life goes on


01

 余韻を残して静かに消えてゆくアコースティック・ギターの音色に、ぱちぱちというまばらな拍手が重なる。殆どがお義理程度のものであるなか、一際熱の篭もったものを聞き分けて、ステージ上の奏者は怪訝な顔でさして広くもない店内を見渡した。
「……んだよ。来てたのか」
 意外そうな表情で、店内最奥のテーブル席に視線を投げ、ソウルは大股にステージから下りた。
 ギターを手早く仕舞いギグバッグを壁に立て掛け、疲れたような吐息とともに腰を下ろした彼の、目の前にアイスコーヒーのグラスがそっと置かれた。演奏料代わりの、店からのサービスだ。
「いいのか、死神様がこんなトコで油売ってて」
 言いながら、ストローを咥える。余程喉が渇いていたのか。一気に半分程に中身を減らしたトールグラスを見遣って、『死神様』と呼ばれた彼の友人、デス・ザ・キッドはふっと静かな笑みを浮かべた。
 変装のつもりであったのだろうか、屋内だというのに目深にかぶっていた外套のフードを脱ぐ。蝋のように白い頬に次いで、表れた闇色の髪に、走る三本のライン。紛れもなく、彼が人とは異なるものであるということの証だ。
 薄らと白光を放って見えるそれは、照明を落とした仄暗さのなかで、際立って人目を引くものではないか。ソウルはストローを噛んだまま、さりげなく周囲に気を配ったが、彼らが座るのは元々隅の目立たない席だ。演奏も終わりざわつきを取り戻しつつある店内において、彼のその特徴的な風貌を、気に留めるものも特に無いようだった。

 少し安堵して、再びアイスコーヒーを啜る。歌ったわけでもないのに、やけに咽喉が渇いていた。
「明日は晴れ舞台だっつーのに」
「少し、気になることがな。調査を兼ねて巡回を」
「下っ端にやらせとけよ、そんなん……」
 即座に返ってきた言葉に、「そう言うな」とキッドは小さく苦笑する。
「父上もよく、仕事の合間にふらりと街に散歩にでては、デスサイズにどやされていたらしいが」
「あー。『今日の生死神様目撃情報』ってよく噂になってたよな」
「……同じ立場に立ち同じ目線でものを見てはじめて、分かることは多い」
 日々のデスクワークがこうも息の詰まるものだったとはな、と凝ってもいない肩を揉む仕草をしてみせる。要は、息抜きだと言いたいのだろう。

「ここへは、よく来るのか?」
 ちらと店内を見渡し、いい雰囲気の店だなと感想を述べたキッドに、グラスを下げに来た眼鏡の男は軽く会釈し謝意を示した。
「たまにな。……頼まれる時もあるし、」
 今日は、気が向いたからふらりと来ただけだ。そう、キッドに告げて、椅子に深く座り直す。
 或いは、彼もまた自分と同様に。
 昂る気持ちを抑えるための何かが、必要だったのかもしれない、とソウルは思う。
 明日の『晴れ舞台』、即位式でキッドは正式に父の跡を継ぎ、死神様となる。そんな晴れの場で、自分も『特別な』デスサイズとして顔見せをする、らしい。
 打ち合わせにさして時間はかからなかった。あくまで明日の主役はキッドだ。それでも、進行表に記された数行程度の内容のおかげで、多少落ちつかない部分はある。
(クールじゃねェな)
 ずず、とやや行儀悪くアイスコーヒーを飲み干す。グラスの中で、残った氷がからんと涼やかな音をたてた。

「それが、新調したばかりだというギター、か」
「……そうだけど」
 予想外の台詞に目を瞬く。いつそんな事を話しただろうか、と考えるソウルに、キッドは「マカから聞いた」と簡潔に説明して、壁に立て掛けられているギターに目をやった。
「ギブソンL-5だぜ?」
ノックするような仕草で軽く触れ、少しばかり得意げな調子で言ったソウルに視線を戻したキッドの、金色の瞳が猫のように細まる。
「の、レプリカモデルだろう」
「……なんだよ。そこまで聞いてんの」
 情報の出所は勿論マカだろう。つまんねーな、と悪戯を咎められた子供のように口を尖らせたソウルは、「まーそうだよなー」と少し芝居がかった風に、大袈裟に肩を落とし溜息をついた。
「デスサイズス末席如きの給料でぽんと変える代物じゃねェし、な? ……」
「賃上げ交渉の窓口は俺ではない。事務局へ言え」
ソウルの投げて来た含みのある視線を、そんな目で見ても無駄だ、と切って捨てたあと、キッドは「それでも、気にいってはいるんだろう」とギターの事へと話を戻した。
「『後生大事に背負ってったから、きっとあの店』だろうと、マカが」
「聞いて、わざわざ?」
「なんだ。何か不満か」
「いやいや……恐縮でございますよ」
「なかなかの腕前じゃないか?」
「お耳汚しで」
 謙ってみせたものの、褒められて悪い気がするものでもない。満更でもなさそうな顔をするソウルに、「しかし、……」と彼の友人は少し首を傾げて見せた。その視線が、店内奥のある一点に注がれている。

