なんだろうな」 「…………」 途端、貝のように口を閉ざしてしまうソウルに、まあいいけど、とハーバーは続けた。 「なら、ようは、それが恋愛感情なのか、一時的な性衝動なのかという判別、感情と理性の切り分けを行うことだ。恋だというのなら、相応の気持ちで相対すればいい。そうじゃないのなら、それなりの方法で処理してしまえばいい」 「……ソークールだよなァ」 「そういうソウルはクールじゃないね。どうしちゃったんだい」 俺が聞きてェよ、と泣き言めいた言葉を漏らした友人の横顔を、しばし無言で眺めていたハーバーは、やがて「なるほどね」と得心したよう頷いた。 「それだけ本気ってことか」 「……は、」 「その相手を、性欲の対象として捉えたくないほど、ってことなのかと、思ったんだけど」 案外、純情なんだ。 からかうように言われたのなら、色めき立って反論もできたろう。そうではなくただ淡々と、客観的事実からの推測を、述べるのみのハーバーの言動は、いまのソウルの心理とは最も相性の悪いものだった。 本人もそこまで深く意識してはいなかったのだろう。だからこそ、指摘をうけて、らしくもなく取り乱しているのだ。 性的な夢をみた。身近な、相手だった。恐らく、これまで意識にのぼったこともないような。 それがまさか、自身の潜在的願望を、顕すものであるのだなどと。単純な拒絶も、受容もできずただ信じたくないと思うその動揺の、裏に潜む感情、……それは。 「…………まあ。オックス君の言い分じゃないけどさ。別の事で発散させるのも、手だと思うよ」 思考の泥沼に嵌ったか、愕然とした顔で言葉を失う友人を、少しばかり哀れに思い、ハーバーは助け船を出してやった。 「……別の?」 「スポーツとか、……そうだ、ソウル。最近、休みの日はキッドのトレーニングに付き合ってるんだって?」 よくついていけてるね、と素直に感心したよう言ったハーバーの背後から、「こなせてなどいない」と聞き馴染んだ声が掛けられた。びくんとソウルの肩が跳ねたことに、ハーバーは気付かなかった。 「キッド」 「ついて来てなどいるものか。時間にはいつも遅れてくるうえに、いざ始めれば予定の半分ほどで根をあげるのだからな」 腕を組み、やや不機嫌な調子で言うキッドの言葉を、聞こえているのかいないのか、ソウルは肯定も否定もしない。 「でも、それ、ブラスタ用のメニューだろ? 確か」 「ああ」 「全部はこなせなくてもさ。あのペース配分もなにもあったもんじゃないトレーニングメニューに、挑もうと思うってだけで充分、凄いことだと思うけどね」 庇うように言って、ソウルを振り返ったハーバーは、彼が非常に微妙な面持ちで黙り込んでいることに、漸く気付いて片眉を上げた。 「ソウル?」 「え? あ、ああ、うん。……い、急がねーと、Dランチ売り切れちまうよな?」 明らかに、焦った様子で視線を泳がせ、先の会話と全く繋がらないことを述べたあと、先いってるわ、と言い残してソウルは二人にくるりと背を向けた。 「なんだ、あいつは」 逃げるようにして早足で立ち去るソウルの背を、見送りながらキッドが首を傾げる。 「最近いつも、ああだな」 「へえ?」 「落ち着きなくそわそわとして、人の話を聞いていないことが多い」 「……ふうん」 それは、いつからなのだろう。今日、あの話をするまでは、彼はいつも通りのソウルだった筈だ。少なくとも、ハーバーにはそう見えた。けれど、キッドの前ではそうではなかった。『最近いつも』、落ち着きをなくしていた―――― 「そういうこと、か」 欠けたピースの最後のひとつが、ハーバーの頭のなかでカチリと音をたててはまった。憶測は、限りなく真実に近しいものであろうという確信があった。 「? どうした」 キッドが不思議そうな眼でハーバーを見た。シャワー後の、乾ききらぬ前髪がひと房、額にぺたりと張り付いている様が、なんだか妙に可愛らしく見える。 (…………とは言ってもね) 整った造作の面立ち、すらりとした姿態。年齢的に未分化で、中性的な部分を留めているところも、なくはない。けれどキッドは、しかしどうあってもやはり、死神様の『一人息子』なのだ。そんなことは、ソウルだって重々承知だろう。 『問題なのは魂だ』という、彼のいつもの口癖も、こうなってはある種の皮肉にさえ聞こえてしまう。一体なにが、彼を倒錯へと誘うのか。キッドの死神としての波長が、魔鎌としてのソウルの魂を搦め捕るのだろうか。 それは友人としてそして同じ魔武器として、学術的探究心と下世話な好奇心と、両方を擽られる興味深い話ではあるのだが。 「いや。…………ソウルも大変だなあと、思ってさ」 なんにせよ、随分と険しい道を選んだものだ。それだけは、間違いない。 友人の前途多難な道のりを思い、未だ何も気付かぬ様子の若き死神に、ハーバーはただ小さく肩を竦めてみせたのだった。 |