cry for the moon


02

 夢は当人の、無意識化の欲望を表すものだなどと、一般的には言われるが。
「…………いやいやいや」
 囃したてるキリクと、ハーバーの呪いにも似た助言とが思い出され、あり得ねェわと呟いて、がくりと項垂れる。
 意味がわからない。
 何かの間違いだと、そう思わざるを得ない。相手はただの友人、しかも同性だ。それ以上ではありえない筈の存在が、あんな。
 必死でなかった事にしようと努め、日を重ねようやく薄れてきた筈の記憶を、再び振り払うように軽く頭を振る。組んだ足に肘をつき、ソウルはふうっと気怠げに吐息を零した。

(まさか、気付かれてたりとか、…………ないよな)

 高い魂感知能力を持つ者は、魂自体の性質だけでなく、保持者の精神の揺らぎさえ見透かすのだと言う。
 まともに顔を合わせ辛くて、受け答えが空転しがちなソウルに対し、キッド当人は、何事かを不審に思うようではあった。
 左右対称への執拗な拘りはいつものことだが、ここ最近輪をかけて神経質に思えたのはもしかすると、そのあたりに苛立ちを覚えてのことだろうかと。
 そう思えば、今回の癇癪の爆発にも、多少責任を感じないでもない。
「まァでも……」
 どうしようもないわ、と銀髪をガシガシと掻く。
 接触を避ける、という最も簡単に思える選択肢を敢えて排除した。顔を見せないと次の日会った時キッドが煩いから、という消極的な理由とあとは、そうすることで逆に意識してしまうのも癪に障ったからだ。ニューロンと記憶貯蔵庫とが勝手に作りだした荒唐無稽な『無意識の欲求』とやらを、後ろめたく思うことで真実にしてしまいたくない。そんな意地のようなものもあった。

 意識に上らぬよう努めさえすれば、なんとかはなる。時間が解決するのを待つより、他に思いつきもしなかった。
(ありがたいとは、思ってんだけどな)
 なんとなく習慣化した休日の自主練も、割合続いている方だと思う。多少面倒だった毎朝の階段の上り下りが、以前より確かに楽になっているあたり、基礎体力の向上は確実になされているのだろう。
 無茶なメニューを押し付けようとするキッドと、鬼ごっこ紛いの事をした最初のあの日の事がふと思い出されて。
くく、と一人小さく苦笑しながら、こうしてキッドを背負い保健室まで運んで来てやる事さえ、トレーニングの一環になっていると言えなくもないな、などと考える。
(暢気な顔してら……)
 人の気も知らずに、なんてことをと思ってしまうのは、手前勝手な言い分だとわかっているのだが。
 なんとなく、ちょっかいを掛けたくなる。

 ふに。

 人指し指が柔らかく頬に沈む。
 本人は相変わらず、夢の中だ。反応がないのは面白くないが、普段あまり触れることのないその柔らかさがなんとなく癖になって、ふにふにと幾度かつついてみる。
 毒物を跳ね返し、日にすら焼けないと聞く『死神のお肌』は触れば常人と同じに柔らかいし、刃を当てれば血が流れるということを既に、知っている。キッドとの付き合いは決して、短いものではない。
 転入生。職人。性格が『少しばかり』個性的なクラスメイト。同じチームの、仲間。
 自分から見たキッドとの関係性を、二人の間を繋ぐ単語をいくつか並べてみるが、どれも月並みなものばかりだ。親しい友人、それ以上のものでは決してなく、間違っても邪な感情などが、そこに存在する筈はないのだが。

「……そういや、も一個あるな」
 死神。
 彼を最も端的に、かつラディカルに表す言葉。
 不思議に思う。何故それを、最後に持ってきたのだろうかと。最後まで意識に、上らせなかったのだろうかと。
(刃を当てれば、――血が)
 当然のように流した思考に引き戻される。血が出るなら殺せるはずだ、とはいつか見た映画のセリフだった気がするが。果たしてそれは彼にも、適用されるものだろうか?
 頬をつついていた手が止まる。
『生と死を司る神』に、自分達と同様の生死の概念があるものだろうか。ふとそんな疑問を抱く。


 キッドは目を覚まさない。
 呼吸音も聞こえない。
 沈黙の渇きの中、いつしか口内に溜まっていた唾を飲む音がやけに大きく響いた気がした。カーテンに四角く切り取られた空間は、気付けば完全な無音だった。
 流れる時の感覚さえ、随分と希薄になっている。
 彼は確かに、そこに存在しているというのに。
 ひそやかで清澄。静寂に溶けるかのような儚さ。


――――真昼の月。


 それは不意に、脳裏に過ぎったイメージだ。
 こうして無防備に眠りに落ち、一見人の子となんら変わらぬように見えるキッドが。その華奢で頼りない存在感が、真昼の空に遠く浮かぶ月と重なる。
 今にも空の青に溶けてしまいそうに淡く、白い、痩せた昼の月。

(俺らと同じ、じゃないんだよな――――)
 だのに、人と同じ姿をして。まるで当たり前のように、いつでも側にいて。
 そう考えた途端、心のどこかがぞわりとする。
 あの月と同じに。
 薄雲のなかにひっそりと紛れこみ、いまはじっと気配を殺しているそれ。生という光の裏側に出来る影。一目ではそうと分からぬ異質、いずれ誰しもが還る無機質。
(死と、生…………か……)
 だから、惹きつけられるのか。深淵を覗きこむ己を、見返してくる『向こう側』に。
 ふら、と、まるで吸い寄せられるように、顔を近付ける。鼻孔を擽るのは、乾いた滅びの匂いか、胸をつく死の匂いか。
 それとも、確かな生の温かさなのか。
 それは次第に、己の肌に感じとれるほどに、近づいて――――