 キッドの視線の先、奏者のない一台のグランドピアノが、さながら影に融けるよう、静かに息を潜めている。
 何を言わんとしているのか、察してソウルの笑みがぎこちなく崩れた。
 蟠りというほどのものは既になく、けれど未だに素直に触れられずにいる、微妙な距離感のそれを。
「あれは、弾かんのか」
 …………一足とびに平気で踏み越え、遠慮なく触れてくるような奴もいる。既にいくらかの名を書き連ねていた脳内リストに、ソウルはもう一人分の名を追記した。
「お前に『空気読む』とかそんな高等スキルを期待した俺が馬鹿だったんだよな?」
「なんの話をしている」
「いーや」
 軽く肩を竦めて見せただけで、それ以上を言うのはやめた。別に禁忌な話題でもない。気になるから聞いた、キッドにとってはただそれだけの話だ。
 ストレートなもの言いは、彼の美徳でもある。いくらかの諦めを含んで、好ましく思える点だと言っていい。
「あっちは、偶ァに借りるだけ、だな。…………コッチ来たばっかの頃に、どーにも弾きたくなる時期があった」
だから、向き合う自分も影響されるのかもしれない。らしくもなく、昔のことなどを話してしまっている訳を、そのようにソウルは理由づけた。
「こちら、とは? 死武専のことか」
 頷いて、それ以来の縁だな、とソウルは薄く笑った。
 演奏の依頼はいつもロハで受ける。今日のよう、弾きたい時にしか弾かない、という我儘を通せる場所であるからというのが主だが、同時に、過去の借りを返す意味でもある。
 少し昔を懐かしむような目をしたソウルに、キッドは怪訝な顔をしてみせた。
「死武専にも、ピアノはあるだろう」
 音楽室に、個人練習室、ダンスルーム。
 指折り数えるキッドの言い分は正論だ。学校、ならば当然と言える。死武専はいくらかのピアノを所有していたし、申請さえすればいつでも、手の届くところにそれはあった。

「……めんどくせんだよ、手続きとか色々」
 言いながら、ソウルはがしがしと銀髪を掻いた。予め用意してあった言い訳の、半分は、嘘だ。
 店内奥のピアノをちらと見遣る。
 サイン一つで済むことを敢えて避け、態々こんな、街外れのカフェバーを選んだ理由。
 家を出て、死武専に赴き、己の立ち向かうべきものを学ぶほどに、確信は強くなった。ピアノに触れればきっと、向き合う事になる。いつから『それ』が『そう』だったのか、それは既に『狂気』と呼べるものであったのか、正確には分からない。けれど、下手をすれば、逃げてきた先でまで居場所を失うのだと、思えばそのような無謀が、軽々しくできよう筈も無かった。


「ま、…………昔の話だな」
 結局は、恐れたのだ。目を背け続けてきた、自身の奥底に渦巻くものを。
 現・死神様を相手に、そこまでを素直に告解する気になれないのは、ささやかな矜恃が邪魔をしたせいか。
 そうしていつも、肝心なことは何も言わずにいる。もはや性分だと、開き直るところも無くはない。
(必要がありゃ、言うさ)
 全て打ち明けることが、即ち信頼なのだとも思わない。それもまた偽りなき本音だ。
 のろのろとした動作で席を立ち、ソウルはギグバッグを背負った。
「帰るのか」
 マスターに軽い会釈だけで挨拶を済ませた、ソウルの後に、続いてキッドも席を立つ。
「お送り致しますよ?」
 キッドの清算を待って、途中までな、とアパートとは逆の方向へ歩きだす。なんとなく、遠回りして帰りたい気分ではあった。

