01 「休日も自主練とは、感心なことだと思うが」 言いながら、死武専の養護教諭、ミーラ・ナイグス女史が大きく溜息をつく。 あまり私の仕事を増やしてくれるな。 そんな台詞も、最早聞き慣れたものだ。顔にミイラの如くぐるぐると巻いた包帯の隙間から、かろうじて見えるスモークブルーの瞳に、呆れと諦めはあれど険呑さはなかった。 はあスンマセン、と定型句を返したソウルの、塞がっている両手に配慮して、そのジャージのポケットに、ナイグスはくるりと丸めた保健室利用票を差し込む。 「……キッドの名前を、予め刷っといたほうがいいかもしれないな?」 「そっすね……ハハ」 やや棘のある冗談に、頬を引きつらせ乾いた笑いで返す。 「書いたら机の上に、置いておいてくれ」 「へーい」 離席するというナイグスを見送り、そのまま窓側の、定位置となった感のあるベッドに注意深く背に負ったもの、キッドを下ろしてソウルは仕切りカーテンを閉めた。 「……はァ…………」 靴を脱がせてジャージの上着をハンガーに掛け、シーツを胸まで掛けてやってから、やっと一息ついたといった風で息を吐き、いやしかし手慣れたものだと我がことながら苦笑する。 「ったく、……何回めだ?」 口には出してみたが実際数える気にはなれなかった。ソウルがこうして、意識を失ったキッドを保健室まで運んでやるのは、これが初めてというわけでもない。 やれ正面玄関のツノが折れただの、額縁が傾いていただのと何かにつけては癇癪を起こし、挙句スイッチが切れてしまったかのよう失神する。そんな事を、入学以来もう何度も繰り返してきたキッドだ。リズが、パティが、或いはブラック☆スターが、その度にこの保健室まで、背負って運んでやっていた。 「今日は……なんだっけ? …………テーピングの左右のバランスがどうとか?」 保健室利用票を、適当に書き終えぐっと伸びをすると、ぎしり、と掛けたパイプ椅子が軋んだ悲鳴をあげた。 まあなんにせよ、どうでもいいことだ。 そんなてんやわんやも最早瑣末事として、死武専の日常風景の一つと言ってもいいほどに馴染んでしまっている。 「…………ふぁ」 小さく欠伸をする。朝が早かった分、少し眠い。 帰ってシャワーを浴びて、遅い朝食を取ったら昼まで一寝入りするか。昨日のミネストローネが残ってたなとぼんやり考えながら、あとは、と冷蔵庫の中身を思い浮かべる。イタリアンサラミ、レタス、トマト。行きつけの、裏通りのベーカリーでバゲットを買って、簡単なサンドイッチでも作ればいい、などと。 「……んでも、置いて帰ンのもな……」 思いながら、眠りの淵にあるキッドをちらと見遣った、そのタイミングで。 「……ン…………」 キッドの唇から漏れ出た声に、音が聞こえそうな勢いで心臓が跳ねた。 反射的に体が強張り、息をすることすら忘れてキッドをじっと凝視する。 閉じた瞼を震わせ、小さく身動いだキッドは、しかし目を覚ますでもなく。 一秒、 二秒、 三秒、 ……八秒ほどの短い時間が永遠にも感じられた。再び静かになった室内で、キッドが完全に眠りに落ちている事を確認し、やっと息詰まるほどの緊張が、解けるのが分る。 (…………何、ビビってんだ……ったく) はああ、と魂まで抜け出そうなほど、大きく息を吐き、脱力する。 ほんの微かな、寝言とも寝息とも言えないような音に、常にはない情感を感じ取ってしまうのも。 それ故に生じる脅えにも似た緊張の理由も、心当たりはひとつしかない。ここ数日ソウルを悩ませていた、『妙な夢』だ。 脳裡をよぎるのは、白い肌。薄い胸。誘うように開かれた赤い唇。 艶やかな微笑み。絡めた手。触れた肌の温もり。 『あ…………っ、……ソ、…………ル、』 「――――〜〜〜〜〜!!」 今は聞こえる筈もない音声までもが克明に再現されて、ぶんぶんぶん、とソウルは必死に頭を振った。 考えないようにしてきたのだ。このところ、ずっと。 あくまで夢の話。 それは酷く不可解で、理不尽で、――――生々しく性的な要素さえ持った夢。 それ自体は、よくある話だ。 健全な精神と健全な肉体を持つ青少年ならば、日常茶飯事だと言っていいのだが。 (普通なら、な) またひとつ溜息をつく。 その欲望の対象が、身近な女子やグラビアアイドルだというのならば、なんら珍しくもない。 ただ一つにして最大の問題。度々夢に忍び込み、ソウルを悩ましげに誘惑する相手。 それはあろうことか、今自分の目の前で安らかな眠りについている、キッドその人だ、ということだ。 |