Happy Birthday


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(『分からない』? ……、)

 それがどういう意味なのか、という事を、先ほどと同様に問い返すことはできなかった。
 自らの軽率を警戒した訳ではない。
 曖昧を好まぬはずの彼が、敢えてそのような表現を選ぶ意味。そこに、複雑な意図などないのだと――つまりそれは、『存在しないものは、認識することができない』という単純明快な回答に過ぎないのだと。
 それは直感、と呼んでもいい何かだ。
 人の子と同じに、肉を得たその瞬間を便宜的に『誕生』と称したとて、きっとそれは正しくはない。神というものの存在に、起源などありはしないのだから。
 周囲の陽気から切り離されたかのように、底冷えのする怖気が、ソウルの背を撫で上げる。
 つまりは、そういうことだ。
 子、と名付けられながら、父と一体なるもの。
 あれは、そういうものだ。
 自分たちとは、根源的に類を異にするものであるのだ、と。
 認識することを、無意識が拒む。真実の一端に、触れながらけれどそれを知ってしまうことを、恐れてさえいる。そこにある本質の差異を、彼我の隔絶を、決して埋め得ぬ必然を――





「――……? ソウルってば」
 我に返った、という表現が一番近いかもしれない。聞いてる? とやや怪訝な色をしたパティの声を耳が認識し、僅か数秒ではあるが、意識をどこか別の場所へと飛ばしていたらしいことに漸く気付く。
「自分で振っといて。ボーっとしてんなよな」
「ん、……あ、悪ィ。なんだっけ」
 不愉快なだるさが頭の後ろ側に残っていた。
 なにかひどく、気分の悪い考えに囚われていたような気がして、知らず握りしめられていた手を緩める。指の間にひやりと空気の流れを感じとり、ソウルは自分の掌が少し汗ばんでいることを知った。
(――……なんだっけ、)
 刹那の緊張に、強張った意識を解すよう、深く息を吸う。言葉にもならない思考はいつしか霧散していた。その切れ端を、辿ることを諦めて、気持ちのスイッチを切り替えるようソウルはゆっくりと息を吐き、顔を上げる。
 半歩先を歩くパティがやや視線を上げ、「だからさ」と空を見上げるようにして呟いたのはほぼ同時だった。
「おんなじだね、って。わたしたちと」

 続けられた言葉の意外性に、一瞬足を止めたソウルを、パティがちらと振りかえった。かと思うと、くるりとターンし、器用にもそのまま後ろ向きに歩きながら、ニッと破顔する。
「ほらキッドくんもさ、好きじゃん? そろいとかー、つがいとかー、そういうの。だから、わかんないモン同士おそろいだよねーっ、てさ! ……したらなんか、おねーちゃんの方がみょ〜にウルウルしちゃって『よし、じゃあ、今日をお揃い記念日にしような!』……なんつって盛り上がっちってさ」
 言いながら、ホント浸っちゃっうよねぇ、と軽く舌を出してみせる。
「……キッドくんもさ。好きにしろ、とか言いながら割と嬉しそうにしてるし、なーんとなくそれから。毎年、ご馳走用意してさ」
 キッドの事を話しだすと、声のトーンがほんの少し上がるのが分かる。いつでも誰に対しても奔放な彼女が、しかし主の事を話すときは格別に、幼い顔を覗かせている。
 その横顔にかかる明るい色の金髪が、陽光を集めたように輝いて見えて、ソウルは微かに目を眇めた。
「……へェ。なんかイイな、……そーいうの」
「ん? もしかして、ソウルも浸っちゃう派とか?」
「違ェよ、…………ただ」
 感傷的な表現を選んでしまいそうな気がして。
 言葉を切り、少し考えた後、やがてソウルは口元を笑みの形に引きあげた。
「……そういうちんまりしたのが、キッドには向いてんのかなって思っただけ」
「ああ!……言えてる!」
 ちまちましてるもんねぇ、とあどけなく笑う。無垢な子供のように純粋な瞳には、理解をすり抜ける異質を、あるがままに受け入れようとする寛容がある。
 最初から、そうあった訳では勿論、ないのだろう。時に眩しささえ覚えるそれは、姉妹に、そして彼女らの主であるキッドにも通ずるものだ。異質と知り、それでも交わり受容することで互いを、そして自らを変えゆくような。そんな魂の強さがさせるものかもしれない――と。
 そんなことを考えながら、ソウルは先程彼女がカフェの前で立ち尽くしていた訳を、やっと理解した。
「……そっか、それでデスバ?」
「そーそー。あそこのケーキ、シンプルなのばっかだけど美味しいんだよねぇ! しっとりふわっふわのスポンジに濃厚生クリーム、……」
 今にも涎を垂らしそうな、だらしのない顔をして言ったパティが、ふと口元の緩みをおさめ、「でも」と意味ありげな目つきでソウルをじっと見つめる。
「予約しそこねちゃったし?」
「ああ……、」
「今年は別のでもいいかなぁ〜」
「…………はァ」
「手作りとかネ!」
 要望は、もはや言外に滲ませるというレベルを超えている。彼女の言わんとするところを察して、ソウルはやや渋面を作った。
 過去に一度二度、マカの依頼でなんとなく手を出した菓子作りの所為だと分かっている。出来具合は思いのほか好評だったし、作業が苦になるわけでもないのだが。『特技:製菓』という肩書は、およそ彼の思い描くクールとはほど遠くもある。
 できれば勘弁してほしい、という本音を抱えつつ、ついと目を逸らしてはみるが、刺さる視線は明らかに期待を込められたものだ。そ知らぬふりで受け流すべきか、しばらく迷って結局、「……へいへい」と了承しソウルは溜息に似た笑いを漏らした。パティの要望はつまり彼らの『特別』への参加の許可、少し強引な招待の言葉でもあったから。
「けど、……いいのか?」
「いいじゃん。多い方が楽しいよ、きっと。他の皆も、いっぱい呼んでさ。ケーキだって、ホール二つか三つ用意してー」
「……。作る方の手間とか、一切考えてないよな」
「わぁー。楽しみだー!」
 手を叩いてはしゃぎ、じゃあ追加分の料理は椿ちんにー、とパーティープランの変更を練り始めたパティには、もはや自分の訴えなど聞こえてはいまい。そう確信し、やれやれとソウルは小さく肩を竦めた。

「キッドくんにはさ、ナイショにしとこーぜー。ぜーったい、ビックリするから。サプライズサプライズ」
「まぁ……驚きはするだろうなァ。だってあいつまた、完璧なプロデュースがどうとか……、」
 二人は顔を見合わせ、そして同時に思い描く。
「言うよね絶対! 『なっ何故人数が、しかもこんなに増えているんだ?! そういう話は事前にしておかんか、予定が狂うだろう! あああもう、計画が、メチャクチャじゃないかっ!!』……ってさ!」
「……ブハッ」
 身振り手振りに顔真似まで加えた、パティの物真似にソウルは思わず噴き出した。
 自らのプランの崩壊を、嘆くであろうキッドが容易に想像されて、ふたりして腹を抱えて笑いながら。けれど彼の『完璧なプラン』を覆すそれはきっと、素敵なパーティーになるに違いない、と思う。



(誕生日がわりなんだよなァー……)
 ならば、プレゼントが必要かもしれない。狂ってしまった計画について、落ち込むであろうキッドを宥めるためには、ケーキだけでは不十分かもしれないから。
 さて何がいいかねと思い巡らせながら、予定を一つ書き加えてソウルは、どこか浮き足立つ気持ちで手帳を閉じた。




[end.]