 店を出て、何気なく空を見上げれば、太陽は疾うの昔に地平の向こうへと姿を隠していた。
 陽が落ちてしまえば、辺りは暗い。夜の闇が以前より濃くなったのは、決して気のせいではない。夜空を照らす冴えた月の光はなく、代わりに空にはまるでぽっかりと穴があいたかのような、真黒な球体が浮かんでいる。
 月が黒血に飲まれて久しい。一頻りの騒動もある程度鎮火し、最早見慣れた風景となってしまったそれを見上げる。未だあの中にある、ひとりぼっちの魂を、思ってソウルは微かに目を眇め、上げた視線を自分の足元へと落とした。
 カツ、カツ、と石畳に靴音が反響する。立ち並ぶ街路灯の薄橙色をした光と、夜の気配とが混じりあう、誰の顔も見分けがつかない黄昏時。
「なあ、ソウル」
「ん?」
「ギターは、何故始めた?」
「……」
 不意の問いに、答えに窮する。
 さあな、と流すこともできた。なんとなくだ、と誤魔化してもよかった。これまでならきっと、そう答えていた筈だ。
「…………反抗期だったんだろ」
 どこか感傷的な夜の空気が、そんな言葉を選ばせた。
 何気なく、掌を開く。
 節の高く長い指、短く整えた爪。
(誰だったかに、『何か楽器でもやってるの』、とかなんとか聞かれて――)
 勘のいいものならばひと目で、演奏家の指だと分かる代物を、誤魔化すための言い訳として始めたのが、その始まりだったように思う。
 それも今では趣味の一つとして、ある程度さまになってきた。分からないものだな、と思う。背負ったバッグの重みはつまり、重ねた月日の重みでもある。

 手は『商売道具』だった。演奏家としての指と感性とを、過度に守る必要はもうないのだと。思えばこそ、やんわりと遠ざけられていた色々な事に手を出した。服の趣味を変え、バスケに勤しみ、バイクの免許を取った。それは純粋な憧れから、好奇心のさせるものだと思っていた。
 そうではないのだと今ならば分かる。それは頭に描いた『外の世界』、所謂十代の少年というものを、体現したかっただけだ。
「変われると、思ったのかもな」
 これまでの自分を捨てて。
 新しい何かになれる。
 そんなことを、心から信じたわけでもない。けれどそうとでも思いこまなければ、未来に逃げることさえ許されないのなら、一体何に縋ればいいのか。
 神のお膝元にありながら、素直に神に縋れるほどの信仰心も持ち合わせてはいなかった。反抗期とはよく言ったものだ、と直前の自らの言葉を思い、ソウルはこそりと自嘲した。


「ギターは、減衰楽器だったろう」
「ん……ああ」
 会話の流れを切るような、キッドの唐突な言葉に戸惑いつつも、ソウルは頷いた。
 楽器の発音機構には、大別して二種類ある。エネルギーの供給によって音が持続する自励振動楽器、そして打った瞬間から音が消え始め、弱まっていく減衰振動楽器。
「だからなのか、と、思ったんだ」
 ピアノと同じでな、と言ったキッドに、一瞬言葉に詰まる。
 同じ鍵盤楽器でも、ピアノとオルガンが異なるのと同じに、弦楽器同志その音楽的特性が異なるものも、勿論ある。
 なるほどな、と。
 そういう見方もあったかと、ある意味感心した。
 ウェスと『同じ』弦楽器。ヴァイオリンとは『違う』減衰楽器。
 兄の存在に固執し、されどその影から抜け出そうと足掻く無意識が選ばせたかのようなギター。
 黙りこむソウルに、気付かなかったようキッドは続けた。
「演奏を、聴きながら考えていた。…………減衰、つまり一度弾いた音が、次第に弱まり消えていく。その様はまるで、人の生のありかたに重なるようだな、と」
「……随分と、大層な話じゃね?」
「大層なものか。言うだろう、『音楽とは芸術の中でもっとも深遠なものであり、人生へのもっとも奥深い洞察である』、と。……俺は観賞する側としてもそこまでの、深い知識があるわけではないが」
 それでも、美しいものに対し何も思わずに居られるほど、鈍感ではないつもりだ、と。
 言いながらキッドは、視線を上げた。頭上には、さざめく星を携えた黒い月。
 無言の数秒が、ふと不安になる。星の配置がアシンメトリーだなどと、言い出すのではあるまいか。
 そんなソウルの考えを、読んだようにキッドは口を開いた。
「無数の恒星が互いの重力で引かれ合って集まり、共通の中心を周る銀河を形成する。――気が遠くなるほど離れていたとしても。星は、バラバラなのではない」
 言って、また口を噤む。月明かりなく濃い闇の覆う夜空に、散る星を辿るようじっと見詰める。

