たらく死神さま!


03

 それは友情だ、と誰かは言った。
 それは憧憬だ、と誰かが言った。

『そりゃおまえ、恋だな』

 聞くまでもない、といった顔で言いきったあと、にやあっと人の悪い笑みを浮かべ、どこの誰だと煩く詮索してきたのは、パートナーであるリズだった。
「恋…………なのか?」
 経験としていえば、己よりよほど豊富であろう彼女の言葉を、疑うわけではないのだが。
 呟いてみても、やはり実感は沸かない。
 未だに名前を付けかねるこの想いは、一体なんであるのだろうか。鏡に映した己の姿に、問いかけて見ても答えが返ってくる筈もなく。
 鏡越しに見た、ソウルの背中を思い出し、ふうっとキッドは重い溜息をついた。



 友情は勿論感じてはいる。憧憬だと言われれば、そうだろうとも思う。
 この死武専で、共に過ごした時間は長い。戦地で背中を預け合った仲でもある。
 冷静な判断力と洞察力。突き放したような態度の裏に在る、繊細な配慮。黒血にその身を苛まれながらも、己の狂気に飲まれぬ強靭な魂。
 職人とは違った形での、彼の強さを知っている。優秀な魔武器として、得難き友として、ソウルのことは好ましく思うし、尊敬の念を抱いてもいる。
「………………」
 それだけ、ならば。
 纏った死神装束の、胸のあたりをぎゅっと掴む。
 それだけなら、他の友人達へ向ける信頼とそう、変わりはしない。
 親愛、信頼、憧れ、それらの言葉だけでは説明できないものがある。気付いたのはいつだったか。いつから『そう』だったのか。それとも、最初から、だったのだろうか。いくら考えても最早、答えは出ない。彼の姿を自然に目で追い、何気なく交わす言葉に心を乱され、向けられる笑みに息が詰まる。気が付けば、そうなってしまっていた。
 恋なのだと言われれば、そうなのかもしれない、とも思う。いくらでも色を変え得るその曖昧さは少し彼を苛々させたが、経験に基づきそれを正確に判断する、という術を、キッドは持たなかった。

(分かっていることは、あるのだが)
 手の中の文庫本に視線を落とす。
 振り向いて欲しい、と思う。その視線を、独占していたいと思う。
 自らが彼を追うように、あの赤い瞳が、真っ直ぐに自分を捉えたなら。それは幸せなことではなかろうか、と想像することがある。
 友として、ではなく。叶うなら、もっと近くで。
 それを恋情と呼んでいいのか、未だ確信は持てないが。


 そのような思いを、正直に打ち明けた友人は、驚いたように数度瞬きをしたあと、労わるような優しい表情を浮かべた。
『人の心が掴みたい? ……そっか、もう死神様なんだもんね、キッドも。ううん、相談してくれて嬉しかった! 死神様、って大変な立場だろうけどさ、私達で力になれる事があったら、何でも言ってね?』
 友達なんだし、と微笑んだマカの笑顔を、思い出しながらキッドは手元の本をパラパラと捲った。
「……ふむ」
 『誰の』心が掴みたいのか、と聞かれなかったのは、彼女なりの気遣いかもしれない。
 しかし流石に学年主席の優等生と言おうか。分からないことは本で調べるのがいいよという彼女の意見は最もだが、まさか恋愛についての相談で、経営学書を勧められるとは思わなかった。
「中々、興味深い内容ではあったが、……」
 言いながら、軽く首を捻る。
 肝心の、効果のほどは、どうだろうか。
「反応としては……いまひとつ、よく分からなかったな」
 記されていることを全面的に信用するわけではないが、記載の五つの項目が人心を掌握するのだとすれば、満たされていないのは、キッドの挙げた一つだけである筈なのだ。
 性欲、という分かりやすいワードに、多少の動揺を見せた気はした。
 けれどそれは、年齢的にいって当然の反応であり、それ以上のものではない、のかもしれない。
「分からんな……」
 分からないことばかりだ、と思う。
 己の気持ちさえ曖昧であるのに、他者の心を掴もうなどと、愚かしい考えであったろうか。
 ふ、とまたひとつ、ついた吐息が死神の面の内側と、キッドの心を湿らせる。
「……いや。いかんな、俺らしくも無い」
 ぶんぶんと首を振る。まだまだ自分は若輩、知らぬこと、未経験なことの方が多いのだ。
 ならば知ればいい。単純なことではないか、とキッドは顔を上げる。
 またマカに、何か書籍を紹介してもらおうか。何でも相談してと言われはしたが、彼女も学業に忙しい身だ、あまり頻繁に頼る訳にもいかないだろう。
 できればソウル自身から、彼の想う所を聞きたかったのだが。しかし、そう簡単にもいかぬのかもしれない。今の自分と彼とは、ただの友人であった以前とは、大きく異なる立ち位置にあるのだ。
  『死神の立場』について、マカも忠告してくれていた筈だ。たとえ心情的には以前と変わらずとも、上司と部下という関係である以上、無理強いする形になってもいけない、ということだろう。



「…………………………」
 ふと、『性欲』が分かるのかという問いを、無言でもって肯定したソウルの事を思い出す。
 少なくともソウルには、経験があるのだろう。誰かを強く焦がれる想いというものに。恋に悩むことはあっても、そもそも恋とは何なのだか、などと探る必要はないのに違いない。
 何故だろうか、そう考えると何か、面白くないな、と思う。 
「嫉妬、だろうか?」
 己の持たぬものを、所有する他者への、羨望と嫉妬。微妙に納得はいかないながらも、そのように結論づける。

「分からん、な」
 そのような、未知の部分まで含めて。他者を強く希求する想いを、己の中の名前の無い感情を、それを齎すソウルの事を、知りたいのだと思った筈だのに。
 もやもやと霧のように胸を覆うなにかが、キッドの声のトーンを幾分落とす。



 鏡に映る死神の面は、いつもと変わらず平坦な表情をしているというのに。
 その内側で、己の口角は下がる一方であるのを、キッドは自覚して、むう、と唸るように小さく呟いたのだった。