KISS ME BABY


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 好きな音楽をかけて、それぞれ好きなように過ごす。それは、なんてことのない時間だった。

「…………」
「……」
 先程まで部屋に流れていた曲が途切れ、針は音盤内周の無音部分にかかっている。読んでいた雑誌を脇に置き、身体はだらりとベッドに横たえたままでソウルは首だけをプレイヤーの方へ向けた。
 盤を変えるか、どうしようか、少し考えて身を起こし、その視線を自分の足元の方に投げる。定員一名の筈のシングルベッドの上には、もう一人分の人影がある。

 ボツッ、っという音を残してレコードから針が上がった。
 先程からずっと、特に会話もないままだ。窓を背にして伸ばした足を軽く組み、ソウルのベッドでくつろいでいるキッドは、その視線をぼんやりと虚空へ漂わせていた。丁度日の当たりの良い、ブレアがよく日向ぼっこをしている場所だ。窓から射し込む陽の温もりに、身を預けているようにも見える。

 別に音楽の趣味が近いと言う訳ではない。というか、お気に入りのアーティストがいるという話も聞かない。つまり普段から、キッドと音楽の話をすることはまるでないのだ。
 それでもこんなふうに音を媒介にして、無言の時間を共有していることの不思議を思う。付き合い始めの頃のよう、沈黙を息苦しく感じることもあまり無くなった。彼がクラスメイトでありチームメイトでもあるところの、死神の一人息子デス・ザ・キッドとこうして二人で過ごすことを「ありふれた休日」だと思うようになったのは、彼らを括る関係性が「恋人」と呼べるものに変化してからだ。

(――……のワリには、らしい事もたいしてしてねェけど)
 長閑な昼下がりの陽光を浴びて、滑らかな黒髪と白い肌との明暗の境界が、淡くぼやけて見えた。斜めに伏せられた瞳は少し眠たげな色をしているようにも思える。自然に薄く開いた唇が、彼が緊張を解きリラックスした状態でそこに在ることを示していた。
 キスがしたいな、とふと思う。
 数えるほどしかした事のない、『恋人らしい事』だ。そう意識すると、先程までの解れていた気分が途端に、落ちつきを失いそわそわとし始めるのが分かった。
「……なんだ?」
「ん? いや。…………コッチ向かねーかなァーと思って」
 視線に気付き怪訝な顔をしたキッドに、誤魔化すようにニッと笑いかけて、ソウルは彼の元へとにじり寄る。
「あのさ」
 呼びかけに応えて片方の眉を軽く上げたキッドの、横に陣取り、同じようにして窓を背に壁に凭れた。
 手のひらひとつぶん、そのささやかでもどかしい、近くて遠い距離。
 埋めるための術は、知っている。
「キスしていい?」
 できるだけさらりと言おうと努めた。恐らく成功したと思える。声は無理に絞り出したかのよう掠れてはいなかったし、目線が揺らぐこともなかった、筈だ。まるでなんでもない事であるかのように、言ってキッドの様子を伺う。無言のまま、ぱち、ぱち、とゆっくり二度瞬きをしたあとキッドは、
「か、……まわない、が」
 やっとそれだけを言った、声は少しうわずっていた。少し遅れて、白皙の頬に微かに血の色が上る。

 ささやかではあるが、しかしそこに顕れた変化にほんの少しだけ、安堵を覚える。それは互いの共通認識に対してのものでもある。唇を触れ合わせるという行為が特別な意味を、ただ単純な皮膚の接触という以上の重さを、確かに持っているのだと。
「――……、」
 そんな事を、つらつらと考えている自分に気付いて、ソウルの唇からは溜息の様な笑みがこぼれた。
「……? どうした」
「あー……うん。いや、……顔、赤いなと」
 言いながら、指の背でキッドの頬を撫でる。分かっている。いま集中すべきは、考えるより、感じることだ。
 軽く触れただけで、肌の表面が僅かに緊張した。交わる視線と、混じる吐息が熱を持つ。瞬きの音さえ、聞こえそうな距離からさらに顔を近づける。目を凝らせば、その瞳に映りこむ自分が見えるような気がする。それだけ、金色の瞳はいつもより少し大きめに見開かれている――――



「………………あの」
「?」
 近過ぎる距離で、瞬きをされると長い睫毛が肌を掠めそうな気がしてなにか擽ったい。沈黙を破ったソウルは、一旦顔を離して少し困惑した顔で恋人を見据えた。
「なんで目、閉じねェの?」
「目……?」
 一瞬、首を傾げたキッドが、ああ、と何かを思い出したような顔をした。キスをする時には目を閉じるものなのだ、という事を、彼が知ったのは最近の事だ。
(つうか、俺が教えたんだけども)
 机上で学べる大概の事を学び尽しているであろうキッドに、教えてやれることがあるというのは何か妙な気分だった。僅かばかりの優越感とともに、あまりにも初心に過ぎる恋人への不安が芽生えたのを覚えている。たかだかキスひとつでこのザマならと、どうしても思わずにはいられない。

 いやまあその先がどうとか考えるにゃまだ早いけどもだな、などと思考を空転させ一人赤面するソウルの傍らで、キッドは右手を顎のあたりに添え、何かを考え込むような仕草をする。
「少し、気にかかることが」
「? なんだよ」
「…………いつもお前からだな、と思ったのでな」
「へ? ……ああ……そーだっけ」
 僅かな躊躇いがあって。
 それまでやや俯き加減であったキッドが、顔をあげソウルをじっと見詰める。
 ふと予感がした。
 なんとなく、面倒なことを言いだしそうな、気配がすると思ったのはこれまでの学習の成果ではあるが。
「……いかんな」
 ――しかし、残念ながらその対処法については、未だ正解を見出せないでいるのも事実で。



「それではバランスが取れないのでは、ないだろうか?」