 空に浮かぶ月は依然と黒い。けれど、それを見上げる彼の瞳は、黒血を纏う以前の月のよう、澄んだ金色をしている。
 何を言わんとしているのか、問うより前に、キッドは言葉を続ける。それは会話への意志ではなく、独白であるかのようにも聞こえた。
「一つでは弱い光だ。闇を祓うことはできずとも、無数に集まればそれは、人を導く灯りとなる。……有限の命、限界のある個々を繋ぎ合わせてより大きな力を描き、重ねることでより美しい魂の音色を紡ぐ。それがお前の音楽であり、お前のピアノであり、即ちお前の変えられぬ魂の在り方なのだろう」
 視線を下ろしたキッドと、目が合う。
「ピアノと、ギター。どちらも、ただ一つの音は儚い。けれど、いくつもの音を重ね、繋ぐことで美しい音色を作り出す楽器だ」
「……、」
「だからお前の無意識が、それを選ばせた。…………どうだ?」
 ソウル自ら導き出したものとは、何かが微妙に異なる結論を口にして。けれど確信を持った表情で、ふふん、と勝ち誇ったようにキッドは笑う。
「そう簡単に変われるものか」
 戯けが、と罵倒する言葉の調子はしかし明るく、弾むように軽い。まるで、何もかもを見透かして、尚且つそれを楽しんでいるような表情だった。


 短い沈黙が落ちた。褒めすぎじゃねェの、と茶化して返すにはあまりにも、キッドの瞳は真っ直ぐに過ぎた。まるで、彼自身の無垢を証明するかのように。その視線の前に立ち続けることに、ある種の居心地の悪さというか、面映ゆささえ感じるほどに。
「ああ……っと……」
 本質を紐解かれることの照れと困惑とが、邪魔をして言葉に迷う。自身でさえ気付かぬ源流が、確かにそこにあるのだろうと素直に思わせる彼の言葉に、笑い出したいような、泣きたいような、何とも言い難い感情が胸に満ちる。
「俺は、好きだぞ」
 だめ押しのようにキッドは言う。
「異なる拍動と異なる音色とを、美しく調和させるお前の音が。俺は、好きだと思う」
「……二回言わなくていいから!」
 擽ったい思いはそのまま顔に出ているかもしれない。そんな心情を、夜の帳が隠していてくれたらと祈りながら、「サンキュ」とだけ言って、ソウルは曖昧に頬を緩めた。
「………………あの月にも、きっと届く。お前の魂が、変わらぬものであるならば」
「そう、だな」
 そう信じたい、という思いを込め頷けば、瞳に月光を宿した死神は、「自信を持て。なにせお前は、」と薄く笑みを浮かべてみせた。
「ラストデスサイズ・ソウル”イーター”エヴァンス、だろう」
「……長ェよ」
 紡がれた名に、苦笑交じりに肩を竦める。
 それは明日、正式に発表される筈の肩書。
 これまでの全てを、引き摺って生きてやるのだという誓いの名。
(Deathscythe、か)
 漸く肩に馴染んできたはずの称号は、『最後の』という形容詞が加わって、さらに重みを増した気がした。
 そんなことを、考えながらふと、隣を歩く友人の横顔を見詰める。
 死神、から『死神様』へ。つけ加わった一文字は、自らの肩書などより余程重い。
 独りで背負うにはあまりにも大きなその責務。
 “死神の鎌”の名にかけて、主の征かんとする道もまた、背負ってやれはしないものだろうか、――僅かばかりであっても。
 複雑な思いをその顔に浮かべたソウルに「なんだ?」とキッドは軽く首を傾げてみせた。
「いや、……そういやさ。調査、って結局なんだったワケよ」
「! そうだったな。俺としたことが、うっかりしていた。丁度いい、聞いてくれ。月と狂気についての調査だったのだが……」
「狂気?」
 取り敢えずの感で継いだ話が、何やら不穏な臭いを漂わせる。
 狂気、という言葉に眉を顰め、一瞬顔を引き締めたソウルではあったのだが。







「――…………というわけで、現状、乳派が尻派よりも50%も増加傾向にあり……、……なんだ? そのやる気の無い顔は」
 キッドの熱弁を聞くにつれ、その真剣な表情は次第に、疑問を孕んだものとなり、そしてもはや、隠しきれない呆れを滲ませるものとなった。
「デスサイズとしての決意とか、考えなかった事にしてーなァって思ってるとこ」
「何を言っとる。いいからこれを見ろ!」
 記号だかなんだかわからない、三重丸のようなものが二つ、大きく記された紙を鼻先に突きつけられる。
 いや、分かっている。乳だの尻だの、キッドは面白半分や興味本位でそんな調査を行う奴ではない。真剣なのだ、いつも。
 眉間に寄った皺を、必死に伸ばしながら考える。
 それは世を統べる死神、秩序の体現者としての責務だ。たとえどれだけ滑稽に見えようと、彼はいつだって真摯だった。
 再び狂気が世界を汚染するようなことが、あってはならない。だから綿密な調査を行っている。そう、あの黒い月から発せられる、『おっぱいの狂気』とやらの、…………



「……どうした、ソウル。いきなりしゃがみこんだりして」
「さっきのお前の言葉に、ちょこっとでも心打たれた自分の浅はかさを呪ってるとこ」
「?」