KISS ME BABY


02

(――……うーん)
 数分後。
 ソウルは自分のベッドに身を横たえ、天井を背にした恋人を見上げていた。
 傍から見れば押し倒されているようにも見えるその体勢には、そうではなく別の訳がある。ならば今日は俺が、というキッドの主張に頷いてはみたもの、鼻が一回、額が二回の接触事故をおこした挙句、狙いが定めやすいだろうからという微妙な理由でこの体勢になったに過ぎなかった。
 アオリの構図が新鮮だなと、キッドを見上げ呑気な感想を抱く。少し緊張した面持ちの、キッドが身を屈める。安物のシングルベッドが微かに軋む音がした。
(近くで見ると)
 こんな距離で見つめ合うこともそうないな、と何か他人事のように考える。黒く艶めいた髪がさらりと流れ、清潔な香りがソウルの鼻孔を擽る。高いシャンプー使ってんだろなととりとめのない事を考え、その髪に触れたくなったが、肩を押さえられているため思うように手が上げられない。
(……マジで白いんだなァ)
 主に女生徒に、羨まれるキッドの「日焼け知らずの死神のお肌」だが、間近でみるとその肌理の細かさと滑らかさに改めて驚く。生まれてから一度も日の光を浴びた事がないかのような、まさに透き通るような白い肌。今はその頬が、血を透かしてほの紅く見える。自らがそうさせているのだと思うと何か、胸の奥がざわついた。
 戸惑いがちに揺れる瞳が、じっと見上げるばかりのソウルを捉える。琥珀よりもなお深く澄んだ金色が、いつも月光を思わせるのはきっと、闇色をした髪とのコントラストのせいだ、――などと。
 ぼんやり考えながらキッドを見上げていたソウルは、その金の双眸が見る間に細められていくのを目の当たりにすることになった。
「………………なるほど」
「?」
「じっと見られるとやりにくい、というのは、実感としてよく分かった」
「え? あ、ああ、……悪ィ」
 不躾に見詰め過ぎたようだった。これほどの至近距離でならなお、不愉快に感じたとて無理はない。
 慌てて目を閉じたソウルは、肩に添えられたキッドの指が、微かに緊張するのをトレーナーの布地越しに感じた。
(……――なんか、)
 じりじりと近付く距離に息が詰まる。待つ側に転じてみて初めて分かる、プレッシャーとでもいうのだろうか。視覚がシャットダウンされれば身体はおのずと別の感覚を研ぎ澄まし、周囲の情報を収集しようとするものなのだろう。聴覚。嗅覚。皮膚感覚。全てがいつもより鋭く、鮮明に恋人の存在を伝えてくる、ような気がする。空気の僅かな揺れでその距離を知り、呼吸音のほんの微かな乱れが、緊張の度合いを物語る。
 互いの温度までを肌に感じる程の距離。けれど一秒、二秒、三秒、……八秒数えてみてもまだ、その至極近い距離がゼロになる気配はない。


「……、…………?」
 流石にテンションを維持しきれなくなってくる。なにやってんだ、と緊張を緩めたソウルは、ふとキッドがどんな顔でいるのかが知りたくなった。気付いたら怒るだろうかと思いつつ、けれど結局は誘惑に負けて、ほんの少しだけ右目の瞼を持ち上げてみると今まさに、キッドの顔はすぐ傍にあった。
(……つか、目閉じてんじゃん……)
 先程の接触事故は恐らくそれが原因だろう。極度の緊張がそうさせるのか、金の双眸はしっかりと固く閉じられていた。もしや、自分の教えを律儀に守った挙句の結果だとしたら。そう思うと、少し呆れると同時にどうしようもないむずがゆさが胸を占める。愛おしさ、とでも呼ぶべきものだろうか。
 仕方なく、自らの顎を軽く上げ、キスをしやすい角度にしてやる。ぐ、と肩を掴む手に少し力が籠った、と思った刹那、まるで押し付けるように唇に何か軟らかいものが触れた。そして本当に一瞬で、それは離れていった。
 はぁ、と詰めていた息を吐くのが聞こえて、両の瞼を持ち上げる。キスをする前と同じ、アオリの構図で見上げるソウルに、まだ少し緊張した面持ちをしたキッドは、目が合うと『どうだ』とでも言いたそうな表情を作った。それは何に対してのしたり顔だろうか、考えながらソウルは軽く片眉を上げた。
「…………イマイチ」
「な」
 初めてでもあるまいに、いまどき子供でももう少しましなキスをするだろう。歯が当たらなかっただけ上出来なのかもしれない。
「つうか下手だろ」というやや辛辣なソウルの感想は、けれどキッドにとっては非常に心外な言葉であったらしい。しばし驚愕の表情で固まった後、不機嫌に黙り込んでしまう。
 眦のあたりが少し赤いのは、解けきらぬ緊張の余韻かそれとも、怒らせたのだろうか。普段あまり揺らぎを見せることのない筈のキッドが、二人でいる時は顕著に、考えていることが顔に出る。そういうところがなんというか、愉快に思えてつい、いつも言い過ぎてしまうのだが。

(まァでも、)
肘をつき、軽く身を起こす。ピュアなキスでは物足りない、というのは正直な本音だ。
「なんつーかこう……もっと……」
 何か言いかけ、言葉で説明するのが面相臭くなって、ソウルは右手を伸ばした。
 キッドの髪に触れ、毛先を弄ぶように指に絡める。さらさらとした手触りが心地いい。だからもっと触れていたくなる。
 同じことだなと、思うのだ。なんということはない。『気持ちが良いからしたい』、そんな単純ではあるが率直な想いを、――共有できればいいのに、と。
「ん、」
 思いながら、そのまま後頭部に手を回し、引き寄せる。合わせて、自分も首を伸ばす。
 最初は軽く。唇と唇が触れる程度のキスをした。子供地味た幼いキスだのに、身体の奥がざわめきたつ。それはきっと、甘く香る肌の匂いがそうさせるのだろう。温かい肢体を意識して、頭がのぼせたように熱くなっていくのが分かる。
「んン……、ん、ぅ」
 互いの温度を確かめるよう、一度離した唇を再び重ねる。先程より少し深く。意識したわけではなく、情動にまかせると自然にそうなった。下唇を自分の唇で挟むように触れ、まるで唇全体でその感触を味わうように柔らかく食む。
「んんん、……っ、」
 深く、更に深くと行為に没頭し始めたところでキッドにぐいぐいと腕を引っ張られる。首を振って唇を離したキッドが、俯いてケホケホと小さく噎せた。
「……息、……が!」
 できない、と言いたかったのだろう。察して、「止めてたのかよ」とソウルは少しだけ呆れたように言った。
「鼻だ、鼻」
「…………? ああ、」
 一瞬の間のあとこくこくと何度も頷いて、キッドは深呼吸を繰り返した。大きく肩を上下させ息を整えているそのさまが、大袈裟でなんだか、可愛かった。