03 「! ……」 ――――直後、ごつんと鈍い音が頭蓋に響いた。 「痛、……ぅ、…………ん、…………?」 ソウルが強かにぶつけた額を抑えて俯いたのと、呻き声とともにキッドが瞼を持ち上げたのは、ほぼ同時だった。 焦点のぼやけた瞳を眩しげに細めたあと、視線だけをぐるりと周囲に巡らせたキッドは、身は起こさぬまま呟くように言った。 「…………保健室、か?」 「…………」 答えずとも、自分が何故ここにいるかは、理解したらしかった。のろのろとした動作で前髪を掻き上げた後、軽く額をさすったキッドに、ソウルは慌てて面を上げ、なんでもないような表情を作った。自分がキッドと同じポーズで呻いていた理由を、追及されると正直、困る。 「頭が痛い」 「…………そりゃお前…………ぶつけたからだろ……」 今まさに。 などとも言えずに、口籠る。蝋の如き白い肌と薄い紅色の唇。それが直前に映った視界のすべてだった。 あのままキッドが寝返りをうたなければ、――――もしかしたら。 「た、倒れた時にな」 接触していたのは、額ではなかったかもしれない。意識した途端、頬に熱が上る。 一体何を考えてたんだか。 危なかった、と思う意識の裏で、ほんの僅か、それを残念に思っている自分がいるのが分かる。相変わらず無意識の動きは不可解で、でもあまり深くは考えたくなくて。 軽く咳ばらいをして誤魔化したソウルを、金の瞳は疑問を称えて見返してくる。 「そうだったか?」 視線から、逃れるように眼を逸らす。僅かの間があって、そうか、とキッドは一応の納得をみせた。 「世話をかけたな」 「や…………別に。いつものことだろ」 何の気無しに口にした言葉に、キッドは二、三度瞬きをして、黙る。ややあって、「そうだな」と小さく呟き、見上げる視線は、何事かを安堵したかのように、ふと和らいだ。 「……。んだよ」 「いや」 なんでもない、と言って、胸元で蟠っていたシーツを再び肩まで引き上げる。 「? 起きねーの?」 「少し……ねる」 「おい」 「…………」 らしくなく、酷く眠たげな語尾はやがて、すうすうと穏やかな寝息に変わる。 「……おーい?」 答えるのは、規則的な呼吸音。 呆れ混じりの溜息を吐いて、キッドの寝顔をまじまじと見詰める。 「………………調子狂うよなァ」 静かではあるが、間仕切りカーテンの内側には、先程までの静謐な、張り詰めたような緊張感はない。 蒼褪めてさえ見えたキッドの頬は、光の加減のせいだろうか、いまは健康的な薔薇色をしていた。 幼児のような、無垢で無防備な寝顔。 つい先刻感じた、畏れにも似た底知れぬ不安はなんだったのか。生と死、対照的かつ同期的でもあるそれを、司るものだとも到底思えない、稚さがそこにある。 額にかかる前髪を、掻き分けそっと触れてみる。瞼の下に感じる、眼球の微細な動き。体温はいくらか低く、けれど確かに伝わる温もりがある。 「……生きてる」 ごく当たり前のことを、口に出して呟いてみる。 そうでなければ、信じられないからか。こんなに側にいても、こうして触れていても。感じるまやかしめいた印象が、拭えないからか。 (馬鹿馬鹿しいな) 指先を離す。何事もなく、キッドはそこにいる。 神性を、宿せばこその二面性であろうかと。思うことさえいつしか、日々の些末事のなかで忘れられてしまう。不可思議を、けれどそうと知りながら受け入れている。 それが、魔武器としての本能と呼べるものなのだろうか。何か危ういものを信じる類の人間ではない自分の、そんな変化がなによりわからないと、ソウルはぼんやり思った。 閉ざしたカーテンを通して射しこむ陽光が、時の移ろいを告げていた。 腹が減ったな、と思う。学食は開いているだろうが、休日は選べるメニューが少ないうえに、何より今日は持ち合わせが心もとない。 「持ってくっかね……、次から」 簡単なブランチメニュー、それこそサンドイッチ程度のものなら。 などと思いながら、ちらとキッドを見遣る。 (……食うかな) キッドが偏食をするという話は、聞いたことがない。持参すれば、手はつけるのではないだろうか。 その方が経済的だし。 食事を理由に、適度な休憩も挟めるし。 世話になっていると、言えなくもないわけだし。 (一人分作んのも二人分作んのも、そう変わらねーし) 様々の理由付けをしつつそんなことを、考えてしまう自らの甲斐甲斐しさにも気付かぬままソウルはまた一つ、小さく欠伸をしたのだった。 |